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29歳(クリスチャン)の人生選択最中に揺れる心情

ほんの少しご無沙汰しております!

先月末、コロナ禍を機に働かせて頂いていた会社を辞めました。

稼働期間約一年ほどなので転職文化の発達している欧州でも中々の短期です。

理由は多々あるのですが、

・好んで始めた職種ではなくコロナ禍の影響により夫婦共に失業した結果、大黒柱として暮らせることを考慮し働いていた会社であったこと
・今年2月に無事夫の再就職が決まったこと
・頻繁に体調を崩しており休養が必要で、生活習慣も見直したいこと
・この先の身の振り方について考える時間が欲しいこと

主にはこのような理由により、一旦箸休めさせていただいております。

30手前で会社経験あれど専門資格等スキル証明できるもの極小×海外在住×コロナ禍という中奇跡的に得られたフルリモートの仕事であったので、手放すのに躊躇いのなかった訳ではありませんでしたが、、

生活を守ることの出来た期間に感謝しつつ、自分/自分達の人生の主旨を見失ってはならないよね!と、夫婦で相談し合った結果の選択でありました。

とはいえチームリーダーと人事の方より「パートとしてでも良いからいつでも戻っておいで。」と心優しく言っていただけ、どうにかなったらお言葉に甘えさせて頂こうと思っている所存でもあります。

(昔ならば「決めたことなので絶対に戻りません。」なんて虚勢を張っていたのかも...)

ところで辞めてからはまだ日が浅いものの、来る日も来る日も様々考えながらまだ混乱しています。この先どう身を振っていくべきなのかがわからない...

noteでも近い心理状態の方々を沢山見つけて、このくらいの歳、に限らず、コロナ禍の影響によっても多くの人々にとって迷いを感じことになった時期だよね、と再確認。

キャリアの道、キャリア的ではない情熱の道、子育ての道、奉仕に人生を明け渡す道、その他諸々の分岐点。

組み合わすことのできる道もあるけれど、どの道選んでも失うものやリスクが付いてくるし、30歳前後の選択の多くは後々取り返すことが困難極まる可能性も高い。

先読みしにくいご時世でもあるし。。

一年前のようにまた夫婦共に失業したり何か問題が起きたら、と嫌でも考えてしまうし、そういった推定と対策はしておいた方が懸命であるとも思う。

前回は仕事を得られなんとかはなったものの、もし私に夫婦で”無理なく”暮らしていける位稼げるスキルがあればこの一年間のように切り詰めた苦労はしなくてよくなるだろうし。。

それにそれが今までの経験や自分の得意を活かせる仕事であれば何よりな上、そろそろ人並みに貯金だってしていきたい。今なんかほぼ無いようなものだからね、本当に。

ただ暫くはオーストリア在住であり、いつか何処かのタイミングで日本に帰国する可能性もなくはないから、どちらに居ても仕事にできる必要がある。

そしたら、うーん、でも、うーーん。

悩む。

そんな時に思い出す聖句。

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

- ピリピ人への手紙 4:6‭-‬7

昨夜も日曜礼拝説教を観ながら、「自分自身が今人生のことをめちゃくちゃ世的(クリスチャン的ではなく世の中的な見方)に考えてしまっているなぁ」と思いました。

「あれを始めるにはもう遅い」「今スキルや資格を得なければ、将来衣食住がままならないかもしれない。」なんて漠然と思い悩み涙を流したり、

義理ママに『Wie alt!(なんて歳がいってるの!)早く子供を、少なくとも一人は産まなきゃいけないわよ。』と言われたのを真に受け大爆発したり(笑)、、

クリスチャンとて当然この世に生きており全ては自分事なのだから、仕事、子供、将来、きちんと考えて決断していかなくてはならないことには変わりありません。

けれどクリスチャンなのにクリスチャンになる前と同じような思考回路と行動をしているようでは、それはクリスチャンらしからぬ生き方です。周りの人はどうしたって色々言うものだしね。

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

- マタイによる福音書 6:34

「人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。」

- 箴言 16:9

「人の言うことをいちいち気にするな。 そうすれば、僕があなたを呪っても 聞き流していられる。  あなた自身も何度となく他人を呪ったことを あなたの心はよく知っているはずだ。」

- コヘレトの言葉 7:21‭-‬22

今後について真面目に考え計画しつつも、思い煩うのではなく今日一日自分の出来ることに力を注ぐこと。人の言うことをいちいち気に留めないこと。

そんな日々を繰り返していく中で、将来も平安を持って生きていけるということを信じていくこと。必要がないことを嘆くのではなく、あるものに感謝を持ち、御心が何であるかに心を留め祈り求めていくこと。

反省。

そしてこうして今自分に必要な御言葉を充てながら書き綴っていると心が軽くなり、今心に平安を取り戻してきています。

多くの恐れや心配は、状況や環境以上に自分自身の内側の問題なのですよね。

まず衣食住できていること、そして休養の時間を与えられている現在に感謝です。この時間を喜び、可能な限り有意義に過ごしたいと思います。🌿

天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。



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