見出し画像

(16)アイノカタチ、母の一言。

中華料理を食べた後、両親と駅前留学のかおちゃんは3人で帰って行く。いつもなら私もあの中に混ざってて、あれが美味しかった、これが美味しかったとか言いながら帰る道。優しいマトさんが横にいて幸せではあったけど、私は3人後ろ姿見ながらこう思った。



"あの大切な3人から離れるほど、マトさんのこと愛せるのかな"



だってまだ付き合って3ヶ月の、言葉の通じないアメリカ人で、まだ21歳で私より3歳年下だし、何しろあのクセのスゴいパンタロンを穿くセンスの持ち主と、私は本当に結婚しちゃって良いのだろうか?



この不安は消えないんだけど横にいるマトさん見ると、こう思うんですよ。


"泣いちゃいそうで突き放せない"



だって何でか知らないけど、私を好きだって言う。
一体どこがそんなに良いんだかワカラナイけど、私が良いという。そしてかなり優しい。その気持ちを突き放せないこの気持ち。でも流されて良いのだろうか?


私とマトさんはこの時、品川を出て広尾にあるThe New Sanno Hotel(以下、ニューサンノー)に滞在していた。
当時働いてた市場の花屋さんにニューサンノーの人がお花を仕入れに来ていたので名前は知っていた。ニューサンノーは米政府、米軍関係者用のホテル。マトさんは軍人だから予約が取れた。料金はランク(階級)で設定されてて、まだ安い給料しか貰ってないヤングセイラーのマトさんは格安で泊まれた。ウィークリーマンションより断然綺麗、広い、そして何しろ超安かった。


私たちは毎朝のように、当時1階にあったBreakfast Buffet に行った。ここで出会ったのが前にも話したEggs Benedict (エッグベネディクト)。今まで見たことも食べたこともない料理だったけど、とにかく半熟のポーチドエッグも去ることながら、かかってるソースが濃厚でめちゃくちゃ旨い。一口食べて思いました。



"なんじゃこりゃー!!!!!"




ジーパン刑事くらい叫んだと思います、心の中で。これが日本人相手なら声に出してるかも知れませんけど、マトさんには通じませんからねー。


国際結婚あるある "思い出のテレビの話が出来ない"


育った環境が違うから、マトさんにはドリフもバカ殿もだっふんだぁも変なおじさんも通じません。私が大好きなめちゃイケも通じません。本当に笑うツボが違う。お笑い観ても一緒に笑えず。


"ダメだこりゃぁ"


なんて思った事も何度もある。



いつも話しが逸れますが、そのエッグベネディクトは私にかなり衝撃を与えるくらいのインパクトだった。


"アメリカ美味しい物"もっと知りたい

そう思った。
当時はどうやって作るのかなんて分かりませんでしたが、18年経った今ではもお手のものとなりました。前にも載せましたが、レシピはこちら↓参考まで。


Eggs Benedict



マトさんと過ごす日々も終盤、実家に寄ったある日の事。
父と母に聞かれました。



『具体的には、いつ結婚するんだ?』



えーっと、知りません(笑)
父に聞かれるまで全然考えてなかった。
マトさんにも聞いたら、まだワカラナイって言ってた。


でも色々回りからのアドレスも含めて、マトさんが長い6ヶ月航海に出る予定だから、その前には諸々の手続きは済ませた方が良いと、国際結婚、そしてNavy Wifeのパイセン2名(ハワイの従姉妹とYちゃん) からアドバイスを受けてたので、そうなると夏ごろだねっていう話にはなった。



そんな感じの適当な2人の結婚なのに、相変わらず両親は温かく見守ってくれた。マトさんが初めて1人で実家を訪れた日、ランチをみんなで食べた後、うちの両親は薄着で寒そうだったマトさんにジャケットを買ってくれた。そして中華料理もごちそうしてくれた。そしてなんと、せっかく日本に来たんだから、温泉を楽しんで帰りなさいといって、湯河原の旅館まで予約してくれるという、お釈迦様並みの優しさを見せてくれた。



湯河原 白雲荘


めちゃくちゃ良い旅館だった。
当時も感謝はしてたけど、今思い返すと、どこの馬の骨ともわからない、言葉の通じない、いきなりムスメサンヲクダサイとか言うアメリカ人に、本当に手厚い"お•も•て•な•し"してくれた両親は凄いなと思う。おもてなし選手権に出たら確実に優勝できると、娘は思う。


クセのスゴいパンタロンを穿いていた20歳のヤングなセイラーさん、日本に来る為に2ヶ月間ツナ缶とラーメンで切り詰めて切り詰めて生活をして、指輪持ってはるばるやって来た日本で、帰る頃には21歳になり、新しいジャケットを手に入れ、ムスメサンヲ クダサイという日本語覚え、日本人と付き合わなければ一生食べなかったであろうくらげと牛モツの味を知り、サウナで裸の付き合いを覚え、温泉も楽しんだ上、嫁も捕ったどぉーーー!な旅を終えて、ハワイへと戻って行きました。



そして私もまた実家に戻り、日常が戻った。
婚約中という事だけを除けば、何も変わらない日常。
そんな中春美さんとの会話の中で何となく聞かれました。


『マトさんの事、結婚して大丈夫なの?本当に好きなの?』


そんな感じの質問だったと思う。
私は言いました。



『正直、愛してるかなんてわからないんだけど、泣かせたくないのね。泣いてほしくないの。それが大きい』



本当に正直な気持ちだった。
理由がなんであれ、マトさんに泣いて欲しくないなって思ってた。Noって言ったら泣きそうで、流された感じもするんだけど、何しろあんなに優しくしてくれる人、泣かせたくない、泣いて欲しくない。


そう言ったら春美さんが一言。


『あぁ、じゃぁ大丈夫ね。泣いて欲しくないって愛ね』



そうなのかな?今までもやっとしてたけど、母に言われたその一言で、なんかパーっと雲が晴れた気がしちゃった。
お母さんが愛って言うならそうなのかも知れない。
だって、『愛情』を私にいっぱい注いでくれた母は、愛を知ってる人だから、そんな母がそう言うならきっと大丈夫だ。


と、そう思った。
そして母はこう言った。


『ダメだったら戻って来ればいいじゃない』


これで、迷いはパーンっとどっかへ飛んでいった。
心置きなく飛び込める(笑)
2度と戻って来るなって言われたら、ちょっとやっぱり考えちゃったかもしれない。この言葉をお守りにして、私はアメリカに行く決意が固まった。

ちなみにこのお守りの言葉、まだ有効かと思ってたのに、今は状況が変わったと一蹴された時にはそりゃないぜと思ったけど(笑)


そして父とコーヒーを飲んでいた時だったか、マトさんが来ていた時の話をしてたんです。
そしたら父が私がいなかった時の、サウナに行った後、レストランでの話を教えてくれた。


『あの時、お前が来る前にマット君、紙ナプキンに絵を書き始めたんだよ。カップルと指輪の絵を見せて、ok?って。それで何となくはそう言うことなのかと思ってた』


私もびっくりしたけど、後々、私はマトさんにその時のナプキン見せて貰った。カップルの上にYuri ,Meって書いてあって、横に指輪が書いてあって、OK?って書いてあった。

↓これ、実際の写真です。

画像1



ちなみに、このナプキンも、初めて私が食べたらしい苺のキャンディの包み紙、日本に来た時の飛行機チケット、Email、めちゃくちゃ色んな物がアルバムに挟まれていた。


女子ですか?(笑)


嫌いな人だったら気持ち悪いけど、可愛いと思えたから、
きっと愛だったんでしょうねー。


ちなみにパンタロン今でもとってあります。
見たい方、いらっしゃればコメントなどいただければと思います(笑)


さて、次回いよいよ結婚に向けて動きだします。



《今日のヒトサラ》

•何はともあれとりあえず"コーヒー"


うちの父はお酒が飲めません。母はお酒めちゃくちゃ強いです。我が家では何はともあれとりあえず"コーヒー"。毎朝、春美さんの淹れた濃いめのコーヒーをお父さんと飲む時間が日課だった。嫁に出て18年たってますが、この時間は里帰りの時にする"To Do List" (やることリスト)必ず入ってる私に取っては大切な時間。ちなみに私は声が低いので酒豪に思われがちですが、父のDNAが濃いめで、下戸です。でもお酒に合うおつまみはたくさん作れます(母のDNA)

画像2




エッセイに登場する”出演者”である家族に”出演料”として温泉旅行をプレゼントするのが目標です。イッテQ!の温泉同好会の様な宴会をすべく、各自芸を磨いて待機中との事ですので、サポートしていただければ幸いです。スキ、シェアだけでもすごくうれしいです。よろしくお願いしますm(‐‐)m