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【映画感想】SNS-少女たちの10日間

はい、3回目の緊急事態宣言によってほとんどのシネコンが閉まっておりますが、頑張って開けている単館系の映画館もありますので(ていうか、そもそもマスク必着で人と喋ることもなく過去にクラスターも出ていない映画館に休業要請をする意味がよく分からないですが。)、しばらくはそういうところとネットフリックスなど配信で映像作品を摂取していこうと思います。というわけで、気になっていたチェコのドキュメンタリー作品『SNS-少女たちの10日間』の感想です。

えー、まず、どういう映画なのかというとですね。世界中で10代の子供たちがSNSを利用する様になった現代で、そういう子供たちを性的に搾取しようと狙ってくるおっさんたち(もちろん、たまにおばさんも)がいるわけですが、その現状を白日の下に晒そうと、見た目12歳くらいに見える俳優を集めてSNSの偽アカウントを作り、いわゆるその手のサイトに登録してみるという実験をしているわけです。で、まぁ、案の定というか登録した途端に結構な数の連絡が来るわけですよ。世界中のおっさんから。で、画面を繋いでみると(この相手から連絡が来た時の呼び出し音がとてもかわいらしいというか子供っぽい音楽で、そのメルヘンな呼び出し音で繋がった先のえげつない会話と映像とのギャップがこの作品でいくつかある"映画的な部分"だったんですが。)自己紹介もそこそこに「服を脱いだら?」なんて言い出すわけですよ。ニヤニヤしながら。で、更に暴走して自らのイチモツを映したりポルノ動画を送りつけたりと。相手してるのが本当の12歳の少女ではないと分かってはいてもこれはひど過ぎるんじゃないか。世の中こんな男ばっかりかとさすがにショッキングな映像のオンパレードに辟易とするんですが、あの、ただ、これは全く知らない世界ではないんですよね。

少女たちを性的な目で見る大人は昔からいて、SNSが出回る前からそういう事件はあったわけです。ただ、そういうことはたまにニュースで出会うくらいのことだったんですが、それがSNSの発達によって日常的に出会うものになってしまったわけで(娘を持つ父親としてとても恐ろしいし、そういう意味で観とかないといけないかなという思いもありました。)。子供たちがそういう大人の世界みたいなものに興味を持ってそこに近づいて行ってしまうというのもよく言われてる話で(だから、僕はこの手の男たちが存在するということよりも、そういう利害関係が一致してしまうことの簡単さに驚いたんですよね。)。つまり、この映画で描かれる現実というのはショックではあっても、思いもよらないような未知の世界というわけではなくて。条件さえ整えば充分にあり得るある意味よーく知ってる世界なわけです。もちろん、こういう事実というのは告発されるべきだし、犯罪として取り締まわれるべきで、この作品が元になって実際にチェコ警察が動いたということはとても素晴らしいことなんですが、何て言いますか、要するにこの映像はそういう類のものというか。『犯罪を告発する』それ以上でもそれ以下でもないというか(それはもちろん意義のあることなんですよ。何度も言いますけど。)。僕にとってはこれは"映画"ではなかったんですよね。ただただえげつない映像を「ほら、世界ではこんなにショックなことが起こっているよ。」みたいな感じで見せられて、ちょっと途中から「オレは今何を見せられているんだろうか?」という気分になってしまったんです。

えーと、では、僕にとっての"映画"とはなんなのかというと、知らなかった人生を体験させてくれるとか、知らなかった景色を見せてくれるとか、いや、例え知っている世界だったとしてもそれを全く違う視点で見せてくれるとか、そういうもので。この作品にはそれらがひとつもなかったんですよね。例えば、僕がこの映画の中で最もショックだったのは、こうやって少女たちを性的に搾取しようとしてくる男たち(時々女性も)というのは小児性愛の人たちというわけではなくて、割と普通の性的傾向を持っている人たちで(作品内で専門家の先生が小児性愛のある人たちは「少女の裸には興味がない。子供の世界に入り込みたいだけ。」と言っていたのがとても印象的でした。)、つまり、子供であれば力によって支配出来るからというところだったんですが。それって、普通の男の人の中に女性を力で封じ込めなければ性的なことに至れないという風に思っている人がもの凄い数いるってことじゃないですか。これ、最早、子供が危ないってだけの話じゃないものが見えて来てると思うんですよ。でも、この映画では(子供を搾取しているのは性的に特殊な人じゃなくて普通の大人だって言ってるにも関わらず)、ただ、その暴力性にのみ注視して糾弾するだけなんです。僕は(自分の中の暴力性も感じた上で、同じ様な危険性を持つ男性という立場として)この男たちの行為の根源が何から来てるのかっていうことの方が重要なんではないかなと思ったんです。これがどんな男の中にも存在する暴力性なのだとすれば、やった行為を(この映画のラストの様に)糾弾して告発するだけでは根本的な問題の解決にはならないんじゃないかと。男たちの中の暴力性の元となっているものはなんなのか。これが映画であるならば、その背景(つまり人が生きている世界)を描くべきだったんではないかなと思うんですよね(あと、この映画のディレクターらしい男性が同じ危険性を持つ男としてどう感じているのかということも。正直、「お前も同じ男だろ。何、自分は違うステージにいますからみたいな顔してんだよ。」と思ってしまいました。)。その視点がこの作品にはないと思うんです。やろうとしてることに意味はあるし、エンターテイメントとしても面白いとは思うんですけど、映画にはなってないと思うんですよ(あと、面白かったのは、話をしたい少女たちと、その少女を性の道具としてしか見てない男たちとの会話のギャップ。少女が12歳を性の相手にするのは問題なんじゃないかという意味で「12歳だけどいいんですか?」と問うと、男たちは「自分が相手で満足出来るのか?」と聞かれたと勘違いして「年齢は気にしない。」と答えるんです。こういうとこもっと突っ込んで描いて欲しかった。こういうお互いに見てるとこが違う感じというのがこの映画に登場する男たちに共通する根本的な間違いの様な気がするので。)。

最後に、数少ないこの映画の"映画的な部分"で最も「ああ、映画観てんな。」と感じたところを上げておきます。実際にやりとりしてる男性に会うことになった俳優の女性が(恐らく)役を忘れて男のそれまでのやり口にぶちぎれるシーンがあって、最後、飲み物を男にぶちまけて立ち去るんですが、その時に、それまで少女を脅すだけ脅していた男がめちゃくちゃ気弱になって、小さな声で「仕方ない。」ってつぶやくんですよ。このつぶやきの意味が"口説くの失敗してしまったけど仕方ない"なのか"酷いことしてしまったからこんな風に罵られても仕方ない"だったのか。それを考えることがこの作品の中で最も映画的だったかなと思いました(あ、あと、あるシーンで犬が出て来るんですが、この犬がとても的確に引いた視点とユーモアを持って現状を写していたのが良かったです。)。



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