例えば?

2005年8月の日記。こんなこと書いてたのか。じぶんでも覚えていなかったけど、新型コロナウイルス感染症の拡大という事態に直面した2020年の今読むと、この時とは違う意味で「当たり前に続く」ことの意味を考えないではいられません。
しかし、それでも、とうなだれた姿勢をぐっと伸ばして、劇場に通い続けたい、その意思を持ち続けたい、とおもう私であります。
***** ***** ***** *****
チケットホルダーにはいつも沢山のチケットが入っていて、週末ごとに劇場に出かけているのだけど、観るのを楽しみにしていたはずなのに、いや実際楽しみにしているのに、出かける前になるとどこか億劫な気持ちが襲ってくる。ああ、また出かけなきゃいけないのか。劇場に出かけていくことはすでに非日常ではなく日常になっている。出かけてしまえば、劇場に着いてしまえばもちろんそれはそれでちゃんと楽しいのだけど、何ヶ月も前からチケットをおさえ、次々と出てくる新しい情報に一喜一憂し、そうして劇場で観た芝居の記憶が自分の中に積み重ねられていくことが当たり前になって、何の感慨も抱けなくなってくる。1から10、10から100への変化は毎回が劇的であっても、400と500ではそう大した違いがないと感じてしまうように。

自分は一体何のために見ているんだろう。もちろん、芝居を観ることは大好きだ。だけど時間をとられ、お金をとられ、そうしていつ果てるともないこの次から次へとやってくる芝居の波をいつまで乗りこなさなくてはいけないのか?自分が求めていたものはこれだったのか?自分が好きな芝居とはこういうものだったのか?それすらもわからなくなってくる。本当に好きだから見ているのか?単に人が観たもの、話題になったものを見逃すのが悔しいだけなのではないのか?「あれを観に行った」とひとに言いたいだけなのではないのか?どうやって感想を書こうとか、そんな心ばかりで目の前の舞台を観ているのではないのか?

誰にも強制されていない。だから、いやになったのならやめればいい。なのに、やめられない。なぜ?好きだから。こんなにぐるぐる自家中毒のようなことを考えていても、「観に行かない」という選択肢のことを考えただけでつらくなる。それなのに、いろんなことに素直になれない。素直になれない自分が苦しい。

キャラメルボックスのある女優さんが劇団を退団したことが、現在公演中のパンフの中で触れられているらしい。私はまだそのパンフの文章を読んでいないので、誰か、と言うことは書きませんがプロデューサーの加藤さんももう実名を出していらっしゃるので探せばすぐにわかると思う。キャラメルというのは、観に行ったことのある方ならご存じだと思うが非常にアットホームな劇団であるので、退団、という時のこの素っ気なさに戸惑うひとがいるのもわかる気がする。誰々の最終公演、ということでもやってくれそうな感じが彼らの雰囲気にはあるからだ。でも実は、そんな風に「これが最後ですよ」と事前に告知されて見届けることができることなんてことは、キャラメルに限らず殆ど無いことなのだ。大抵の場合、私達は後から振り返ってこう思うことになる。「ああ、あれが最後だったのか」と。それは役者が所属した劇団を離れるときもそうだし、演劇そのものを離れる、というときもそうだ。そして勿論、まったく突然に「終わり」を告げられるときもある。伊藤さんやミラノさんや倉森さんのように。

最初が特別なように、最後もまた、特別だ。これが最後ならそうと言って欲しかったというファンの気持ちも、最後だと意識してもらいたくないという気持ちも、「最後」が特別なものであるからこその思いだろう。
でも、ふと思う。
実は舞台なんてみんな、何らかの形で「最後」なんじゃないかな?

あの役者とこの役者が一緒に舞台に立った最後はいつだったろう、あの演出家とあの人が組んだのは?あの公演、つぎは劇場が変わるらしいよ。再演されたあの舞台にはあのシーンがなかったよね?
もう一度観れる、いつでも観れる、そういう風に当たり前に「続いていく」と思うことは、実は何の根拠もないものだと気付く。

私達はいつも、「最後の舞台」を観ている。 だから、こんなことしてる場合じゃない。自家中毒のようにぐるぐる同じところを回っている場合じゃない。何のために観に行くかなんてどうでもいい。だって最後かもしれないんだもの。何年も経って、あとから振り返るとき、ああ、あれが最後だった、そう思うとき、ちゃんと思いたいんだもの。うん、ちゃんと観た。あたしはあの舞台をちゃんと観た。そう思いたいんだもの。後悔と一緒に思い出したくないんだもの。

私はあとどれぐらいの数の芝居を観ることが出来るのかな?私の好きなあの人は、あとどれだけの数の舞台に立ってくれるのかな?それは私達がぼんやりと思っているものよりも、きっと少ない。だから、今日も芝居に行こう。何もかも忘れて楽しもう。板の上に立つあの人の姿に酔いしれよう。浮かんでは消えるひとときの物語にうつつを抜かそう。今日あなたが観た最後の舞台は何ですか。明日私が見る最後の舞台は何だろう。そのすべてが、飛び切り楽しいものであるといい。

これからも、愛情と愚痴と歓喜と後悔と興奮にまみれながら劇場へ通い続けたいと思います。どうかその場所が、あなたにとって楽しいものであり続けられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?