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アメリカン・アニマルズ

ちょっと観たことないタイプの映画でした。4人の大学生が自分たちの通う大学の図書館にある超希少本(1200万ドル=約12億円)を強奪するという実話を、犯罪を実行した本人たちのインタビューを交えつつ劇映画にした(もともとドキュメンタリー作家だった)バート・レイトン監督の作品「アメリカン・アニマルズ」の感想です。

えー、またもやネタバレしないに越したことない映画です。なので、端から興味ある人は間違いなく面白いので今すぐ映画館へどうぞ。ただ、もしかするとですね。人によっては「うん、だから何の話?」ってなることもあるかもしれないので、なぜ、僕がこの映画を面白いと思ったのかってところを中心に書きますね。(つまり、ネタバレしても面白さに変わりなさそうなところで話せたらと思っています。出来る限り。あくまで出来る限り。)

まず、ちょっと観たことないと書いた部分なんですが、犯罪物の実話なんですね。大学生が図書館の希少本を盗むという。で、ドキュメントではなく完全に劇映画で、その主演の4人(ウォーレン、スペンサー、チャズ、エリック)のモデルになった実際の犯人たちのインタビューが要所要所に挟まれるって構成になっているんです。だから、簡単に言えば、あの、あれです、テレビの再現VTR(インタビューは本人が答えて、再現ドラマは役者が演じるっていう。にしてもそこにノコノコ犯人が出て来るってことはまずないですが。)。で、さすがに劇映画でこのやり方は見たことないんですけど、似たようなやつは最近いくつかあって。例えば、フィギュア・スケーターのトーニャ・ハーディングのスキャンダルを映画化した「アイ、トーニャ」は、実際の人物たちにインタビューした映像をその本人を演じた俳優が再現するっていうのをやってましたね(映画の最後のところで本人映像が流れるんですけど、絶対に誇張してるだろって思ってたところが一部の狂いもなく完全再現だったりして、そこが一番アガったんですけど。鳥乗ってたり。)。あと、本人が実際に出演してるのだと、クリント・イーストウッド監督の「15時17分、パリ行き」。列車強盗に巻き込まれた人達の群像劇で、こっちは被害者がそのまま本人役を演じていました。だから、これに関してはまるっきりの新機軸ってわけでもないんです。ただ、この「アメリカン・アニマルズ」が面白かったのは、実際の犯人の4人がちゃんとキャラ立ちしてるっていうところで。特に主犯格のウォーレンなんかは、最初のインタビュー・シーンは完全に俳優が演じてると思ってたくらい。しばらくしてテロップで「(本人)」て出て、やっと「え、これ本人なの?」ってなりましたから。で、それだったら(インドネシアの大量虐殺を題材にしたドキュメンタリー映画の)「アクト・オブ・キリング」の様に、本物の犯人たちに実際に演じてもらうってのも出来そうだなって思ったんですけど、この、実際の犯人が出てるパートと俳優が演じてるパートを分けて並列に並べるっていう構成こそが「アメリカン・アニマルズ」の本質と言うか。えーと、だから、最初からフィクションとノンフィクションが曖昧になりそうな題材なんですよね。これ。(で、その本質への誘導の仕方がちょっと他に見たことないなと思ったんです。)

要するに、事実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)の2重構造っていうのが「アメリカン・アニマルズ」の本質だってことなんですが。実話を映画化した場合に、本編の最初に " これは事実に基づく物語です。"っていうテロップが出ることがあるじゃないですか。そこがこの映画の場合、まず "これは事実に基づく物語ではありません。"て出て、それに続いて"これは事実です。"って出るんですよ。つまり、ドキュメンタリーとして描くことも出来たストーリーをわざわざ劇映画として作っておいて、その冒頭で" (しかし、)これは事実です。"って言っているんですね。「じゃあ、事実って何だよ。」って話になるじゃないですか。(はい、というわけで、ここからようやく映画本編の話です。)映画は3幕構成になっていて、最初の章で普通の大学生だった4人がなぜ犯行に及ぶことになってしまったのかというのをやるんですけど、この映画、その " なぜ? " っていう動機の部分が凄く希薄なんですよね。主人公のひとりのスペンサーをバリー・コーガン(やっぱり、バリー・コーガンは出て来るだけで不穏でいいですね。彼自身が事実とフィクションをごっちゃにした様な存在感があります。特に「聖なる鹿殺し」でもあった食事シーンの不穏さ。今回の映画は別に食事シーン不穏にする必要ないと思うんですけど同じ様な不穏さがありました。あれ、何か意味あるんでしょうか。)が演じているんですけど、スペンサーは芸術家を目指していて、芸術家というのは何か特別な生き方をしていないといけないと思っているんです(だから、芸術家を目指している自分も特別な人生を送らないといけないと。)。そんな中である時、大学図書館に貯蔵してある「アメリカの鳥類」という超希少本を見るんですね。で、その鳥の絵に魅了されるんですけど、僕は、たぶんスペンサーは純粋にその本を好きになったんだと思うんですよ。でも1200万ドルの本と、特別な人生も送れていない普通の大学生の自分というあまりにもな差に歪んだ魅了のされ方をしてしまったんじゃないかと思うんです。で、それを友達のウォーレンに話すんですが(希少本の芸術的素晴らしさではなく、その金銭的価値と警備の薄さを。)、ウォーレンは廃棄処分になった食べ物を倉庫から盗んで横流ししたり、要するにセコイ犯罪を繰り返していて、要するに(暇だから)人生に刺激を求めているんですね。そこに1200万ドルの話を聞いたわけで、半ばノリでそれを盗むことを提案するんです。これこそスペンサーが求めている"特別な人生"じゃないかと。僕はこの犯罪の始まり方って凄くドラマチックだなと思うんです。アーティストを目指す男がアートに魅入られて犯罪を犯すっていう。だから、それって映画(フィクション)的な意味での犯罪を犯すことへの"なぜ?"には意味があるってことなんですよね(犯罪に手を染めたのは「アメリカの鳥類」という本に魅入られてしまったせいだと。)。ただ、これを事実として捉えると途端に"なぜ?"の部分が希薄になって、"なぜ、それだけの理由で犯罪というリスクを犯そうと思ったのか? " となるんです。つまり、現実として見ると動機が希薄過ぎて愚行にしか見えなかったことが、劇映画としてストーリーを推進させるという意味では成立していて、しかも、それによってドラマが立ち上がってくるという。正しくこれぞ映画っていう成り立ち方をしてると思うんです(だから、僕はこの映画は"鳥に魅入られてしまった男の呪い"の話だと思ったんです。人生のターニングポイントとか衝撃的な出会いを"呪い"として描いた作品だと。で、それが一概に間違いじゃないなと思ったのは、スペンサーは現在、鳥を専門に描くアーティストとして活動してるらしいんです。)。

こうやって、ひとつの物語をノンフィクションとフィクションの両面から見られるのがこの映画の面白さだと思うんですけど、ストーリーが進めば進むほどノンフィクションとフィクションの境界が曖昧(というか雑)になっていって、例えば、後からスカウトされて仲間になる頭脳明晰なエリックはF.B.Iを目指してるのにも関わらず彼らの犯罪計画に乗るんですね(普通に考えて捕まえる側を目指してる人が捕まる様なことに加担しないですよね。)。だから、これもスペンサーが「アメリカの鳥類」を見たことによって発生した"特別な人生"っていう呪いが他の3人に感染して行ってると思うと、映画としては納得いくんですよね。で、そうなってくると、もうコメディですよ。若さっていうフィクションとしての熱さが裏を返すと単なるバカの愚行っていう(さっきと逆のパターンです。)。だから、この辺までは映画的虚構(フィクション)の方に寄って(彼等の犯罪計画にワクワクしながら)観ることが出来るんですね。ただ、それが、いよいよ2幕目に入ると、妄想が現実に巻き取られていく様な、最早、ホラーと言っても過言ではない事実の(事実を事実として描くほど映画がホラーテイストになって行くという。)反撃が始まるんですよ。そして、ここがまた超絶面白いんです。

要するに彼等の思ってた様にはストーリーは展開しないっていうことなんですけど。それは、まぁ、当然で(なんたって実話なんで。)。その中で変化していく4人の心理状態とか焦りとか、普通の大学生が"特別な人生"に憧れて一歩踏み出してしまった場所がいかにヤバイところだったかってことなんかが、もの凄く丁寧に、めちゃくちゃリアルに描写されていくんですね。だから、「だったら、こうすれば?」とか、「それなら、こっちの道は?」なんて自分ごととして考えながら観てしまうんですけど、そういう考えのひとつひとつが嫌味な程丁寧に(ただ、これ事実なんですよね。)潰されて行って(映画的演出で潰してるわけじゃないんですよね。事実なんで。)、完全に行き止まりの袋小路に入ってしまったことに気づいた時のその恐怖(ここ、「ヘレディタリー」のあのシーン。「ああ、この瞬間に全てが終わってしまった…。」って実感する例のあのシーン。あれを観た時と同じ感覚だったんですけど。それって、ずっとフィクションとして見せられて来たものが急に現実として目の前に突きつけられる恐怖なんですよね。それを「アメリカン・アニマルズ」は"事実"側から描いてるんだと思うんです。)。だから、犯罪の現場をリアルに描くって意味でこれほど臨場感を感じた映画はなかったし、こういう疑似体験をさせてくれるのが正に映画だし、この映画が言ってる"事実"ってのはこのことだったんだなと思うんです。

で、最後の章です。まぁ、この最後の章は観てそれぞれが感じたことが全てではあるんですけど、言ってしまえば、ここまでは単に事実を積み重ねてるだけとも思うんですね(ドキュメンタリーの手法を逆手に取って劇映画を作ってると言いますか。実際のスペンサーたちの証言の違いによって劇映画の方の設定が変わって行くのとか、あくまで事実を突き詰めようとするとこうなるってことだと思うんですよ。)。だから、それって手法の面白さですよね。だけど、このあとの3幕目で語られることはそうじゃないんですよ。僕は、総じて見たらこの映画は青春映画だと思うんですけど、この3幕目があることによって青春映画たり得てると言いますか。事実を積み重ねた上で「さぁ、これを観て皆さんどう思いますか?」って突き放して終わらせても良かったと思うんです。ドキュメンタリー的にやるなら。でも、この映画は事実を積み重ねたところに何があったのかっていうところまでをやっていて。物語の最後にある答えを出してるんですね。それって凄く劇映画的だし、そうすることによって現実の厳しさと青春映画としての甘酸っぱさが同時に存在するという、ちょっと今までに観たことない感覚の終わり方になってると思うんですよね(ウォーレンのインタビュー中に犯行中の映像が一瞬インサートされるところがあるんですけど、あれ、あそこで踏み留まっていればっていう最後の瞬間ですよね。きっと。ああいう切なさの描き方ってこのやり方じゃないと出来なかったんじゃないかなと思います。)。

はい、ということで、結果、「アメリカン・アニマルズ」がどういう映画だったのかというと、承認欲求とか特別な人生とか、そんな気持ち思春期の頃に忘れて来たと思っていたのに「ああ、違った!」こんな年になっても、まだ、それに振り回されなきゃならないのかということを嫌という程思い知らされる地獄の青春回顧録みたいな映画でした。

http://www.phantom-film.com/americananimals/

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