憧れだった祖母の話3(55歳で初免許、ショッキングピンクのキャロルで高速道路を爆走)
長くなったので分けましたラスト! 前回はこれ↓
ばあちゃんは、現役時代忙しくて取れなかった
念願の車の免許を55歳で取得しました。
そして初めて乗った記念すべき車は
ショッキングピンクのキャロル。
ド派手!!!!!!!!!!!!!!!
その車から、同じくショッキングピンク色のコートを着て出てくる祖母。
どこで買ったそんなコート。
ピンクババア(失礼)の誕生で、街を走れば「こないだどこどこ行ってたでしょ」と至るところから言われたり指さされたりでちょっとした有名人になったそうです。派手すぎて。
(その車は脈々と私の母に受け継がれたので、私も子供のころ数年間乗ってました☺️ピンクすごい派手だったな…内装もピンクだったんです)
そして免許とって初めて走ったのが高速道路。ギャー!
当時携帯なんて無かったから、
じいちゃんが朝起きたら
「〇〇まで高速道路に乗って行ってきます(達筆)」
と書道師範代の達筆書き置きがテーブルに残してあって
すでに早朝に失踪(出発)していたそうで、ものすごく慌てたそうです。ホラーだ。
何を隠そうじいちゃんは自動車学校の校長先生(これもびっくりした)だったので、ばあちゃんのそそっかしい性格と運転適性を熟知していましたが、いきなり高速道路を走りに行くとは思わなかったので度肝を抜かれたそうです。
いや誰でもそんなん度肝抜かれる…免許とって初めてで高速道路行くか!?規格外すぎる
事故とか何もなかったからいいけどまじで怖すぎる。
危うく書き置きが絶筆になるところだった。
「行ってきます」が「逝ってきます」になるところだった。
てな感じで憧れの車を手に入れ
あらゆるところを運転しまくったばあちゃんですが、
80代になってから潔く免許返納しました。
まあ目の病気してからあまり乗れなくはなってたけど…
あんなに運転好きだったのに。
「まだ運転したかったけど、判断ができるうちに」
だそう。すごい。潔い。
武士か?
そんなばあちゃんが認知症ぽくなってきました。
本当に「判断ができるうちに」だった。すごい。
鶏が先か卵か先かはわからないけど…
このファンキーばあちゃんじゃないほうのばあちゃん、
つまり母方の祖母はすでに何年も前に亡くなってるのですが、最期の10年間は認知症に悩まされて亡くなったから、ちょっと喉の辺りがヒュッとして
心配になって会いに行ったんですが、すごくしっかりしてました。
孫には見せまいとする矜持なのか…
もう母方のほうは全員(祖父母、叔父)亡くなっているので
父方の祖父母もあと数年でいなくなってしまうのかと思うと、少し涙目になるしさびしくて仕方がないです。
ご長寿ギネス狙ってくれ…
勝手に殺すなよですが、年なので、足腰、目、内臓、
さまざまなところにガタがきて以前のような
ファンキーさが見れないのはやっぱり寂しいです
寂しい寂しい言っても仕方ないのでとりあえず
「終活終活」とか言って古い服整理してる2人に
温かい靴下とか服とかプレゼントして
「まだがんばって生きてよ!?」て口には出さないけど
物で示しました。口に出すのはやっぱちょっと恥ずかしくて。言った方がいいのはわかってるんだけど。
結婚式で祖父母宛に書いた手紙に「まだまだ長生きしてください!!!」って書いたけど!!
なんか「長生き」って言ったり書いたりするのなんか分からんけど苦手なんですよね…謎…
でも、もっとこうすればよかった、会いに行けばよかったっていう母方の祖母に対して未だに持ってる後悔を繰り返さないよう、できることはしたいな〜と改めて思いました。
あとばあちゃんの国鉄エピソードやじいちゃんの転職の話など、まだまだ濃すぎるネタを隠し持っている2人なので聞けるうちにどんどん引き出して聞きたいなあと思っています。終わり!
最初の話はこれです↓
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