雪解けの大地が映し出す「心」のほぐれ②
雪解けが進みはじめる、4月の北の大地。
この地に足を踏み入れるのは、前職の出張以来となる6年ぶりだった。
今年の札幌は記録的積雪で、道や線路の脇に名残と、風の冷たさが頬に触れる。
もうすぐ芽吹き始めるだろう木々たちを眺めながら、旅の目的地まで心が先へ先へと急いでいるを感じる。
待ち受けていたのは、期待を遥かに超える、気づきと変容だった。
1話は、こちらから ↓↓
4.事実と主観
「まず初めに、事実と主観を分ける練習をします」
慣れ親しんだ言葉だった。共に学んだ、大学院での生活を思い出す。
ファクトは?
考察は?
切り分けられなければ、経営判断はぶれてしまう。重要な視点だ。
一緒に訪れたのは、MBAの学友、難なくこの課題はパスする。
事実を話す論理的思考と、主観を話す空想的思考、この両方を全員が器用に使いこなしたのは意外な発見だ。
Amiiさん曰く、客観と空想、どちらかが苦手なことが多いという。
これは憶測だが、幼子を育てた経験があると、自然と身に付くバランス感覚なのかもしれない。
3歳の息子に、論理的な説明は求めない。ましては3歳以前はなおさらだ。
空想で話を作ることができたならば、それはそれで素晴らしい才能だと、芽を育てようとする。一緒に考えることだってある。
この日常が、ワークのなかでも映し出されたようだった。
たまたま、今回集まった4人は子を育てる母親という役割を担っていた。
その共通点は、バランス感覚という特徴で結び付けられたのかも知れない。
各々の目の付け所はカラフルだった。
俯瞰した視点
奥行きのある視点
動的な細部への視点
背景描写への視点
関係性への視点
個性がよく表れている。
普段の、世界の見え方を共有すると、その人の見る世界がよく分かる。
俯瞰的に事実を見る私は、広い視野に映る静止画を伝えようとしていた。
その視点も伝えると、Amiiさんから重要なフィードバックを受けた。
「静止画というけど、これから3日間は馬の微妙な変化に目を見張って。」
馬はほとんど動いていないように見えた。
事実、歩むという大きな動きはなかった。その中で、耳や鼻や尻尾の変化までは目を向けていなかったというのも、これまた事実だ。
この時間、私にとっては、仲間たちの視点・視座の交換になった。
でも、本当の狙いはそこではなかったのだと思う。
なぜ、このワークが必要だったのか。
それを体感するのは、3日目の最後のアクティビティワークの時だった・・・
おっと、論理的な話になったら、ついつい情緒から離れた文章に。
5.馬への名付け
待望の馬先生との対話。
アクティビティが始まる前に、私たちで名前をつけた3頭の馬。
フワちゃん: たてがみがフワフワしているから
歌舞伎: 頭に隈取りのような模様があるから
キムタク: なんとなくキムタクに似ていたから
全て芸能関係。ミーハー感が満載の私たち。
名前の決め方一つとっても、それぞれの普段の生活が垣間見える。
なかなか第一声を発しない。お互いに、意見することを、初めに口を開けることを、遠慮していることが、場の空気から伝わってくる。
一人が、思い浮かんだワードを空中に投げ、選んだ理由を論理的に小声で補足する。それに釣られて、みんなが思い思いに発する。
誰に伝えるわけでもなく、お互いに俯きながら。
鳥のさえずりが響く。
耐えられなくなって、私は直感的に選ぶ。
「この子は、フワちゃんで!」
誰かが決めると、一気に流れが変わる。
それまでの沈黙が嘘のように、ぽんっぽんっと名前が決まっていった。
芸能界のような輝かしい名前に、笑顔を浮かべながら、場が和んでいく。
今この物語を書いているのは、ホースコーチングから帰ってきてから2日目。
あの時は、なんとなく過ぎていった時間の一つひとつを、詳細に思い出して観察して、丁寧に意味づけをしている自分の姿に、変容を感じている。
Amiiさんが放った「微妙な変化に目を見張る」という言葉が、今でもリフレインする。
そう、静止画のように見えている風景には、瞬間ごとに、たくさんの変化がある。見落としてしまいそうな、些細な変化。大きい、小さいではない、その変化には重要なメッセージが隠されていることもある。
言語では伝えていない、微妙な思いをそれぞれが抱えている。
目に見えるもの、耳で聞くことだけではなく、微細なものを感じ取っていく。すでに、部屋に入った時から、ホースコーチングは始まっていた。
思考するのではなく、感じること。
観察、丁寧、意味付け、この3つは私にとって大切なお土産になった。
6.手放したいもの
待ちに待った馬との対話時間が訪れる。何が始まるのか、未知の体験に、心が落ち着かない。
初めて、馬場の中に入った瞬間、外とは明らかに違う緊張感が漂っている・・・いや、その緊張感を発しているのは私?
例えるなら、起業した時の感情にそっくりだ。
健全な、未知に対する恐れと希望。
馬は鏡
この言葉の意味が、その瞬間スッと入ってくる。馬の目の奥に映る私。
これは、馬との対話であり、私との対話の時間だと。
パチン!
何かのスイッチが入ったのを感じた。
馬場の入り口をくぐった瞬間から、言葉は一切発しない。
比例して、思考はぐるぐる巡る。うるさいくらいに。
伝えたいことを心の中で叫び、手を使って距離感を伝えてみる。
馬に伝わったのか、少しずつ呼吸と歩調が合ってくる。
そして、共に、最初に伝えられた「ゴール」を忠実に実行していく。
最初の未知へのドキドキは、いつしか共同者として目標を目指すワクワクに変わっていくようだった。
アクティビティを終えて、みんなからフィードバックを受け取るってみる。
3人との違いを自分なりに感じ取って見えてきた、自分らしさ。
伝えられたゴールに対して、猪突猛進で進む姿から見えたもの。
ビジネスモード「えすみん」を表すような特性がずらっと並ぶ。
そのリストの中でも、目的思考と最短思考という言葉に心揺さぶられる。
この1年間で、集中的に手放そうとした特性だったのに。
驚きを隠せず、人知れず声のトーンが落ちた。
「手放したはずだったのに。」
思いとは裏腹に、刷り込まれた思考法や素質は、そう簡単に脱ぎ捨てることができないのか。
「なぜ、手放したいと思ったの?」
その問いに、はっきりと答える。
「もう、規定のゴールを目指すやり方を脱したい。その未来はきっと実現できる。しかも、クイックに。そこに面白さを感じなくなっているから。想定外を受け入れて、むしろプロセスを楽しみたいと思って、ブランドを立ち上げたのに。」
想定を超える。
大切なテーマだ。好奇心ドリブンの自分を満たすためには、想定を超えてワクワクと、寄り道やアクシデントを楽しみたい。
想定、すなわち自分を超えたいし、そのためには仲間と一緒に歩んで共創することを、心から求めているから。
正解、目標、目的、ゴールを目指すこと。
これは小学校の時から、繰り返し叩き込まれたやり方だった。無目的は悪、とでも言わんばかりに、なんのために?Why?を問われ続ける。
先の未来を描き、バックキャストでプロセスを組み立てる。達成の高さとスピードを競うような、現代社会に飽き飽きしていた。
それ自体を否定するわけではない、むしろとても大切だとすら感じている。経営する上では欠かせない能力でもある。
だからこそ、手放したつもりで強く強く握りしめていたんだ。
「手放す」ではなくて「スイッチを切り替える」これが本当の望みかも知れない。この特性がある自分を、いわば拒否しようとしていたのか!?
自己否定。
この特性を持っていると受け入れ、特性自体は素晴らしいことだと認められるかどうか?ポイントはそこだったのだ。
この受け入れ、認めることができれば、あとは発揮の仕方を工夫するだけ。
なんだ、難しく考え過ぎたのか。プログラムが開始して、わずか3時間。
変化が起こり始めた。
とんでもないプログラムだ。
いや、でもまだ想定内の気がする。この手の気づきや変容は何度か体験している。
7.強制リラックス
そんな悶々を抱えたまま、1日目は終わった。
「雑談の中で生まれる気づきも大切だよ。」
という言葉を受け取って、ホテルに向かう。
札幌の街は眠らない。家族のことを気にかけずに飲みにいくなんていつぶりだろう。
全員が母。フリーの時間は貴重だ。
浮き足立って、夜の街に繰り出す。
海の幸、美味しいお酒、念願のいくら丼を囲む。
会っていなかった時間を埋めるかのように、矢継ぎ早に質問が飛び交う。
2時間でおさまるはずがない。2軒目は・・・とサラリーマンの頃のように言う勇気はなく。
「私、ここに寄っていくね。シャブリと牡蠣に惹かれちゃった。」
3人の仲間も付き合ってくれるという。
飛び上がるほど嬉しいのに、素直にありがとうと言えない、いじらしい自分。
その想いは、お酒のペースで表す。
気づけば、シャブリ2本の空き瓶がテーブルに。
ふと、頭をよぎったのは、アルコールを飲むときは強制的なリラックス状態なのかもしれないということ。
リラックスが苦手だからこそ、アルコールの力に頼っていることが多いのかもしれない。勝手に心を開いていく感覚、ある意味理性を意図的に止める。
深く語って、その日は終わり。
若い頃のノリが懐かしくて、帰り道に一人、味噌ラーメン屋に誘われる。
身体は全く求めていなかったらしい。
少ししか食べられなかったが、この感じが好きだったなあと欲望に身を任すのも楽しい。
翌朝は、しっかりと二日酔い。後悔はしない。これもまた醍醐味だ。
頭がふわふわした状態の中、2日目のアクティビティが始まっていく。
続きは次回・・・
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