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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

タランティーノ映画の良さいろいろあると思いますが、やはり一番は、観るととにかく映画が観たくなるってことだと思うんです。時代とか人種とか常識とか、様々なボーダーがレスになっていく正しく創作としての面白さに溢れていて、何でもいいからスクリーンから流れて来る映像と音楽のエネルギーに浸っていたくなるんですよね。もちろん今回も、そういう強烈な中毒性を持った映画になっていました。クエンティン・タランティーノ監督、9作目「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の感想です。

161分。最早、承知の長さですが、タランティーノ作品はこの長さがないとダメなんですよね。はっきり言って、この長さにストーリー的な意味はないんです(ストーリーに関係するところだけを簡潔にまとめたら恐らく半分くらいの長さになると思います。)。ただ、登場人物による一見ストーリーとは関係ない拘りや意味のない駄話を観ることで、その人物に(悪人だろうと善人だろうと)より深く興味を持つことになって、「こいつ人間的に面白いやつだと思ってたけどやっぱりクソだな!」ってなったり、その逆に「クソだけど好き!」ってなることがタランティーノ映画の醍醐味だと思うんですよね。だって、それこそが世界だし、それぞれのキャラクターが存在したことの意味にもなっているというか。各キャラクターの思想を知ることで法律とか常識とか一般的な善悪を越えたことろで世界を見るってことが出来る様になってると思うんです。で、個人的には、そういういろんなボーダーを越えたところで経験出来ることが映画の面白さだと思うんです。忘れられない映画の記憶って、ストーリーがどうとかテーマがどうとかよりも、「あの場面のあの表情が…。」とか、文脈無視しても心に響いた「あのセリフが…。」ってことだったりするわけじゃないですか(だから、そういう意味でも、ストーリーとは何の関係もないブラピが半裸でテレビのアンテナ修理するシーンとか、10年後にふと思い出すのはこういうところなんじゃないかと思うんですよね。)。で、じつは今回の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」は正にそれがメインになった様な映画で。終盤のある展開が来るまでは、落ち目の映画俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、そのリックのスタントマン(兼雑用係、兼友達)のクリフ・ブース(ブラット・ピット)のどこに着地するのかよく分からない日常の話をただだらだらと追うだけで構成されているんです。つまり、これって1969年のハリウッドっていう世界にリックとクリフがいましたっていうだけの話なんですよね(でも、ほとんどのおとぎ話は「昔々あるところに白雪姫がいました。」とか、「おじいさんとおばあさんがいました。」って話じゃないですか。)。

なので、'69年のハリウッドっていう舞台をリックとクリフが右往左往するっていうのをただただ見ることになるんですが、それが、まぁ、めちゃくちゃ楽しいんですよ。ハリウッドの当時の街並みだったり、そこを走るクラシックカーだったり、のべつ流れる音楽、街中の広告、ドライブインシアター、夜の高速、その夜の暗さ、その暗さを照らすネオン、街にたむろするヒッピー、そして、その出現によって何かが変わろうとしている街の空気。それら全てがなんていうか、うーん、自由に満ちているんですよね(自由であることが燃え尽きる前の最後の灯火というか。)。で、そこで何が起こるのかというと、ほぼ何も起こらないんです。リックが実力者の(アルパチーノ演じる)マービンからイタリアに行ってマカロニウェスタンに出ろって言われて落ち込んで泣いたり、クリフがブルース・リーとケンカになって仕事降ろされたり、リックが仕事でトチって不甲斐ない自分にキレたり、クリフが愛犬のブランディに餌をあげたり、リックが8歳の子役の少女(ジュリア・バタージュって子が演じてるんですが、この子がめちゃくちゃカワイイです。)に演技を褒められて泣いたりするんですけど(リックはほとんど泣いたり怒ったりしてるだけですね。)、それは、ストーリーに(も世界にも)ほぼ関係しないことなんです。だから、映画的には何も起こってないんですよ。ただですね、不穏な空気だけはそこかしこで感じる様になっていて。この不穏な空気だけ残して何も起こらないっていうのが、じつはこの映画の真骨頂であり、最も面白いところなんですよね。

だから、ジャンルで言ったらサスペンスだと思うんですね。でも、普通に観てたら何も起こらない。いや、まぁ、起こるんですけど、単にリックとクリフの友情物語(それだけでも最高なんですけどね。レオ様とブラピのバディ物としてだけ観ても。)ってことで終わってしまうじゃないですか。じゃあ、あんなに不穏で緊張感漂うスパーン映画牧場のシーンは?全く主役のふたりと絡まないのに挿入される魅力的なシャロン・テートのシーンは?最後の一日になると時間経過を示すナレーションが入るのはなぜ?ってことになりますよね。そうなんですよ、じつはこの映画、サスペンス映画なのに、その事件の全貌がほぼ何も描かれないんです(クリフは惜しいとこまで行くんですよね。あともうちょっとで核心に触れそうになるんです。でも、一番大事なところでLSDでラリってるっていう。ほんとにこのシーン、最高過ぎて爆笑しましたけどね。)。僕はこの作劇の仕方にとてもスリリングさを感じたし、めちゃくちゃ興奮したんですよね。何も描かれないし何も起こらないということに(ということで、事件の全貌は"シャロン・テート事件"と"マンソン・ファミリー"を検索することで把握出来ますので、この映画の本筋はぜひそっちで調べてから劇場へ。そうするとラストのシーケンスで、「どんだけアホな決着のつけ方だよ。」って爆笑したのちにジンワリ泣けてきます。この気持ちを味わえないなんてほんと損なのでぜひ検索してから行ってくださいね。)。

タランティーノ作品にしては珍しく時間軸もいじられてないし、場所もほぼハリウッドで限定されているので全くギミックのない、ほんとにおとぎ話の様な話なんですね。で、それはタランティーノ自身の映画への憧れと郷愁を描いてるからだと思うんですけど、それを描くのに、時代がハリウッドを変えてしまった事件を軸にして、落ち目の俳優と欲のないスタントマンという終わりかけてる男たちのバディ物にしてるのが、最高にタランティーノらしくもあるんですが、何か終わりを予感させてもいて、最高だけど少し寂しくもありました(ラストのシーケンスで爆笑ののちに泣けるのは、この空気も孕んでいるからなのかなとも感じますね。)。ともあれ、個人的にはタランティーノ作品の中で一番好きな映画になりました。

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