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#スポーツ の #本質 とは… #2

Focus③:「言葉の定義」

現在の教育現場での指導する立場の先生や指導者の方々は「ハラスメント」をいかに理解をして、実践していくのか?が大切になっています。     「ハラスメント」の定義も明確化されている。

「いじめ」も同様に明確に定義されている。

「言葉の定義」ということ…日常的に短に存在していたか?というと、私はそうではなかったです。

私が「言葉の定義」の重要性に向き合えたのが、つい、5年前の話です。 5年前の出会いで私の価値観に大きく影響を与えたのは間違いないです!

【公開未定】                             言葉の定義と言葉の共有 〜 いわて国体 優勝 〜

「言葉の定義」は、現代の教育現場や、もはや現代社会において必要不可欠なものなのだと感じます。                       「ハラスメント」も「いじめ」もそうですが、受けた側と与えた側という構図が存在する以上、どこかで線引きが必要となるのではないかと思います。だからこそ、「ハラスメント」とは何なのか?             「いじめ」とは何なのか?を、特に子どもたちが理解をしなければならないというのが今の教育現場です。

このような状況が、スポーツ現場でどのように存在するのか?ということに直面したのです。

Focus④:部活動における活動を目にして…

本来、「ハラスメント」や「いじめ」ということに敏感にならなければいけない難しい立場の先生方が、部活動=スポーツの場で罵声とも思えるような言葉をベンチから選手(生徒)たちに発していることを目にした。

「何でそうなるんだ!」「お前、やる気あんのか!?」「お前、まったく気持ちが入ってねぇよ!」「こうやればいいだろ!…何でそんな事もわからねぇんだ!?」「何べん言ったら分かるんだ!?」「何で見てねぇんだよ!」「もっと身体使って飛び込めよ!」と…。

この内容を教室に置き換えてみてください。              これは何に当たるものでしょうか?… 正直なところ、先生方の難しい立場は理解できます。自分自身の評価と親からのプレッシャー…様々な実情がある中で子どもたちと向き合って頂けてるのは承知です。

また、健常者ありきだからなのでしょうか?…               障害を持った選手が一人でもチームにいた場合に「もっと身体使って飛び込めよ!」「何で見てねぇんだよ!」などという選ばない言葉は発せられるのだろうか?

逆に、障害を持った選手がいた場合は、それ相応にやってます!ということなのだろうか?…                           サッカー界には「差別問題」が蔓延しています。絶対にあってはなりませんし、Jリーグは徹底して向き合うという姿勢を村井チュアマンから発信されています。

ここで出てくるのが前回に述べたように、「言語化」ということが、いかに教育現場で行えているのか?ということです。              「区別」と「差別」をどのように幼少期から理解をしていくのか?ということです。「健常者」と「障害者」、「男性」と「女性」という問題も然りです。現代は複雑な状況が多発することが特徴的です。

私がここでフォーカスしたことは、部活動=スポーツの現場であれば…それらが緩和されるのでしょうか? むしろ、スポーツ=忍耐力を鍛えるものという図式だということなのでしょうか?

スポーツって何なんでしょうか?                   私は自分自身が聖者のように、まったく間違ったことをせず、真っ当に生きてきた人間だということを言いたい訳ではなく、スポーツとは何なのか?ということです。

私は子どもの頃、先生(大人)のどデカい拳でぶん殴られました。    野球少年団に入っていた時に、6年生で最後の大会を欠席したことにより、当時の監督の指示で少年団で一緒だった仲間全員から無視されました。  「いじめ」も「ハラスメント」も一応は幼少期に体験済みですし、サッカーの専門カテゴリーで約20年間、選手育成と指導者育成を行ってきた先生的立場も経験済みです。

だからこそ、今だからこそ、東京オリンピックという大きなきっかけとなるであろう機会があるからこそ、スポーツとは何なのか?をもう一度、明確にしていかなければならないのではないか…と考えています。

【次回予告】  お楽しみに                                                                                 

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