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違う!逆だ!斜め上だろ

多くの人がやることと同じことをしていれば、とりあえずは安心ですね。
同じ種類の人間だけが集まっていれば、やはり安心ですね。

安心というのは、危険な目にあわないで済むだろう、損をしないだろう、という気持ちです。

単に気持ちの問題なので、実際にはどうかは分かりません。

多くの人と同じ行動をすることの意味

多くの人がやってるということは、もしそのことが利益につながるなら、必ず競争が発生します。
その結果として、勝つ人々と、負ける人々が出てきます。

もし、利益を得られる人の数が決まっていて、例えばそれが1,000人だったとすると、勝つ人の数は1,000人だと、最初から決まっています。

やろうとする人が 2,000人いたら、競争です。
5,000人いたら、やはり競争です。
30,000人いたら、やはり競争です。
つまり、1,000人を超えたところから競争が発生して、数が増えるほどに競争が激化していくだけで、利益を得られる人の数は、相変わらず1,000人のままです。

そんなものに安心感なんてあるのでしょうか?

同じ種類の人間だけが集まることの意味

同じ種類の人間だけ集まると、情報もだいたい似通った人同士なので、発見したり感動することは少ないでしょう。

と言っても「同じ種類の人間」って、実際にいるのかどうか分かりませんが。
人にはそれぞれに個性があるので、例えばお互いに趣味が似通っていても、性格は全然違うとか、情報源や生活環境が全然違ったりします。
政治や宗教に対する考え方も違います。

会社などで社風があるのは、そういう仕事をしている人たちに共通する何かがあって、それが象徴的に感じられたときに「社風」だと認識されるのでしょう。
けれども一人ひとりの社員の生活が、一緒とは限らず、一緒に仕事をしているときだけ同じような考えや動きをするだけで、離れると勝手気ままなことをしています。

だからもしかしたら、同じ種類の人間なんていないのかもしれません。

一緒に仕事をしている間はお互い安心できるけど、それ以外の場面で一緒にいて安心できるとは限らないですね。

同じ種類の人間・同じ行動に大した意味はない

そのものに意味がないわけではないけれど、もし「安心」を求めているなら、その意味はありません。上記のようなことから考えても明らかです。

多くの人と一緒に行動して意味があるのは、その多くが同じように利益を享受できる場合に限っての話ですね。

つまり、一般的に「利益」というものを考えたときには、「安心」というものは一部の人のためにあると考えるのが自然でしょう。

競争率 5倍だと知った時点で別の道

多くの人が望んでいることを実現するために、仮に競争率が5倍あると分かったら、どうしますかね?
よほど自信がある人なら、そのまま突き進むと思いますが、自信がないのに突っ込んていくのは危険です。8割は望み通りにならないわけですから。

総数を知る

なかなか難しいですが、利益を得られる人の数と、それを望んでいる人の数を、まずは知ることが必要なのではないでしょうか。
そうすれば、競争があるかないか、どの程度の競争なのか、分かるはずです。
具体的な数値が分からなくても、雰囲気で競争の有無ぐらいは分かりますよね。

誰も見向きをしない瞬間がある

大衆は、あっち向いてゾロゾロ、こっち向いてゾロゾロ、常に動いています。時と共に、その数や、位置が変わります。
いま混雑していても、半年先は空いているかもしれません。

もし競争があるなら、競争率も刻々と変化します。
いま 5倍でも、半年先は 3倍かもしれない。1年待ったら 2倍とか。
1.5から2倍ぐらいは、頑張ろうという気が起きそうな数字ですよね。

一過性の強い関心事は、1年、2年すると誰も見向きをしなくなることもあります。流行なんて、そういうものじゃないですか。
20〜30年経ってブーム再来とかいうものの場合、10年ぐらいの頃は誰も居なくて閑古鳥が無いているケースもあるでしょうね。

いま、レコード会社はレコードを量産しているらしいじゃないですか。
そんなこと、30年前は予想も出来なかったですよ。だって、レコードは無くなると言われていたのですから。
関連事業で、辞めちゃった会社は沢山あると思いますよ。

でも、完全には無くならなかったんですね。閑古鳥が鳴いても、ゼロになることは無かった。
そういうときは、ある意味、チャンスだったのかもしれないですね。
チャンスだったかもしれない。

ニッチ

「ニッチ」は「すきま」とも言われますね。
時と共に変化する大衆の動きとは別に、今この瞬間にも、ざわめく大通りの脇に路地があって、そこに入らないと見られない景色もあります。
路地裏は、何年経っても路地裏かもしれなくて、喧騒をよそにそこだけの暮らしが綿々と続いている空間であったりもします。

時が経つのが待てなければ、ニッチを探して歩くのも、チャンスに出会うテクニックかもしれません。
見方を変えれば見つけられる、路地裏への道です。

違う存在になる。逆を行く。斜め上を行く。

どっちに向かっても安心などない。
と思ったら、どっちに行くのもありだし、

同じことをしても安心などない。
と思ったら、違うことをしてもあり。

徒党を組んでもみな別のことを考えてる。
と思ったら、同じ顔をするのも馬鹿らしくなるでしょう。

いっそ、自分の顔を持って、違うことをして、皆が見向きもしなくなった方向へ進んでみても、安心がないという意味では一緒。
逆に、競争のない世界で、自分のペースで、自由に振る舞えるかもしれないのです。

ただし大事なことは、これは組織とか個人とかいう対比の話をしているわけではないということです。
組織の中がみな同じで、個人がみな個性があると捉えるのは誤りです。
個性的な組織もあれば、没個性な個人もいます。もっと柔軟な視野を持って、世の中を見てみましょう。

まとめ

  1. 皆が利益を享受できる世界には進んで参加する

  2. 競争のある世界では競争を避ける

  3. 人の去り際にチャンスがある

  4. 見方を変えれば空間も変わる

あくまでこれは、自分なりの僅かな検証を含む、自身の仮説に過ぎません。
絶対とは言えません。
ただ、大衆や本流から外れたときの不安をかき消すために、参考にしてもらっても良いかもしれません。

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