見出し画像

マドリード歴史博物館 2

早めに写真をアップして記事を書くと宣言したのに、またまた遅くなりました~!🙇🏻‍♀️

続きです。

長い部屋には大きな絵画もあり、それだけでなく、陶器や置物なども飾られていました。

ラス・デリシアス大通り(1785年)

ラス・デリシアス大通りは南からマドリード市内に入る上り坂の大通り。大通りを上りきって右側にはアトーチャ駅があります。
それにしても車のなかった時代は、道の幅も狭く、のどかな遊歩道だったのですね。


レティーロ公園の大きな池の横の遊歩道(1780年)

レティーロ公園はマドリード市内にある大きな公園。

マドリードの中心部に緑のオアシスを形成する面積125ヘクタールの土地と15,000本以上の木々。ビバセス庭園(Jardín de Vivaces)、アンダルシアを思わせる古典主義庭園であるセシリオ・ロドリゲス庭園(Jardines de Cecilio Rodríguez)、建築家エレロ・パラシオス庭園(Jardines del Arquitecto Herrero Palacios)、バラ園(Rosaleda)、樹齢400年とも言われるマドリード最古の木ラクウショウが立つフランス庭園(Parterre Francés)は、植物学的にも重要な庭園です。2021年7月25日、ユネスコの世界遺産に登録されました。

観光オフィシャルサイトより


ここに闘牛場の模型。

昨年も見ました〜!


陶器もたくさん展示されていました。(たくさんあったので、ここでは一部のみです)

マンサナーレス川の橋の横での踊り(1784年)

マンサナーレス川は首都のマドリードでは、アトレティコ・マドリードのホームグラウンドであるスタジオ・ビセンテ・カルデロンの脇を流れてます。


病人を運ぶ椅子

マドリードで食べるものも食べられずに通りで暮らす人達を助ける慈善団体が1615年に設立されました。これはその団体が病気になった人を病院などに運ぶために使った椅子だそうです。暗くてわからないですが、この箱の中が仕切られて座れるのかと思います。

こんな鉄砲も飾られていました。


鉄砲の飾ってあった横には階段があり、遠くからしか見れなかったのですが、この絵を見たら、ゴヤの絵かと思いました。

下の絵がゴヤの絵です。似てますね!
上の絵はラモン・バジェウ・イ・スビーアという違う画家の描いたものでした。

このゴヤの絵はお借りしました。

両方とも題名が同じで、「マンサナーレス川の畔での踊り」です。ヤヤコシ〜


マリア・ルイサ・デ・パルマ (1789 )

カルロス4世の妻


武装したカルロス4世(1789年)

1788年に国民から大きな期待をされて、王位に就いたのですが、そんな才能も力もなく、奥さんのマリア・ルイサにすべてを任せていたのだそうです。でも、奥さんはマヌエル・ゴドイという人を使っていたようです。


こんなナポレオンのコメディ的なイラストもありました。

ナポレオンの怒り


「お前は死ぬまで酔っ払いだというツキがあるよ」みたいなことが書いてあります。


これはこの博物館で有名なゴヤの名画です。
マドリード市の寓意

ゴヤの絵を無料で見れるなんて、すごい寛大な国です👏🏻🥰

フランスとの独立戦争中に、マドリッド市から本作品の制作を依頼され、完成した作品は新しいスペイン国王であるホセ1世の即位を記念するものとして市庁舎に飾られることとなった。
絵画には、右手に盾を抱え、左手で天使が支える巨大なメダルを指差している女神の姿が描かれている。
盾に描かれている桃と熊はマドリッド市の紋章で、絵画上部に描かれているトランペットと月桂樹を持つ天使たちは、同市のさらなる名声と繁栄を願ったものである

https://www.howtravel.com/europe/spain/madrid/mad-sightseeing/mad-museum/museo-de-historia-de-madrid/


マドリードの飢饉(1818)

凶作の上に戦争も起きていた悲惨な状態の中、病人が増え、死者も多数出ました。

1808年5月2日のビラルデの死(1864年)

戦争😰・・・

ブエン・スセソでの愛国者の処刑

残酷な・・・😢

博物館の入り口の反対側にある庭

ここで一休み出来るかもと思いました。


三階へ


異端審問裁判(1819年)


レアル・マドリードが勝つとパレードを開始するシベーレス広場(1836年)

この絵の左の奥に下の女神様が見えますね。


プエルタ・デル・ソルでの1854年の革命のエピソード(1855年)


プエルタ・デル・ソル(1900年)


アルフォンソ12世(1876年)

前国王のひいおじいさん。

アルフォンソ12世(スペイン語: Alfonso XII、1857年11月28日 - 1885年11月25日)はスペイン王(在位:1875年 - 1885年)。女王イサベル2世王配フランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボンの子。

誰がどのように繋がってるかこんがらがってきますね。

良い系統図を見つけたので、お借りして、下記に貼り付けます!


マドリードのサン・アントニオでの行列(1893年)

聖母をかついでのお祭りの行列。


絵はここに載せた以外にもたくさん展示されていました。


オペラ劇場の模型(1835年)

イサベル1世(Isabel I)の治世下、市の建築家アントニオ・ロペス・アグアド(Antonio López Aguado)が手がけたマドリードの王立劇場(Teatro Real)は、1850年に開場しました(最初の石が設置されたのは1818年4月23日)。


1800-1900に使われていた馬車

1898年には路面電車に電気が使われて、1909年にはタクシーが運転を開始したのだそうです。


入ったところを後にして外へ。

この博物館のある通りはフエンカラルと言い、グランビア大通りに繋がります。

フエンカラル通りは以前と比べたら様変わりして、完全に観光客のお買い物専用通りになり、おしゃれなお店がたくさんあります。

以前?

麻薬患者がいたりしてとても危なかったです。

かわいいものを売ってるようなお店を見つけてしまいました。

増やしてはいけないとわかってますが、小物が好きなので、買わないと決意して、入ってしまいました。

かわいい仏様たち。

こんな電話欲しいなぁ~!

お店の名前が「100%LIFE」

何も買わずに出られました。👏🏻


フエンカラル通りにはこのお店もあり!

極度乾燥しなさい!

マンゴー

トミーヒルフィガー

ゲス

ピコリーノス

スペインの靴屋さん。履きやすいからと買っていく観光客もたくさんいらっしゃいます。


動物愛護団体がワンちゃん達を連れて、通りで里親を探していました。最近よく見ます。

ありがたいことです。良い人に引き取られてねといつも願います🙏🏻


グランビア通りに着くと、

何だか向こう側に大きな黒っぽいものが・・・

何の宣伝かわかららないけど、ゴリラちゃんでした~!😅

ユニクロがグランビア通りに、あさってオープンです🎉🎊🎉🎊

行こうかな〜🤔

ということで、私の駅に着いて空を見たら、この日はまたまたきれいでした。

もっとピンクっぽかったけど・・

それにしても、こんな遅くなるとは思っていませんでした🤣😂

この記事が参加している募集

404美術館

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?