あなたに教えて欲しいこと

2005年2月の日記。三つ子の魂ではないが、今でもこの授業のことをときどき思いだすことがある。教育というものの力よ。
***** ***** ***** *****

日本人の学力が低下しているそうで、私達の時には受験戦争受験戦争、その後の世代にはゆとり教育とか言っていたのにまた方針転換なんだろうか。いやまあ実際低下しているのかもしれないが、別に困るほどのことじゃないじゃないかと思ってしまうのは私がもう学校と関係のない生活をしているからなのだろうか。

小中高と、いわゆる「オベンキョウ」しなければならない学生時代において、私は決して勉強が出来る子ではなかった。特に理数系がからきしだった。中学校の時にいちど他のすべての教科を捨てて数学だけ必死に勉強したのに平均点すら取れなかったとき、私は数字に見離されて一生を送るのだ!と確信した。出来る人は数式を覚えればいいんだよ、簡単じゃないかと言うが、覚えることは出来てもどうやって使うかがわからんのだよ!高校では1年生で生物と化学をやったが、この化学がほんとに、もう、全然ダメだった。テストで0点をとったこと、みなさんおありだろうか。それも白紙で出してとかじゃなく、真面目に一生懸命やって0点である。これはかなりショックだ。その「0」の示す意味は「てんでわかってない」ということなのであって、勿論通知票では最低の評価がつき、夏休みに補習を受けさせられた。暗い思い出ばかりだ。

高校2年で、うちは公立だったので進路に関わらず物理の授業を受けねばならないのだが、藤田先生に教えて貰うことになった。藤田先生は非常に女の子に人気があった。飛び抜けてカッコイイとかいうわけではないのだけど、非常にクールで、しかも授業がわかりやすいというので理数系を志望していた男子生徒からの信頼も厚かった。私はこの藤田先生がすごくすごく好きで、クールなのにちょっと可愛らしいところがあるところがたまらず、気に入られたい一心で必死になって勉強した。まったく今も昔も原動力が男、男で申し訳ない。宿題も予習も完璧にやり、わからないところは職員室まで聞きにいった。物理なんて、理数からきしダメ女には北アルプスの北壁よりも厳しい壁だが、褒められたい一心というのは時折信じられない威力を発揮する。2年の2学期のテストで私は70点を取り、それが私の学生時代において、理数系で取ったもっとも高い点数となった。「なーんだ」と言われるかもしれないが、50点を上回ることすら数えるほどしかなかった私には、この点数は快挙中の快挙だった。

中学や高校の授業では、「教科書を最後まで終える」ということがなかなか無い。大抵は予定通りに授業が進まず、最後はお茶を濁されて終わりだ。しかし藤田先生は1年間で予定されている部分を最後の授業1回を残してすべて終えた。まさに「先生のプロ」と呼ぶに相応しいひとだったと今でも思う。さて、では最後の授業はなんなんだろう、質問タイム?もしくは自習?最後の授業にやってきた藤田先生は最初に、前回質問が出たところ、受験においてのアドバイス、それらを15分ほどで説明し終わるとおもむろにこう言った。
「みなさんは、なぜ空が青く見えるか知っていますか。」

そして残りの30分間、藤田先生はどうして空が青く見えるのか、夕焼けは赤いのか、虹は七色なのか、なぜ私達は「色」を見るのか、葉っぱはなぜ緑なのか、色と光の関係を、物理的な視点で生き生きと語った。そして言った。「当たり前に見えることにも、理由があります。物理とは、その当たり前を解くヒントをくれる学問です。」と。

その授業に感動して私がその後物理学を専攻したとかそういう話になれば素敵なのだがもちろんそうではなく、3年生になったらまた元の木阿弥で理数の点数は下降の一途を辿り、一応受けてみろと言われたセンター試験では200点満点中2点という、これもある意味快挙な点数を取るテイタラクであった。しかしそれでも、あの授業から15年以上経た今でも、見事な夕焼け空を見ると私はいつも藤田先生の最後の授業を思い出す。小学校から高校までの12年間、数え切れないほどの授業を受けてきたが、私が受けた本物の「授業」と呼べるのは、あの最後の30分間だけだったのかもしれない。「当たり前にあることの理由」、これが教えられるのは、なにも物理に限ったことではないだろう。本当に教えて欲しいこと、教えなければならないことは、もっと身近なところに、実はあるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?