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あの向こう

さすがにここのところ職場でもワクチンの話が寄ると触ると出るようになってきた。出るようになってきたのは職域接種をやるとかやるけど先延ばしになるとかいややっぱりわかんないとかいう例のワクチン足りない問題に端を発しているのだけど、それでもリモートワークが一切できない職種なので、緊急事態宣言とか関係なく全員が公共交通機関で職場に通う毎日を過ごしているが、皆さほど文句も言わずに状況を受け入れている(まあ、受け入れるしかないともいう)。こればっかりは「人の得は自分の得」とおもってのんびり待つ方が心の健康にはよさそうな気がしている。

そんな中、最初に職域接種の話が出始めたころ、あるひとりの職員が反ワクチンのビラを配るという事態が勃発した。

これはしんどい。想像しただけでもしんどいが、事実は想像よりもしんどかった。

SNSで反ワクチンの内容をツイートしたり、または自分では書かないまでもリツイートしたり、だれかのツイートに引用コメントをつけるような行為と、「職場で」「ビラを配る」という行為は、まったくフェーズの違うことだ。

ビラ自体は、早い段階でストップがかかり、実際にビラを手にした職員はごくわずかだが、しかし当然、人の口に戸は立てられないし、職場で行われた以上上司は介入しなければならない。私は同じ部署ではないが、当人のことはそれなりに知っていた。配られたビラには、ワクチンによってDNAが書き換えられ…とにかく人がどんどん死ぬことになる、だからワクチンを打ってはいけないと書かれていたという。

職場でビラを配る。自分の氏素性をまるっと把握されているだけでなく、おそらくは今後長きにわたり自分の生活の糧を得るための手段にするであろうそこで、反ワクチンのビラを配る。その職員が普段からそうした声明を出して憚らないとか、そういうことならこっちの腰の落ち着かせどころがあるかもしれないが、そんなことはまったくなく、いたってまじめな、そんな素振りはまったく見せずに職場生活を送っている人間だった。つまりはわたしやあなたとなにも変わらないということだ。

つまるところ当人は、どこかで追い詰められたのだとおもう。追い詰められ、この危急存亡の事態を放置してはおけないと思い込み、周囲の人間を啓発するしかないと思ったのだろう。それはおそらく善意のなせるわざだ。そしてそんな善意が暴走するほどに、いったい何にそんなにも追い詰められてしまったのか、それはわからない。

当人がワクチンを接種したくないというのであれば、その意思は尊重する、しかしこのコロナ禍の事態にあって、少なからず不安を抱えている者も多いところに、こうした扇動めいた行為は看過できない、当人にはおそらくそういった勧告がなされたのだろうとおもう。こうした、「間違っているかもしれないが行き過ぎた情熱」は、その情熱の方向がどうあれ、「こんなに熱心なんだから」というその熱意だけで人に影響を及ぼしかねないから、当人に強く会社の意思を伝えるのは重要なことだ。その後いちど職場で見かけたが、表情に生気がないようにも見えた。ただそれは私の先入観なのかもしれないとも思う。

DNAが書き換えられて、人がどんどん死ぬ。そのフレーズにふと、少し前にツイッターのTLで見かけたツイートを思い出した。大阪の感染状況が全国ワーストを突っ走り、医療環境がひっ迫し、自宅療養者に死者が出ていたころのことだ。「大阪はフェーズとしては道端でどんどん人が死んでいる状態」。そんなことが書かれてあった。そしてそれが何万リツイートもされていた。私のTLで見かけたのだから、私がフォローしている誰かがそれをリツイートしたのだろう。

道端で人、死んでないけどね。それを見た時そう思った。これをリツイートするんだなあ、とも思った。道端で人が死んでいるというツイートを見ながら、満員電車に揺られて会社に行く。なんだろうな、と思った。腹が立つとかではなく、不思議だった。楽しいのかな、これをリツイートしている人は。

もちろん、これは実際にそうだと言っているわけではない。大阪府の感染対策に不備があり、それを指導している行政に問題があり、そのあおりで「どんどん人が死ぬ」ようなことが起こる、起こりうる、道端でひとが死ぬ事態さえ。そういう比喩、警告、それぐらい最悪の事態なのだということの強調。もちろんわかっている。

どんどん死ぬ。どんどん死ぬ。そうした文言がSNSを埋め尽くす。埋め尽くしたまま、毎日を過ごしていたらどうだろう。何かのきっかけで、ほんのささいなことで、「実際に道端で人が死んでいる」「DNAが書き換えられて人が死ぬ」ことがリアルだと思えてこないと言えるだろうか。SNSでは反ワクチンさえ「ネタ化」したツイートが何千、何万とリツイートされる。それは確かにSNSの華なのかもしれない。「ネタをネタと…」そうですね、それがインターネットのお約束ですね、そうやって今までやってきた。人間の生命というものがかかったこの局面においてもなお生き続けるほど、その法則は強固なものらしい。

どんどん死ぬ。どんどん死ぬ。SNSに流れてくるさまざまな喜怒哀楽を無料で味わえる、インターネットはすばらしい。どんどん死ぬ。どんどん死ぬ。指先ひとつで何かを成し遂げた気になれる、インターネットはすばらしい。どんどん死ぬ。どんどん死ぬ。その向こうにあるものを一生知らないままですごせる、インターネットはすばらしい。

あれ以来、リツイートボタンの向こうで、追い詰められた誰かの眼が自分を見ているような、そんな気がしている。

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