カメラを止めるな!
2018年の日本映画の中で、今のところ最も話題になっているゾンビ系青春コメディ映画(いや、こう言っちゃうと、それはそれでまた違うな。)「カメラを止めるな!」の感想です。
ということで、もう映画体験としては、正に今、この話題になってる真っ最中に観るのがベストだとは思うんですが、その話題になり方がですね、ちょっと僕が知ってる中でもありえない様な拡がり方をしていまして。まず、映画の規模とバズり方の熱狂度にもの凄いギャップがあるんですね。あの、根本的に自主映画というか、ENBUゼミナールという監督とか俳優を養成するスクールのプロジェクト作品で、もともとはワークショップ的に作られた映画らしいんですね。だから、いわゆる劇場公開を想定して作られた映画ではないんです。で、更に、恐らく全貌を知ってから観に行ってる人ってほとんどいないと思うんですよ。(しかも、観た人が、内容に触れることを説明して人に勧めてるってこともないと思うんです。)なぜなら、映画のほとんど全てのことがネタバレに相当するからなんですけど。こういう映画製作上のことに併せて、(僕が観に行った当時で)都内2館のみの上映という公開規模の少なさ。(今は徐々に拡がってるらしいですが。)しかも、平日も含めて連日全時間満席という。この話題になっているのに観たくても観れないということの効果もあるとは思うんですね。ただ、ここまで話題になっていることの本質には、映画そのものが持ってる圧倒的な面白さというのがあって。でも、それを伝えたくても伝えられないわけじゃないですか。(ネタバレになっちゃうし、映画の構造上絶対ネタバレしたくないので。)じゃあ、「とりあえず観てよ。」ってなっても容易に観ることも出来ない。でも、観たら絶対面白いと思うから観て欲しいわけですね。そうすると、その「面白かった。」っていう情熱のみを人に伝えることになるわけです。で、観ると、なるほど、その「面白かった。」っていう情熱の部分、正にそれこそがこの映画の核だったというか、「映画ってこんなに面白い。」っていう(この映画を作ってる人たちの)熱の部分にあてられることになるわけなんです。(その映画体験としての素晴らしさがこの映画の本質だと思ってます。)つまり、誰にでも分かるハッキリとした凄さと面白さに満ちている上に、その映画哲学みたいなものまでがきっちり伝わって来る様な作品なんですよね。(だから、マジで「面白かった。」以外言うことないんですよ。)しかも、その面白さを構成しているのが誰も思いつかない様な天才的なアイデアとか、圧倒的なセンスの良さとか、そういうことではないんです。(いや、もちろんセンスもアイデアもあるんですが、それがこの映画の面白さの核の部分なのかと言われれば違うんです。強いて言えば脚本の面白さなんですよね。過去にあった様々な映画的アイデアをどう受け取ってどういうポリシーで見せるかっていう。)
あ、あの、ドミノ倒しってあるじゃないですか。そのドミノ倒しのテレビ番組って昔ありましたよね。(突然、全く関係ない話し出したと思っていると思いますが、ちゃんと繋がりますから。)ドミノを並べるところから始めて紆余曲折あって、最後にドミノを倒して大団円するやつ。あれに僕は当時からそこはかとない違和感を感じてまして。ドミノ倒しって、本来はドミノが倒れることによる美しさとか面白さとかがメインの芸術なわけじゃないですか。なんですけど、テレビ番組にする時に、その製作過程を入れた方がいろいろドラマがあって面白くなるわけなんですね。(あと一歩というところで誰かが躓いて失敗するみたいな。)で、それは、なんというか、ドラマではあったとしても本来のドミノ倒しの面白さとは関係ないよなぁと思ってたんです。(もっと、意地悪な言い方をすれば、ドミノとしてはたいしたことなくても、それを作る過程にドラマがあればそれで良くなってしまうというね。)で、僕は、努力したから偉いとか、頑張ったんだから良しとしようみたいなことが芸術的な面白さとかパッションよりも重要視されることに、なんかちょっと納得いかないなと感じていたんですね。(全く頑張ってなくても面白いものは面白いと評価されるべきだし、ぶっちゃけ努力してたとしても、そこの部分は作品の評価と関係ないんだから見せるなよと思うわけです。)で、この映画はですね、一見、そのドミノ倒しの番組と同じ様な体裁をとっていながら、じつは、"映画の面白さとはそういうことではない。"ということを実感させてくれる様な映画なんですよ。(この映画からそれを感じた時に感動したんですね。僕は。)
えー、この映画の第一幕は37分間ワンカット(後から編集しないで同じカットで最初から最後まで撮りきるっていう割とアクロバチックな映画の作り方ですね。)のゾンビ映画なんです。ある山中の廃屋にゾンビ映画を撮りに来たクルーがいて、そのスタッフたちがその場所の呪いによってゾンビ化していくって話なんですけど、これがまぁ、よく出来てるというか、この低予算の自主映画でよく撮りきったなって作品になっていてですね。なんですけど、自主映画的な甘さもあって、セリフの間が妙に空いていたり、何かのキッカケの様に同じセリフを2回言ったり、俳優の意味不明な行動がそのまま使われていたり。ただですね、ちゃんとこだわるとここだわって撮ってるから(例えば、舞台になる廃屋なんですけど、これがほんとによく見つけたなって感じのめちゃくちや雰囲気のある場所で、ここに人がいて動いているだけでそれはもうドラマになるし、ゾンビが出て来ることの説得力にもなってるんですね。あと、そこの立地を最大限に有効利用してて、恐らく場所から逆算して脚本書いてると思うんですけど、場所が移動しても不穏な空気が目減りしないんです。それに、ゾンビ映画としてのお約束もちゃんとやっているし、人の狂気を笑いに転換するってアイデアもゾンビ映画的だし、ゾンビ映画好きとしても割と納得する作りなんです。)観てて素直に凄いと思うしちゃんとスペクタクルを感じるんです。ただ、まぁ、(僕なんかは、上に書いた様なドミノのテレビ的な見方しちゃう人間なので、)これって、仕掛けとしての面白さではあるけど、果たして映画として面白いのかな?って感じちゃうんですよね。誰が見てもすっごい頑張ってるし、思い付いてもここまでは誰もやらないよなっていう高揚感もあるんですけど、それがこの映画を映画として面白くしているかと言われれば「うーん」って感じなんですね。
だから、ここで終わったら単純によく頑張ってる映画で、その構造が面白いってだけで終わりなんですよ。だけど、この映画の凄いのはじつはこの後で、本当の映画的スペクタクルが始まるのはこの37分間ワンカットの後なんですね。つまり、この後から本当の「映画ってなんて面白いんだ。」が始まるんですが、それが努力して仕掛けたものよりも人の頭の中の面白さというか、映画的面白さとは努力や仕掛けを超えたところにあって、ただ努力して頑張って作ったねと感じていたものが単なるネタ振りに消化されて行くことへのワクワク感と言いますか。(仕掛けやそれを作る為の努力はあくまでも映画としての面白さの為に存在していて、仕掛けられた伏線を回収していくことにより、それを分からせてくれるっていうんですかね。更に、それが全部笑いに転化されて行くのも素晴らしいんですけど。)つまり、仕掛けられたプロットが一体何を見せる為にあったのかっていうのが分かって行くことによってドラマが形成されて行くんです。そこにとても興奮するんです。
ということで、さすがにこれ以上は何も言えないんですけど、あとひとつだけ、映画のラスト、少女が父親にある物を見せる場面があるんですけど、このシーンがなぜ感動的なのかと言うと、最初のワンカットのゾンビ・パートのところからずっと仕掛けられて来た最後のピースがここでハマる感じがするからなんですよね。つまり、ドラマとしての盛り上がりと仕掛けの面白さが最後で合致するからだと思うんです。
http://kametome.net/index.html
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