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「今週で死ぬとしたら、私はどう生きたい?」「今月で命が終わるなら、私はどう生きる?」

人生で迷うとき、未来に恐れが出たとき、私には自分に問いかける言葉がある。
「今週で死ぬとしたら、私はどう生きたい?」「今月で命が終わるなら、私はどう生きる?」

看護師として働いて、誰でも死が身近にあると知る。毎日病院の中でも誰かしら亡くなる。私の目の前で10代も20代も亡くなっていくのを見た。そして私の幼馴染も8歳で亡くなっている。東日本大震災も阪神大震災も見た。だからこの質問も、本当にそうなるかもしれない、という私の中ではわりと日常にある問い。

やりたいのにやらないとき、もしくは決断できずにいるとき、私の場合は、お金、時間、他人の目、他人から言われた言葉、自分の勇気のなさ、を言い訳している自分に出会う。そんなときは「今月死ぬとしたら、どうする?」と問うと、「やる」と返答することが多数。

その質問しても、迷い続けるときもある。そんなときは、今は答えを出すときじゃなかったのかも、と立ち止まる。

「やっぱりしなくていい」と思うときもある。そんなときは「そっか」で終わる。もし本当にやりたいならば、強い思いと共に「どうしてもやりたい!」となるだろうし、今はそれほど強い気持ちじゃなかったのかも、というふうに解釈してる。

その質問に対する自分の答えがどうか、ではなくて、その質問すること自体が、自分の人生を生きる、自分が本当はどうしたいか、を知ることに繋がるのだと思う。

永遠に続くように思える毎日に、言い訳して、後回しにして、他人の目を気にして、誰かのために自己犠牲して自分は枯渇して、自分の求めるものさえ見えなくする。そんな人生は、死ぬときに幸せだったと言い切れるだろうか、後悔なく生き切ったと言えるだろうか、全てをなくした時にも幸せだろうか。
死を考えることは、生き方を考えること。だから、自分の死を身近に感じて、自分がどう生きたいのか知って、実践していく。それが本当の自分を生きるということ。

「今週で死ぬとしたら、私はどう生きたい?」「今月で命が終わるなら、私はどう生きる?」
怯えながらもこっそり出てくる自分の本当の生き方に、手を差し伸べて、私の人生を歩んでいくための、大切な問い。


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