見出し画像

執着心 + 依存心 = あかんやつ

執着心というのは良い面もあれば悪い面もありますが、依存心というのはあまり良い面はなさそうな言葉ですね。

両方くっつけたら「あかんやつ」です。

個人的に、最近はテレビへの執着は無くなりました。
子供の頃はテレビっ子だったし、その後もテレビの時代はずいぶんとテレビに時間を吸収されていました。
仕事や用事などがあっても、テレビで面白い番組をやっていると離れられない、離れがたいものがありました。

続きはネットで

でも、今はスッと離れられます。
それは執着心がなくなったという面もあるし、ネットでも見られるという状況もあります。
NHKプラスを申し込んでいないから録画は見られないのですが、番組の内容に関連した興味のある情報を、ネットから引き続き得ることは可能なのです。

今朝もNHKの朝イチのゲストが面白くて釘付けになりそうでしたが、仕事しないといけないから途中で切り上げました。
(と言いながら今、note を書いているという😁)

昨日の WBC も、ほとんど勝っていて安心したという面もありますが、仕事しないといけないからサクッと切り上げました。
まだ結果を見ていないし、執着心がないから別に見なくても「勝っている」と思えればいいし、みたいな感じです。

依存心はなかなかか無くせない

執着心は、執着しなければいい。
つまり執着することにエネルギーを使う「高い」状態のため、低い状態にするのは楽なのです。

しかし、依存心は無くせないですね。
依存心も、依存しなければよいわけですが、依存するという状態は「低い」状態のため、そこから抜け出すにはエネルギーが必要なのです。

「テレビを見続けたい」という気持ちは、執着心でもあり、一部に依存心もあると思います。見なくなることが「寂しい」と思うのは依存心なのでしょうね。
でもテレビへの依存心は、自分の場合は比較的弱いと思います。

SNSとかスマホとかパソコンとか・・

一番の問題は、SNSとインターネットですね。
もしSNSやインターネットが無ければ、いくらスマホやパソコンが好きでも、依存するほどまでには行かないと思います。

そのうえ、人の話を見聞きしたり、自分のことを話したりするのが好きだということが、余計にSNS、スマホ、パソコンへの依存を強めてしまうのです。そういうことを仕事にもしてしまいました(汗;;

好き → 執着 → 慣れ&楽しさ → 依存 → さらに好き → ・・・

みたいなループに陥っている。

心と対象物との関係を「疎」にし、テンションの低い状態に保つことが必要ですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?