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「ユリイカ!」というホームページの日記で書いていたテキストのサルベージ用

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「ユリイカ!」というホームページの日記で書いていたテキストのサルベージ用

最近の記事

追いかけても追いかけても

または THE SECOND前夜にTHE YELLOW MONKEYのおたくが送る「バラ色の日々」にまつわるあれやこれや。 私は特段お笑いファンというわけではないのだが、twitterでフォローしているひとにお笑いファンの方が少なからずいて、だからこそ大きな賞レースのときにはその話題でTLがにぎわうのだが、明日(もう今日だ)行われるTHE SECONDという大会に向けて作成されている事前VTRに、THE YELLOW MONKEYの「バラ色の日々」が使われているというツイー

    • 2022年私の三題噺じゃなくて三大噺・その2

      いきることはたべること・料理 料理ってお題で語る前にまずわたしの現在地としての「料理するようになった」ってのがどの辺なのかを説明しておきたいんですけど、一般的な「50代女性の料理スキル」をまず思い浮かべてもらって、それを半分にして、その半分にしたのをさらに半分にして、その半分をまた半分にして、とどめにその半分を粉々に打ち砕いた破片を思い浮かべてもらいたい。それが私の以前の料理スキルです。早い話が「ゼロではないが、ほぼゼロ」という状態。「ほぼゼロ」といっても味噌汁とかカレーは

      • 2022年私の三題噺じゃなくて三大噺・その1

        ぜんぜん日記を書かなくなって幾星霜という感じですが、年1ぐらいで更新してもバチは当たらないやねということで、2022年の自分的三題噺です。三題噺てそういう意味ちゃうやんな。わかってるわかってる。最初は三題噺で1本のテキストにしようと目論んでましたが書き始めたら例によって長すぎ誰が読むねん状態に突入したので別の記事にします。 流行り病がやってきた・コロナ罹患 かかりました。もうずいぶん前ですが。かかってみるといつ、どこでかかったかなんてのは正直「んなもんわかるわけねえ」って

        • あの向こう

          さすがにここのところ職場でもワクチンの話が寄ると触ると出るようになってきた。出るようになってきたのは職域接種をやるとかやるけど先延ばしになるとかいややっぱりわかんないとかいう例のワクチン足りない問題に端を発しているのだけど、それでもリモートワークが一切できない職種なので、緊急事態宣言とか関係なく全員が公共交通機関で職場に通う毎日を過ごしているが、皆さほど文句も言わずに状況を受け入れている(まあ、受け入れるしかないともいう)。こればっかりは「人の得は自分の得」とおもってのんびり

        追いかけても追いかけても

          さよならだけが人生だ

          2004年1月、今はなき私の最愛の劇場の最期に寄せた文章。文字通り、渾身の力と愛情を捧げて書いた。二度と書けない。そして今でも、私がいちばん好きな劇場は近鉄劇場と近鉄小劇場です。 ***** ***** ***** ***** 近鉄劇場・小劇場は1985年10月、映画館のあった旧近鉄開館を改装してオープンした。こけら落としの作品は、近鉄劇場がバラエティショー「ザ・シアター」。そして近鉄小劇場が劇団第七病棟「ビニールの城」である。その後約18年にわたる歴史を経て、この1月、様

          さよならだけが人生だ

          あなたに教えて欲しいこと

          2005年2月の日記。三つ子の魂ではないが、今でもこの授業のことをときどき思いだすことがある。教育というものの力よ。 ***** ***** ***** ***** 日本人の学力が低下しているそうで、私達の時には受験戦争受験戦争、その後の世代にはゆとり教育とか言っていたのにまた方針転換なんだろうか。いやまあ実際低下しているのかもしれないが、別に困るほどのことじゃないじゃないかと思ってしまうのは私がもう学校と関係のない生活をしているからなのだろうか。 小中高と、いわゆる「オ

          あなたに教えて欲しいこと

          それはまだ言わない

          2005年3月の日記。おばあの繰り言めくが、この頃吉井和哉さんはまだYOSHII LOVINSONさんであり、前年にソロの1stアルバムをリリースしたものの媒体での宣伝もライヴもやらず(雑誌のインタビューは受けないのにレコ屋のフリーペーパーのインタビューは受けてた)、本当に世の中に出てこない時期だったんですね。この日記を書いたころは2ndアルバムリリースのためほんのすこし天岩戸から顔を覗かせたか?みたいな頃。 この3か月後にかれは初めてソロのライヴのステージに立つわけだけど、

          それはまだ言わない

          永遠はない

          2005年6月の日記。このとき夢中になったサイトさんはその後復活され今もご健在。そしてジャンル替えをなさっていない!!たぶん通算20年くらいなってる!!日記も更新されているので、ときどき読みにいき、相変わらずすばらしい…と感嘆して、時折おすすめ本や映画やドラマの参考にさせていただいています。 いま思うとこの方は私にとっての綾城さんであった…!としみじみ(「同人女の感情」は偉大なシリーズですネ)。今でも大好きです。尊敬してます。でも(だから)どこのサイトかはナイショ。うふふ。

          永遠はない

          例えば?

          2005年8月の日記。こんなこと書いてたのか。じぶんでも覚えていなかったけど、新型コロナウイルス感染症の拡大という事態に直面した2020年の今読むと、この時とは違う意味で「当たり前に続く」ことの意味を考えないではいられません。 しかし、それでも、とうなだれた姿勢をぐっと伸ばして、劇場に通い続けたい、その意思を持ち続けたい、とおもう私であります。 ***** ***** ***** ***** チケットホルダーにはいつも沢山のチケットが入っていて、週末ごとに劇場に出かけているの

          例えば?

          贅沢な被害妄想

          2005年11月の日記、なんですけどこれは私の日記はどうでもよくて、この日記の中で引用している豊川悦司さんの手紙を紹介したい一心なのです。NHKで放送された「ルパンに食われた男 モーリス・ルブラン」の中で番組案内人をつとめていた豊川さんが、番組の中でモーリス・ルブランにあてて書いたもの。本当に、よくぞ全編書き起こしていたと自分で自分をほめたい。 ***** ***** ***** ***** 女の一生の第一夜に勘太郎くんご出演。舞台役者さんをテレビで見るときにいつも感じるよう

          贅沢な被害妄想

          あなたの右の隣

          2005年12月の日記。2005年というのは今から思えば解散直後でもあるので、いろいろと揺さぶられていたのだなと来し方行く末を振り返ってしまいますね。それはさておき、このテキストはおそらく私が書いたなかでいちばん人さまに「このテキスト、好きです」と言ってもらえたものなのではないかと思う。 ***** ***** ***** ***** 本当はもっと前に書こうとしていたのに次々と襲いかかる体調不良(現在は歯茎を腫らして恐ろしい顔に変身中、たぶん素でお化け屋敷に就職できる)により

          あなたの右の隣

          今年いちばん嬉しかったこと

          2005年12月の日記。私の人生における最大の奇跡(かもしれない)、この3.10のパネルを入手したときの顛末です。もちろん、今でも大事に持ってるし、なんならエポックなことがあるたびに引っ張り出してこのパネルと会話してる。ここにわたしのたましいのかけらをおいてきたから。 ***** ***** ***** ***** 2005年も今日で終わりです。いろいろあったね今年も・・・思わず遠い目。長いような短いような、ってほんとどっちだかわかんない。でも去年の正月のことなんてもう光陰矢

          今年いちばん嬉しかったこと

          だからもっと照らして

          2006年1月の日記。MY FOOLISH HEARTツアーの時です。2005年はまだ年末にはライヴがなくて、年が明けてからのツアーでした。この頃の、あまりにもまだなにもかもがおぼつかなかったころの吉井ちゃんと私たちのこと、ときどき思い出すけど、なんというか、言葉にすると吉井ちゃんもわたしたちもすごくけなげだったなあ、と思ったりします。そういえば、「ロビンソンにやさしくしてくれてありがとう」とか言われたことあったな。 ***** ***** ***** ***** 鼻水がなぜ

          だからもっと照らして

          白シャツon the battle

          2006年2月の日記。久しぶりに読んだら面白かった(自画自賛スタイル)。これ14年前のあれですからね、今やったら誰が候補にあがるんだろうね、誰かやってください(他力本願スタイル)。 ***** ***** ***** ***** 女はみんな白シャツが好きである、というのは言い過ぎとしても、白シャツが好きなのは女である、と逆方程式なら余裕で成立すると思う。男性の眼鏡、というのは最近とみにフューチャーされていて眼鏡ももちろん大好きな私としては大変にありがたい世情であるが、男性の白

          白シャツon the battle

          朝靄の中

          2006年5月の日記。 タイミング、というのでしょうか。本当にいつまでも、慣れない。 ***** ***** ***** ***** うちは2人姉妹だが、私の実家の隣の家は男兄弟だった。下の弟さんと、姉が同い年。そのさらに3つ上にお兄さんがいた。小さい頃は一緒に遊んだこともある、ようだ。ようだというのは私は4才でその家から引っ越したからで当時の記憶は殆ど無く、7年たってその家に帰ってきたときはお兄ちゃん達はもう家を出ていてろくに顔を合わせることがなかった。 家を出ていたとい

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          ピートと名付けられるはずだった猫の話

          2006年11月の日記。 ***** ***** ***** ***** 猫と暮らす、というのは本当にいいもんです。 ネットを通じてお知り合いになった方の中には、ご自身で猫を飼ってらっしゃる方も多く、知り合いじゃなくても自分の家の猫の写真などをblogでアップしていらっしゃる方はたくさん居て、そのどれもこれもが本当にかわいい。一瞬にして顔が「ふにゃあ~」となるのが自分でもよくわかる。ふにゃあ、となった次の瞬間にはしかし、「あーこのにゃんこ、さわりたい」というエロ親父のような

          ピートと名付けられるはずだった猫の話