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CLIMAX クライマックス

「LOVE 3D」以来のギャスパー・ノエ監督作。今回は明確にホラーだったと思います。ラース・フォン・トリアー監督の新作「ハウス・ジャック・ビルト」もホラー的だったし、両監督共その前はSEXが題材になってたしで、いろんなテーマで人を不快にさせ続けてるふたりですが、追い掛けてるものに何か共通するものがあるんでしょうかね。雪深い山の中の廃墟で行われたとあるダンスチームの打ち上げパーティーが地獄と化して行く様を描いた「CLIMAX クライマックス」の感想です。

えー、ということで、なぜ、打ち上げが地獄と化して行くのかってことなんですけど。パーティーで出されたサングリアに誰かがLSDを入れちゃって、それを飲んだ人たちがもれなくおかしくなっていくってわけなんです。映画的に言ったらそれを誰が入れたのかってことでサスペンスにもミステリーにも展開しそうな話なんですけど、ならないんですよ。なぜならLSDキメちゃってるから(そして、ギャスパー・ノエだから。)。そんな理論的な展開になるわけはなくて。要するに(LSD入り)サングリアを飲んだ全員から、理性とか抑制とか人を人として扱う気持ちみたいなものがなくなって、雪山の廃墟という密閉された空間が悪意で満たされていくのをただただ見せられ続けるという(正しくギャスパー・ノエって)展開になるわけなんです。あ、だから設定としてはアレに近かったです。列車という密閉された空間でゾンビが増殖して行く韓国映画の「新感染」。なので設定は完全にホラーで、中でもこういうパンデミック物だと思うんですけど、ただ、流石ギャスパー・ノエと言いますか、やっぱりと言いますか、打ち上げ始まって結構な序盤でほとんどの人がゾンビ化し(というかラリっ)ちゃうんですね。つまり、まともな人間がひとりもいなくなる(世界を早いとこ地獄化しちゃってあとは延々地獄巡りを楽しむって言いますか。)。で、じつはこの、世界にまともな人間がひとりもいないっていうのが(正しくいつもの)ギャスパー・ノエなんですよね。

ゾンビ映画でもなんでも最悪の状況を描く場合って、そこから脱却する為のキャラクターというのが必要になるじゃないですか。そうしないとストーリーとして展開して行かないというか(あと、観客が共感しやすい様にひとり感情移入出来る側の人間を置いておくというのもありますね。)。でも、それって映画だからなわけで(観客に対するサービスの為のドラマ性と言いますか。)。それが、実際に最悪の状況下にいる場合っていうのは、その状況を(俯瞰で見て)打開しようとしてくれる様な人も、状況を説明してくれる様な人も、そこから導いてくれる様な人も本当はいなくて、ただただ地獄が続くということになるわけですよね。今回の「CLIMAX クライマックス」ってそれを描いているんだじゃないかと思うんですよ(つまり、映画なのにこの状況をどうにかしてくれる人も、そこから逃がしてくれる人もいないという。要するに、実際に自分が嫌なことに巻き込まれてる感が強いんですよね。)。で、そもそもギャスパー・ノエって人は、これまでの「アレックス」でも「エンター・ザ・ボイド」でも「LOVE 3D」でも、常にこの"どうすることも出来ないという絶望"を描いて来たと思うんですけど、ただ、どれもここまでストレートではなかったというか、絶望に行き着くまでにワンギミック入ってたと思うんです(絶望までに物語としての説明があったと言いますか。)。だから、ある意味、これまでのノエ監督自身の映画理論みたいなのも壊してると思うんですけど、この思いも寄らないところからいきなり絶望が顔を出すみたいなの、最近観たなと思って。これって、「ヘレディタリー」の、あの"気づいた時にはもうどうすることも出来なくなってるっていう絶望感"と同じじゃないかなと思ったんです(そして、それが日常生活のすぐ側にあるっていうのも。あ、ただ、この手の絶望を描いた映画が今まで全くなかったかというとそういうわけでもなくて。例えば「プライベート・ライアン」とかそうですけど、あれは戦場という特殊状況を描いてたので、今回の「CLIMAX クライマックス」とは違うと思うんです。今回のは"あるある"の怖さだと思うんですね。日常生活のすぐ側にありそうなのが怖い。実際にクラブとかライブハウスとか怖いと思ってる人ってこういうことが起こりうると思ってるんじゃないかなと思うんです。ないですけどね。実際は。)。「世界とはなんて意地悪なんだろう。」っていう。そういう最近のニューウェーブ・ホラー(ジョーダン・ピール監督の「us アス」に影響された様な演出もありました。)にある容赦のない地獄感ていうか、そういうのがあって。だから、これまでのノエ作品にあった様なジワジワ来る地獄というより、ストレートに地獄。言ってみれば分かりやすく開放的な地獄なんだと思うんです。

で、そういう地獄(今回、めちゃくちゃ地獄って言ってますけど、そのくらい地獄ですからね。個人的に地獄を形成するものって人の叫び声と視界の狭さから来てるんだなって発見がありました。とにかく、このふたつがめちゃくちゃ怖い。)を、そこからちょっと距離を取った感じでクールに描くっていうのが今までのノエ作品だったと思うんですけど、今回、これまででも一番クールなんじゃないでしょうか(クールというか他人事というか。)。これまでの作品て俯瞰で見てはいてもどこかに監督本人の視点が入ってたと思うんですね(それがギミックの部分の様な気がするんですけど。)。「エンター・ザ・ボイド」の心霊視点とか。心霊の視点で描こうっていう監督の(「こうやって観ろ」っていう)意思が入ってたと思うんです。「CLIMAX クライマックス」にはそれがなくて。つまり、現実にありそうなことしか描かれてないんです。それが怖かったんです。現実に起こりそうなことしか描かれてないのに間違いなく地獄という。ただですね、じゃあ、ドキュメント的な映画なのかって言われるとそうじゃないんです。めちゃくちゃ緻密に計算されたフィクションなんです。そこにまたノエ監督の意地の悪さを感じるわけなんですが。

えー、まず、ダンサーたちの面接時のビデオが流れるんですけど。どういう気持ちでダンスをやってるのかとか、ダンスに掛ける意気込みはどんなものなのかとか。で、そのあとに実際の公演で行われるダンスのシーンがあるんですね(その公演のリハーサルをこの廃墟で行っていて、公演前最後の仕上げとしてのダンス・シーンなんです。)。このダンス・シーンが話題になってますけど、ほんとにめちゃくちゃかっこいいんですよ。力強くて荒々しくてセクシーで。人間の根源的なものを感じる様なシーンなんですけど、この面接ビデオとダンス・シーンがそのあとの地獄打ち上げに絶妙に関係して来るんです。そこがほんとに見事で。つまり、これを見せられることで表現者としてのダンサーたちに感銘を受けてしまうんです。こんな表現が出来る人たちなんだから人間的にもきっと素晴らしい人たちなんだろうと。そうやってダンサーたちの人となりまで分かったつもりになってしまって。そんな人たちがLSDが入ったサングリアを飲んだらどうなっちゃうのかっていうのが話の核なんですね。つまり、"人間それぞれいろいろあるけど、蓋を開けたらみんなクズ! " っていう。その元も子もなさ。あー、ギャスパー・ノエだなって思いながら、なんか爽快だったんですよね。コンプラコンプラで善人であることが当たり前になって来てる中で、「いや、人間なんかみんなクズでしょ!」って言ってくれてるみたいで。

で、もうひとつ。僕が実際こんな状況にいたこともないのに、なぜ、この地獄に共感したのかというと、知り合いの知り合いが主催したパーティーとか、界隈の違う打ち上げとかに朝までいることになってしまった時や、電車の中に酔っ払った学生の集団が乗り込んで来た時なんかに感じる「こいつらほんとにクズだな。」っていうあの感じ。それを「あれって地獄ですよね。」って言ってくれてるからで。ギャスパー・ノエのこのこっちサイド感信用出来るなって思うんですよ(そこがラース・フォン・トリアーとは違うとこですかね。トリアーの場合は「俺をこんな気分にさせたやつら許さない。」って負の感情が入ってくるので。)。結果、むちゃくちゃ爽快な映画でした。これはハマったら危ないです。

http://climax-movie.jp/

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