見出し画像

贅沢な被害妄想

2005年11月の日記、なんですけどこれは私の日記はどうでもよくて、この日記の中で引用している豊川悦司さんの手紙を紹介したい一心なのです。NHKで放送された「ルパンに食われた男 モーリス・ルブラン」の中で番組案内人をつとめていた豊川さんが、番組の中でモーリス・ルブランにあてて書いたもの。本当に、よくぞ全編書き起こしていたと自分で自分をほめたい。
***** ***** ***** *****
女の一生の第一夜に勘太郎くんご出演。舞台役者さんをテレビで見るときにいつも感じるようにこっぱずかしくなったりするだろうと予測していましたが意外にそんなこともなかった。舞台の上でのはつらつ好青年ぶりが微塵も感じられないダメ男ぶりが最高でした!

そのドラマの中で自分の書きたいものと求められているものが異なる作家の苦悩、のようなものが描かれるシーンがあったのだけど、前日にNHK-BSで放送された「ルパンに食われた男 モーリス・ルブラン」を見たばっかりだったので妙なシンクロ具合に驚いてしまった。

その番組の案内人だった豊川悦司さんは断然「ルパン派」だそうで、そこからフランス文化的なものに傾倒した部分もあるとのこと。私はといえば小さい頃毎日通っていた図書館にポプラ社のシリーズが置いてあったんだけど、でもその中二階みたいな書棚が天井が低くてなんだかちょっと暗くて近寄りがたくて、ある日勇気を出してある一冊を抜き出してみたら…
怖い!!
表紙が怖い!!!
つって回れ右して逃げ出しました(実話)。今思うと表紙が怖かったのはルブランじゃなくて乱歩だったのかもしれないんだけど、とにかくその書棚の一群の怖さがある意味トラウマになってしまい(だって夢に出てきたんだもん)、その棚にはそれ以後一切手をつけなかった。だから私は乱歩の少年探偵シリーズを一切読まずに大きくなったのでした。そしてもちろん、ルパンシリーズも。

コナン・ドイルが一人歩きをするホームズというキャラクターに苦悩したように、モーリス・ルブランもまたルパンというビッグネームに悩まされ続けました。彼はほんとうは純文学者になりたかった。モーパッサンやラブレーのような。だけど、友人の編集者に乞われてたまたま書いたその推理小説が、書いても書いても認められなかった小説家としてのルブランを一気にスターダムにのしあげるのです。彼は自分のほんとうに書きたいことはこういうものではないと思い、しかしそれとは反比例するかのように怪盗ルパンの名前だけが一人歩きすることに悩まされ続けるのです。

豊川さんはルパン派を自認するだけあって、この「ルパン」という登場人物が作者に愛されなかったことがわかるにつれ、このキャラクターにいっそうの愛情を募らせているように見えます。なんだか彼は常に、ルパンの代弁者としてそこにいるかのようです。しかし驚くなかれ、レミゼのジャン・バルジャンと並んでフランスの生んだ有名キャラクターに選ばれながら、このルパンとその作品達はフランス本国では決して認められていなかった。小学校で「有害図書」に指定されたことがあるぐらいだというのです。ルブラン行きつけのカフェの主人は、「ルパンは読まない。モーパッサンなら読む」とカメラに向かって言います。なぜなら「モーパッサンは人生を描いている。ルパンはただの、小さなお話だから」と。

豊川さんが言ったようになにをもって成功とするか、なにをもって幸福とするかは人それぞれでしょう。遠いアジアの果ての島国では、ルパンは彼の孫だとするキャラクターによって、その名前を不動のものとしています。ルブランは尊敬するモーパッサンのように「人生」を書いてこなかったかもしれませんが、しかし彼の生み出したものは「興奮」や「感動」となって、世界を超え、世代を超え、もしかしたら歴史さえ超えて、今も広がり続けている。そのどちらが偉大なのかなどと較べること自体が、私にはとてもナンセンスなものに思えます。

「ルパンが私の影なのではない。私がルパンの影なのだ」と口にし、ルパンに怯え続けたルブランも最後にはその彼との出会いを後悔していない、と語っています。

「ルパンを書く前に純文学の小説を10編ほども書いていたが、それを知っている人は少ない。ルパンを書いたのは事故のようなものだった。またずっと書くことを強制されてきた。しかし事故だったとしてもそれは私の栄光の始まりであり、歓迎すべき事故といってもいいのかもしれない。今、ルパンは私の最良の友だ」

番組の最後にはエトルタにある奇巌城のモデルとなった岩に沈む夕日を見ながら、豊川さんのルブランに宛てる手紙が読まれます。
愛情に満ちたこの文章は、私を泣かせました。
奇巌城を是非読んでみなければね。

拝啓 モーリス・ルブラン様
あなたは幸福なひとだと 心から思います
正直、羨ましい限りです
アルセーヌ・ルパンという輝かんばかりのスターを生み出したおかげで
日陰者の人生を余儀なくされたなどと あなたはおっしゃいますが
それは贅沢な被害妄想であると 失礼ながら申し上げたい
私が思うに あなたほど生真面目な作家は
目も眩むほどのスポットライトを浴びるには繊細すぎる
私も役者の末席を汚す人間だからわかるのです
人目にさらされ 毀誉褒貶に振り回されるつらさを
ルパンは文句も言わずそのつらい役目をあなたに代わって果たしてくれた
そういう彼の愛情に もう少し早く気付いていただきたかった
あなたが生み落としたアルセーヌ・ルパンという男は
間違いなくあなたを愛し続けていたと愚考します
父のように 最良の友のように

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?