第三の道という選択肢
第三の道という概念が浮かんだ。
調べてみると「第三の道」というイデオロギーの考え方があるらしいが、分野的にはまったく違う話。
たとえば進路や仕事や将来について考えるとき、
世間的に存在する分かりやすい事例に沿って考えようとする。
そのとき例えば「A」という方向性があるとすれば、それとは対照的な「B」という方向性も同時に見ていて、そのどちらかを選ぼうとするのではないか。
つまり「良い・悪い」「好き・嫌い」「難しい・簡単」などの印象を持つ2つの方向性のどちらを選ぼうかと考えるだろう。
こっちにいくか、さもなくばこっちにするか、などと考える。
しかし、物事の進め方、攻め方、捉え方にはいくつもの方法がある。
方法や手段が2つしかないということの方が、珍しいことではないだろうか。
周囲の顕著な情報が大きく2つの方向性を示している場合、大衆の半分ぐらいはどちらかの方向に集まるだろう。
10万人いた人々のうち、5万人に減った人々のなかで、互いに競争することになる。
果たしてそれは望ましい方向性だろうか。
ぱっと見には見えない獣道のような物語が、いくつも足元から将来に向かって放射状に伸びていて、実はそのどれもが自由に選択可能だとしたら??
多くの人々が選択しない道を選択することで、見えてくる新しい世界を享受できるのではないだろうか。
第一とか第二とか第三とか、マスで考えるとそうなっても、自分の周りにある道はあらゆる方向につながっている。つまり Multi-Way
1と2が見えるならば3を、1〜3が見えるならば4を目指すという考え方。
「クリエイティブ」ということは、そういうことなのではないか。
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