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【コラム】「選挙に行きなさい」「投票率が低い」と言い(われ)続ける不思議 #041

「バイアス(思い込み)を斬る」ようなコラムをたまに書いていこうと思ってる。今回は選挙に行け、行くべきだ、というもの。


■若者は選挙に行かず、投票をしない?


30年も昔から不思議に思っている。というより軽蔑的に否定したナナメな見方をしている。当時作家の落合信彦が「若者は選挙に行くことだ」という趣旨のことをどこかに書いていた。

現代でも全く同じことが、全く同じように言われている。

昔若者だった頃、この言葉を聞いて土台無理な話をしているなと感じた。その時は感覚的だった。言っていることの理屈はわかるけども、どうも「不可能なことをお勧めしている」と思った。

それで案の定というか、30年間で若者の投票率が上がった、若者が政治に参加した、という声は聞かない。音沙汰すらない。これが特定の個人なら「おそらくお亡くなりになった」というところだろう。
その理由みたいなものは世間でたくさん言われているからそっちを探してもらうとして、ここでは続けて2つの大きなバイアスがあることを書いてみる。

ひとつは選挙のことで、もうひとつは発言のことだ。


■2種類のバイアスが手を取り合っている


すごく不思議に思うんだけど、政治家が自分たちの利権ばかり考えて国民のことを考えていないとか、だから選挙に行って変えるんだ!とか、少なくとも30年以上の数十年そう言われ続けている。ということは「土台無理なことを言っている」のだとどうして認められないのだろう?

変化するわけがないもの、変化するには膨大な「プロセス」と「圧力」をひとつひとつクリアしなければならないのが現状の政治で、どうしてそれを選挙でひっくり返せると信じられるのか。
穿った見方をすると権力の側からの情報操作で誤った期待を持たせているように見えなくもない・・・。

日本の政治なり政治体制がどのように変わってきたのか、その時にどんな力学が「きっかけ」として必要だったのかを調べれば、少なくとも選挙は何の力にもならないことがわかる。
現状では選挙に行かない人の方が良識があり、選挙に行く人は政治家との癒着による利権関係がある・・・という乱暴なまとめの方が全体認識的には間違っていない。残念だけど日本ってそうなってる。
これがひとつ目のバイアス。投票率の低さが問題で選挙に行けば変わるという標語を信じること。

もうひとつは、政治家などに「言い続けなければ何も変わらない」というハテナ❓❓❓❓なこと。
言って変わるんだったらとうにどうにかなっている。過去からこれまでどれほどの人が、どれほど時間をかけて言ってきたと思ってるんだろう。これも事実を見れば「言う」ことは「何の影響もない」こととイコールだとわかる。
これがふたつ目のバイアス。


■まず事実を把握する。次にメタで測定する


選挙によっても発言によっても、何十年も盤石な体制が変わった試しがない。与党が変わっても大勢は変わらない。
これって会社でも学校でも起こっていることだし、なんなら自分の子供にすら家庭内投票や言い続けることが効果を発揮すると思える人はいないだろ?

もし「子供の考えを変える必要」があるなら、寄り添うとか話を「聞く」とか、その子の性質に合わせたコミュニケーションを取ることや、その性質を潰さない学校を選びまくるとか、できることや有効な方法がある。
それらの組み合わせが事実を作る。
もし何かの理由でそのうちのひとつもできない!となったとき、家庭内選挙で決まったからとか、嫌がっても言い続ければ思い通りになるのか?

必要不可欠なことの組み合わせで事実が作られる。
じゃあ「この子の教育」や「日本の政治」はどんな必要不可欠なことの組み合わせで『出来上がってしまっているのか』を過去からの流れと、総合的な判断で見れば何をどうすればいいかわかるし、どうにもできない場合の条件もわかる。
こういうモノの見方をメタ認知とかメタ思考という。


■2種類のバイアスの正体


ひとつは選挙がとてつもなく大事だと思われていること。
大事に違いはないけど、過大評価されている上に、それがシステム上何の機能もしないことが見逃されている。大事なものは大事だ!だから大事だ!というちょっと頭の悪いバイアスがかかっている。

もうひとつは言うこと、声を上げることに過剰な価値があると思われていること。
ロシアや北朝鮮のように発言すれば投獄、最悪死に至るような専制政治からすると、自由に発言できる権利は多くの国の憲法にも書かれていて、だからまるで「言えば→思い通り」になるとすら錯覚されている。
ところが我々は夫婦関係すら言ったところで満足に解決できない。

なぜ「そうではない」ものをそんなに無邪気に、しかも継続的に信じられるのかよくわからないけども、倒錯しているのに信じて続ければその通りになるなんていうことがあるはずがない。


■じゃあどうすればいいんだ?


なら事実を知ってどうしたらいいんだ?ということに「第三のバイアス」が隠れている。この疑問を持った時点で「問題を解決するためにどうすればいいか」という無意識のバイアスがかかっている。もう少し正確に言えば「解決しない問題を解決するためにはどうすればいいか?」というバイアスがある。
まず事実を理解して、思い込みを省くしかない。

答えはこうだ。その問題、あるいはその問題をどうにかしたいあなたに、どうにかできる力など全く備わっていない。どうにもできないものをどうにかしようとしている時点で、少し頭がおかしいことになっている。
頭がおかしいから選挙に行けば変わるとか、言い続けなければ誰も目覚めないというようなことを信じ込む。

事実を前にしてやるべきことは、自分がどのような人間で何ができるから、それをしてはどうか?ということ。そして、その結果どうなるのか何を生み出したりどちらの方向に向かうのかをよく考えることだ。
そうして生み出されたものや向かう方向に、もし選挙や発言や、政治や問題が立ち塞がるなら「自分のためにその問題を解決する方法」を考えて実行する。

当たり前のことを当たり前にやることだと思うし、それをしていれば少なくともバイアスによって自分を台無しにすることは避けられる。


🔹松原靖樹プロフィール


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