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大切な人が死にたいと言った日

10年以上も前のことだ。

甘酸っぱい初恋の相手がいた。
わたしよりひとまわり以上も年上だった。
お互いに好きだったけれど、埋められない歳の差が高い壁となってふたりの間に立ちはだかった。

彼は、わたしを守るため、大切にするために、”付き合わない” という選択をした。だからこそ、わたしたちはその後もずっと兄妹のように仲良しだった。(もちろん、妹の方はずっと叶うことのない甘酸っぱい想いのカケラをその心のうちにもっていたんだけれど)


わたしがオトナになってしばらくした頃、彼の心がつぶれた。詳しいきっかけはよくわからない。でも、今思えば彼は重度のうつに陥っていた。

「死にたい」と彼は言った。
「死にたいけど、自分で死ぬのは怖い。地獄だ」とも言った。

夏の名残を残す、夕暮れのことだった。東京の街に埋もれるように流れる小さな河川敷を散歩していたときのことだった。

彼は泣いていた。

さらさらと流れる川の音と、秋の香りをほんのり運ぶやさしい風が、彼の涙に寄り添っていた。


死んでほしくない、と思った。
でも、「死なないで」なんて、言えなかった。
つらそうな彼を間近で見ていたから。
その苦しみを持続させることが、彼をどれだけ苦しめるのかをわかっていたから。

だから、わたしは代わりに、「殺してあげようか?」と言った。
「自分で死ぬのが怖いなら、それでも生きているのがつらいのなら、わたしがあなたを殺してあげる」


結局、彼は死ぬことも、殺されることも選ばなかった。生きることを選んだ。選んでくれた。


何年も経って、久しぶりに会ったときに、あの河川敷での話になった。
「つむが、あのとき俺の命を救ってくれたんだよ」と彼は言ってくれた。

「『愛してる』なんて、ただのガキンチョの戯言、おままごとだと思ってたけど。本当に愛されてたんだなって、あのとき思った」とも。


彼曰く、当時わたしは彼の好きなところを100個、紙に書き出して手紙にして渡していたらしい。あなたには、これだけの素晴らしいところがあるんだよって。人として、生きてる価値がこれだけあるんだよって。そんな想いを込めてたんだろうか。

私は、その手紙のことを覚えていなかった。
でも、覚えていないそのひとつの手紙が、誰かの命を繋ぎ止める杭となり、生きるための希望となったのなら。

こんなに光栄なことはない。


彼は、もうすぐ入籍する。
気分が落ち込むことはたまにあるけれど、数年通ったカウンセリングのおかげで、だいぶ落ち着いたらしい。

あの日、「死にたい」と言った彼に「殺してあげるよ」と返事をしたことが、正解だったのかはいまだにわからない。

それでも、彼が前向きに今という日常を生きていることを、良かったなって思う。そして、彼にはこれからの人生、つらかった分も、もっともっと幸せになって欲しいと、心から思う。


また、一年が過ぎる。夏は終わりにさしかかり、暑さの中にも秋の香りがほんのり混じる。あのやさしい風が、また今年もわたしを包む。やさしく。あたたかく。

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