朝靄の中

2006年5月の日記。
タイミング、というのでしょうか。本当にいつまでも、慣れない。
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うちは2人姉妹だが、私の実家の隣の家は男兄弟だった。下の弟さんと、姉が同い年。そのさらに3つ上にお兄さんがいた。小さい頃は一緒に遊んだこともある、ようだ。ようだというのは私は4才でその家から引っ越したからで当時の記憶は殆ど無く、7年たってその家に帰ってきたときはお兄ちゃん達はもう家を出ていてろくに顔を合わせることがなかった。

家を出ていたというのは、全寮制の進学校に行っていたからで、名前を聞けば誰もが知っている超有名高校に二人とも通っていた。そう年も変わらない男兄弟と女姉妹の家が隣り合っているというのにその差は歴然で、姉はガンヲタになるわ妹は同人界に足を突っ込むわ、人生街道を順調に踏み外している私達のとなりで、彼らはこれまた名前を聞けば日本人なら誰もが知っている最高学府へ駒を進めたのだった。

今年の3月末、私が静岡へ転勤する準備に追われていたとき、母から「隣のご兄弟の弟さんの方、体調を崩していて入院しているらしい」という話を聞いた。私は殆ど気にもとめていなかった。いよいよ明日には静岡へ発つ、というその日の晩に、家に帰ってくると見慣れない高級車がお隣の家の前に停まっていた。母に、お隣にベンツがあったよ、というと母はこう言った。
「お兄さんのじゃないかしら。弟さん、昨日亡くなったんですって。」

翌日の早朝、1週間分の着替えを持って玄関先で車を待っていると、隣のおじさんが煙草を吸いに外に出てきた。バッタリ顔を合わせた私は異様に慌てふためき、実は静岡に転勤になりまして、それで今日発つので・・・となんだか早口になって言い訳のように話した。おじさんはまったく普通に、静岡か、それは良い、と言った。僕も静岡にいたことがあるんだよ。10年ぐらいかなあ。いいところだよ、住み易いしね。おじさんの言葉を聞きながら、私は何もお悔やみの言葉を口にしていないことに今更のように気付き、この度は突然なことで・・・と間の抜けすぎた挨拶をした。おじさんは何も言わず、煙草を喫いながらうんうんと頷き、言葉を続けた。本当に突然だった。会社の方も、驚いていたと思う。何も言っていなかったし、ちょっと入院してくるだけ、というようなつもりでみんないたようだ。でも本人は覚悟を決めていたんじゃないかな。去年一度悪くなって、一旦は持ち直したんだけど、とうとうだめだった。難しい病気でね・・・。私はただ黙って聞いていた。最後にね、とおじさんは口調を変えた。ゴルフに行ってきたんだ。入院すると、しばらくゴルフには行けないからって。

そういえば、と私は思いだした。お隣に見慣れない高級車が停まっているときは、翌日の早朝には皆でクラブをトランクに入れて出かけていたなと。3月の良く晴れた日、お兄さんも含めて3人で、彼はコースを周り、春のゴルフコースを満喫した。

そして、その3週間後に死んだ。

私は通夜にも葬式にも顔を出すことは出来なかったが、両親の話によればおじさんの挨拶はそれはそれは心に残るものだったそうだ。何となく、わかる気がする。こうして書いていても、私は逝ってしまった彼の顔を、ぼんやりとしか思い出せない。この感情が哀しみなのか、それもわからない。ただ、人はいろいろ生きて、いろいろ死ぬ。わかっているはずなのに、その事にいつまでも、慣れることが出来ない。

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