憧れだった祖母の話2(旧国鉄VS組合(強火))
長くなったんで分けました 前回↓
うちのばあちゃんは、仕事や生活がどんだけ忙しくても
家事にも何にも手を抜かないめっちゃエネルギッシュファンキーばあちゃんで、趣味にもただのお手伝いやバイトにも全力でとりかかる人でした。
若い頃知り合いの知り合いに頼まれて選挙カーのウグイス嬢を手伝ったときなんか、アナウンサー教室?で発声を教えてもらいに通ったとかで。
そんな感じで自分にも(他人にも)
厳しい人だった(生きてます)。
だから小さい頃はばあちゃんのこと苦手だった(小声)
優しかったけど厳しかった!😂いまは好き
私が社会人になってからばあちゃんと一緒にコンビニに行ったことがあったんですよ。
急になんの話かと思うけど思い出したんで書きます。
ばあちゃんの意外な一面を見てかっこいいなと思った話です。
ばあちゃんがコンビニで買い物してるところなんて
そういえば見たことないなって。
で、お会計してるところをなんとなく横に立って見てたら
レジの店員さんに
「はいどうもありがとう☺️」って笑顔で言ってて。
衝撃でした。
国鉄でも割と偉いところまで登り詰めた祖母、自分にも他人にも厳しい祖母、そんな祖母の口からコンビニの店員さんに流暢に丁寧なお礼の言葉が出た。
きっと普段から言ってるんだろうなって感じの言い方だった。
なんかそれだけなんですけど、この人の苦労というか女性1人で戦ってきた証のようなものがなんだか感じられて
うわああーーってなって。
私もこういう風な偉ぶらない、でも矜持のある人間になりたいなって思ったんです。
だって今はようやくお礼言うのが当たり前みたいな風潮になってきたけど、少し前まではそんなんなかったじゃないですか。
私学生の頃コンビニのバイトしてたんですが
お礼を言ってくれるのってやっぱり嬉しいんですよ。言ってくれる人ってすごく少なかったけど。大抵は黙って袋持ってっちゃう。
しかも女性がレジしてると本当になめられること多いじゃないですか、お金投げてよこすバカ野郎もいるし
訳わかんないこと喋ってくるやつもいるし!
別に祖父母がそんな人だと思ってるわけじゃなかったけど、でも自分より若い人に対してしっかりそうやってお礼が言えるって「わー!(語彙)」て思ったんですよ!
だから、ばあちゃんがお礼言ってくれるタイプの人でよかったなって思って。
私もそれからは「どうも」とかじゃなく「ありがとうございます」って言うようになった。
話戻しますー!
もうひとつばあちゃんの国鉄エピソードで印象に残っているのは、組合がすごい強かった時代の話。
当時課長か助役だったばあちゃんの話によると
朝出勤したら机の周りとか事務室中にブワーーーッと組合のチラシが貼られてて、剥がさないと机が使えないほどの状態だったそうなんです。
だから誰かが剥がそうとしたら
組合の人たちが
「我々の財産を剥がす気ですか!!」
て口々に言うんだそうで。
ここでうちのFBI(ファンキーババアオブインフェルノ)がどうしたかっていうと
「そしたらアタシ、あんたらの出勤簿(当時手書き)
書けないからあんたたち皆んな
欠席でいいってことかい?」
て言い放って、自分の手は汚さずに組合の人たちにチラシ全部剥がさせたそうです。
「自分でやったことは自分でケツ拭きなさい」だそうで、うん本当そうだと思うけど…なかなか行動に移せないよ。強い強すぎる。てか出勤簿ってことは当時課長かな。
どんな剣幕で言ったのか想像つかんけど、めっちゃ怖かったんだろうな…。
戦中戦後を生きた人間の強さは、なんか形容しがたいものがあるなあーといつも祖母、祖父、祖父母と同世代の方たちを見ると思う。
あ、でも一応ですが祖母はいまでも当時を振り返る時は、組合の人に敬意を払った語り方をします。責めたりしない。
祖父母は遠方に住んでるので、会いに行ったら祖母は
一日中暴走機関車みたいに喋ってるけど、国鉄時代の話は何回もしてるけどこの話はあまりしないし悪く言ってるところを見たことがない。
私が「組合ってそんなやばかったんだ…」て相槌したら
「組合はがんばってやってくれていたよ、けど仕事しないとお客様に迷惑がかかるからねー仕方ないんだ」って。「いやでも大変だったね〜」くらいしか言わないからすごいなと思う。
「あとみんな私より先に70とか80とかで死んじゃったからさ 生き残りがもうあまりいないんだわ〜!」とたまに寂しげ。てかその年まで付き合いあったのってすげーなと思う。
そして助役に昇進したあとは、さっさと早期退職して、現役時代忙しくて取れなかった念願の車の免許を55歳でとったり、書道の師範代になったり編み物極めたり色々極めてて本当すごいなと思う。
その免許取得でいろいろ武勇伝を残した話は次で書きます
次でラストです
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