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芸能人はなぜタネ明かしをしないか

考えてみました。

映画の時代

元々、映画やドラマを記録したビデオには「メイキング」というものは収録されていませんでした。
さらに遡って映画が全盛の時代には、映画で主要な役割を演じる人は「銀幕のスター」と呼ばれていました。スターの日常はベールに包まれていて、場合によっては共演者でさえも、その素顔を知ることはありませんでした。

バラエティのNG集あたりから

自分の記憶では80年代ぐらいのバラエティ(たとえば「オレたちひょうきん族」)か、もしくはドラマなどで、NG集や撮影風景を見せることが流行り出したように思います。
それまでのドラマではNGを見せるなんてあり得なかったけれど、NGを見せられた人はそれなりに楽しいと感じて、演じている人への親近感が増したりしました。

芸能人のつながりとウラ話

タモリの「笑っていいとも!」ではゲストの日常的な話を聴くコーナーがあって、毎回、最後にゲストの友達にその場で電話をかけてもらって出演交渉をするシーンがありました。
どこまで事前準備があったか、本当に突然なのか分からないけれど、出演が決まったら会場のみんなが拍手して喜びました。

そんな中で、芸能人が「誰を知ってる」「誰と友達」ということをアピールし始めたのですね。

見ている一般の人やファンは「あの人がこんな人と友達なんだ!」と驚いたり、また若い芸能人が大御所と知り合いだったりすると「すごい!」と思ったりしたものです。
芸能人の承認欲求みたいなものだったのかもしれないけど、プロモーションとして捉えていた人もいたと思います。

それで次回にやってきたゲストから、前回のゲストとのエピソードやウラ話を聴いて楽しむという流れになっていました。

SNS時代の芸能人みたいな素人

SNSには芸能人みたいな一般人が沢山いて、芸能人みたいな格好をしたり、生活感の無い日常を見せたり、芸能人の友達がいることをアピールしてみたり、色んなことをしていますが、芸能人から見ると「素人」なんですね。
吉本の芸人さんなどは一般人を「素人さん」と呼んだりしますね。

プロと素人の線引き

今は芸能人でもあらゆる階層や分野があるので一概には言えないのですが、それでもプロと素人の間には何か線引きのようなものがあるような気がします。
プロは芸を見せることを生業としているから、タダでは芸は見せません。
したがって芸とは離れた所に日常生活があると思います。確かに日常でもかっこいい人や面白い人はいるのですが、芸で見せるものとは違うと思うんですね。

明石家さんま

僕は芸能人を見に行くことがほとんど無いのですが、中学か高校生ぐらいの時に、大阪の朝日放送のラジオ番組の公開収録を観に行ったことがあります。その時の出演者は紳助竜介と明石家さんまでした。
さんまさんは当時もすごく面白くて気さくなイメージがあったのですが、収録でオンエアになる前後の彼の姿は、想像とは全く違うものでした。
「めっちゃ愛想悪いなー」と正直に思いました😁

後から考えると、芸というのはそういうものなんだなと思いました。

芸能人が見せるものは全て商売

極論ですけど、そういうことなんだと思います。
ウラ話も、本当の姿かどうかは判りません。そういうことにしているのかもしれないですし。
だけど、それが作り物だとわかってしまったらファンは興醒めすると思うので、判らないように装っているのでしょうね。
良い生活であろうと悪い生活であろうと、日常生活さえも装って見せなければいけないって、大変だなあと思うのです。

SNSで発信している者として勉強になること

僕なんかは、日常のしょうもないことも全部ありのままに言いたい正直者なので、ついつい色んなことをSNSに上げてしまうのですが、世の中に対する表現やメッセージとして捉えた場合、何かしらの「カタチ」を作らないといけないのだろうと思います。
見る人を意識する、自分の顧客だと思う、という考え方になると、ありのままでは訴求力が無くなってしまうと思うのですね。
セルフ・ブランディング」という言葉がありますが、それはSNSで何かを発信しようとする際には、必ず考える必要性に迫られると思います。

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