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僕らは、重力の忘れ方を、忘れた

わたしの周りには、うつだった / 今現在うつである。
病院に行って薬を飲んでいた / 今現在、薬を飲んでいる。
そんな人が両手にギリギリおさまらないくらいの数、いる。

別に、うつだけじゃない。PTSDとか、躁うつとか、強迫性障害とか、統合失調症とか。名前は、色々。症状や状態も、さまざま。この世界で生きていくことへの息苦しさとか、生きづらさって事実だけは、多分だけど、一緒。

それは、友達の友達とかっていう間接的な数ではなく、直接的な知人の数だ。病院に行って診断名もらった知人の数だから、本当はもっと多いのかな。


おいおい。
ミレニアル世代、大丈夫かよ。
なんだか、そんな心配まで、しちゃう。
その世代の中に、自分もちゃっかり、含まれてるんだけどさ。


「最近、体調、どう?」

そう聞かれたとき。
どう答えたらいいのか、わたしは分からなくなる。

どう答えたらいいのかわからないことが、なんだか、こわい。
そんな風に感じる自分がいる。
自分で、自分が、つかめない。つかみどころがない。


だってさ。
「元気だよ。楽しいよ」と「全然、元気じゃない。ヤバめ」が一日の中で何度も入れ替わるんだよ。

鬼滅の刃の我妻善逸の壱ノ型「霹靂一閃六連」かよ。いつの間にそんな技を極めたんだよ、自分は。いらないんだよ。そんなアップダウン。平坦でいいんだよ。水の呼吸「凪」くらいでいいんだよ。でも、あれ、冨岡義勇さんのオリジナルの型なんなんだよな。なんだよ、拾壱ノ型って。拾超えちゃってるじゃん。かっこいいかよ。

そんなくだらない考えが、取り留めもなく、頭の中を動き回る。

そんな状態だから、「最近、体調、どう?」って聞かれるの、なんかちょっとしんどいんだよな。どっちの自分を選んで話さないといけないのか、この場面で求められてる「自分」は、どっちだろう?って考えちゃうから。

それで「善逸の霹靂一閃六連って感じ」って正直に答えても「はあ?お前、なにいってんの?」ってなるじゃんか。逆にヤバいやつだよ。なんの逆なのか、よくわかんないけど。


でも、わたし自身も、「最近、体調、どう?」って、聞いちゃうんだよな。
もっといい聞き方って、そこにただ一緒にいられる方法って、ないのかなって。
なんだか、そんなことを、考えたりしちゃったりする。


立っているのがしんどい。酸素が重たい。呼吸が、つらい。
そんな風に感じるほど、世界の重力は、何倍にもなって、僕らの上にのしかかる。
月曜日の朝、学校に行こうと重いカバンを持ってドアを開けようとしたら、「ゴミ出すの忘れてたわ、これ捨てておいて」って、めちゃくちゃ重たいゴミ袋をポイって有無を言わさず渡されるような。そのくらい、本当に唐突に、軽いノリで、ポイっと。重力ってやつは、その重たさを思い出して、忘れてた分まで一緒くたに、僕らの上に降り注がせる。

その重さは、多分ずっと、そこにあったんだ。ただ、重力の中で生きることを生まれ落ちた瞬間に定められた僕たちは、重力に押し潰されないで踏ん張る方法を、きっと自然と覚えていって。だから、重力がそこに存在することすら、忘れてしまっていて。それが、いわゆる「普通」ってやつなんだと思う。

でも。苦しさや生きづらさの中に生きている僕たちは。ふと夢見心地から目が覚めるように。静かな水中で赤ちゃんみたいにただよって、たまに水面に浮かんで空気を吸い込むように。そんな風に。多分、たまに、このとてつもない重力の中で生きてることを、思い出してしまうようになっちゃったんだ。

じゃあ、また、忘れればいいだけなのかな。
重力がある世界に生きてるってことを。重力の、存在を。

でもさ。
それができない、素直で、実直で、正直なやつばっかりなんだよな。
それって、逆にいいことじゃないのかな。なんの逆なのか、よくわかんないけど。

ミレニアル世代、大丈夫かよって言ってたけど。
ミレニアル世代っていうか、ゆとりを経験した世代だよな。
その世代ってさ、最近の言葉では、「さとり世代」っていうらしいよ。
悟っちゃってんのか。僕らは。
だから、重力のことも、思い出しちゃったのかもしれない。

多分、きっと、それだけの、ことなんだ。
そんなこと、なんの救いにも、ならないかもしれないけど。

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