出産の翌日、 口や鼻から 彼女には太すぎる管を入れられながら、目が見えていたら怖いだろうなぁ というほど沢山の機械に繋がった我が子に対面した。 希望の光に向かって生まれてきてくれた 我が子。 新生児集中治療室(NICU:neonatal intensive care unit)に入院している我が子は 身長30cmの体重496g。 ちいさく生まれたのは我が子が頑張った証。 だから ごめんね は言わないと決めた。 "生まれてきてくれてありがとう” お腹の中で育てられ
妊娠22週と3日で突然の出血。 病院に駆け込み、そのまま入院の絶対安静。 23週と3日で我が子の生命をかけた帝王切開。ちいさな女の子を出産した。 入院から出産までの1週間、食事もトイレもベッドで寝たままの生活をした。 そんな私は、手術翌日から動いて良いと医師からの許可が出た。 看護師に見守られながら、ゆっくりゆっくり身体を起こす。 さすがに1週間の安静は身体に堪えたようだ。 起き上がった瞬間、世界が回った。 しばらく座っているとそれも治まり、ついに立ち上がる時がきた。 身体
みなさんは"リトルベビー”という言葉を知っていますか? リトルベビー(=低出生体重児)のことで、 本来の意味は「身体の機能が未熟な状態で生まれた赤ちゃん」です。 以前は「未熟児」呼んでいました。 現在は出生体重とmamaのお腹の中にいた期間(在胎期間)によって分類されるようになりました。 生まれたときの体重による分類では、 2500g未満を「低出生体重児」 1500g未満を「極低出生体重児」 1000g未満を「超低出生体重児」 と呼びます。 在胎期間による分類では、
*mamaになりたい看護師えりぃの物語*を 読んでくれているみなさまへ。 いつも応援ありがとうございます!(´▽`) 記事にも書かせて頂きましたが、 この度 "mamaになりたい看護師えりぃ”は "mamaになることが出来ました” 気付かれている方もいるかも知れませんが、このblogは、後追いで記事を書いていました。 本来の我が子の出産予定日は 本日、 2023年4月7日 でした。 私も、我が子を授かった時は 幸せな十月十日のマタニティライフを送り、緊張しながらも迎
長年の不妊治療、やっと授かった我が子。 22週で出血し、救急外来ではいつ産まれても不思議ではないと言われた。 入院し、ベッドに寝たきり生活を1週間。 安静にしているのに出血とお腹の張りを繰り返し、ベビちゃんの生命が危険と言われながら迎えた23週。 死産の可能性が高いと説明されながらも、緊急帝王切開をすれば助かる可能性があると聞き、すぐに帝王切開を決めたのは23週と3日目のこと。 決断後の説明の主な内容。 私の出産は帝王切開。 通常の帝王切開は腰椎麻酔という腰から下のみ麻酔が
私は妊娠22週3日目に大量出血をしてそのまま入院となった。 入院直後と翌日には医師から厳しい話もたくさん聞いた。 私に出来ること、それは絶対安静をしながら1日・1分・1秒でも長く ベビちゃんがお腹の中にいてくれるようにと祈ることしかなかった。 腕には点滴、トイレも尿に関しては管を入れてある。食事は少し背もたれを起こしてもいいと言う先生の許可はあったが おにぎりにしてもらって寝たまま食べた。 安静にしていれば そして、お腹の張りを感じた時に 深呼吸をしていきむことをしなけれ
私は分娩台の上で、子宮収縮を抑える点滴を始めても定期的にやってくるお腹の張り(陣痛らしい)を深呼吸で逃し、一睡も出来ないまま22週と4日目を迎えた。 朝になると、いろんな科の医師が様子をみに来てくれた。 1日かけてそれぞれの科から説明を受けた。 まずは産婦人科の医師から自分の身体とベビちゃんの状況について。 ベビちゃんは今 頭が下になっているため、子宮口が3cm開いている状態でも出てきていない。これ以上 開いてしまうとお産が始まってしまう。 1日でも長く今の状態を保ちたい
22週と3日目の夜、私は大出血をした。 何とか旦那と病院に向かい、無事に到着。 待合室で診察を待っていると、当直の産婦人科医が直接呼びに来た。 先生との電話の後かなりの出血になり、しかも鮮血(真っ赤な色)であること、お腹の痛みや張りは今のところないことを伝え診察室に向かった。 そのまま診察台に座るために下着をおろす。 "まじかぁ" 下着を見た私は心の中でそう思った。 下着につけていた 多い日夜用 のナプキンをはるかにこえる出血量。 下着まで血に染まっていた。 家を出る前
命を授かるということは奇跡の連続だと思う。 妊娠することも奇跡。 無事に生まれてくることも奇跡。 すくすく育つことも奇跡。 そう感じるのは、出産までにいくつもの壁があるからだ。 胎嚢確認の"妊娠5~6週の壁” 心拍確認の"妊娠6~8週の壁” 心拍確認後の心停止、不妊治療卒業の"妊娠9週の壁” 自然流産の"妊娠12週の壁” 胎盤完成の"妊娠16週の壁” この"いくつもの壁”を乗り越えたベビちゃんを私は誇りに思う。 今後も、壁を乗り越えて 元気なベビちゃんに逢えるんだ
"安定期に入りましたぁ” って妊娠発表する人 いっぱいいるけど いろいろあった私は、妊娠に安定なんてないと思っている。 "安定期”は医学用語ではない。 妊娠5ヶ月になると胎盤が完成し、流産のリスクが減り 悪阻が軽減し、母子ともに安定した状態になる。一般的に妊娠5ヶ月の妊娠16週からを安定期と呼んでいる。 不安になっているわけではない。 ただ、"安定期だぁ”って両手を広げて喜ぶ感じでもない。 妊婦健診では、妊娠に向けての話が進み始めた。 バースプランを考えることになった。
いろいろあったが、妊娠16週を迎えることが出来た。 悪阻もなんとか落ち着いて、これからマタニティライフを楽しむぞ と思い始めた頃、 近くの神社で戌の日*¹の安産祈願のご祈祷を受けた。 当日は、旦那と私の両親も集まった。 世間はコロナ禍。 美味しい食事処には行かず、家で仕出し弁当を食べながら少しお話をして終わった。 みんながお刺身を食べているのを横目に見ながら、お肉の照り焼きを頬張る私。 「あなたお刺身好きなのにかわいそう」なんて言われたけど、安全第一。 食べたいものを我慢した
妊娠14週の終わり 気持ち悪くて仕方なかった悪阻が少しだけ落ち着いた頃、 "にょろにょろ”なのか"ぽこぽこ”なのか、 なんというか、腸の中のガスが動く感じを体感した。 聞くと、これが胎動らしい。 私の想像した胎動とは全く違い びっくりした。 胎動を感じ始めると、悪阻はどんどん軽くなり、食べたいと思うものも増えてきた。 ただ食べる量は明らかに減り、気が付くと体重はかなり落ちていた。 悪阻が軽くなって嬉しい反面、悪阻でベビちゃんの存在を確認していた私は少し不安になった。 そん
不妊外来を卒業してから妊婦健診までの3週間、いろいろな事があった。 特に出血をしてからの1週間は、無事に妊婦健診を迎えられるか不安だった。 それでも私のメンタルを保つ事ができたのは、悪阻があったからだと思う。 今回は悪阻がひどく、体重はどんどん減っていた。 そんなつらい悪阻ですら、嬉しく感じる。 ベビちゃんがお腹にいる証拠だから。 そして迎えた初めての妊婦健診。 出血は止まってくれていた。 あとは自然に吸収されるのを待つことになった。 *☼*―――――*☼*――――
昨日、義両親に妊娠の報告をしたばかりだったのに。 朝、トイレに行くとおりものシートに血液が付いていた。 以前なら 今日は仕事からなぁ 次の休みに受診か とか 明日休み貰うか と 当日の朝に休みの連絡をするなんて考えられなかった。 でも、今の私はなんとしてでも守りたい生命がある。 迷うことなく職場に連絡。 休みを貰った。 そして病院に連絡して、受診した。 診察台に座り、経膣エコーが始まる。 ベビちゃんに何かあったらどうしよう… 心拍が確認できなかったら… 信じてる気持ち
母子手帳を貰って初めて迎える日曜日。 私たち夫婦は、旦那の実家に向かった。 義両親は 孫の誕生はまだか といった内容の話は一切しなかった。 そういうプレッシャーを感じたこともない。 体外受精を決めたとき、1度だけ不妊で治療中であることを伝えた事がある。 その時も 私の身体が1番だから無理しないでね と言ってくれた。 その後の治療経過は伝えていない。 追求してこないが、授かったらきっと喜んでくれる。 そんな義両親に、喜びの後の悲しみを与えてはいけない。 そんな気がした。
妊婦反応の陽性 胎嚢の確認 心拍の確認ができ、無事に回数にカウント出来る妊娠となった。 妊娠初期は流産のリスクも高いため、母子手帳を貰うタイミングは医師に確認する。 私が母子手帳を貰ってもいいと許可が出たのは妊娠9週目だった。 やっと「妊娠届出書」が貰えた。 検診検査の助成券があるため、初回の妊婦健診には貰ってきて欲しいと。 地域により様々かも知れませんが、うちのところの保健センターは9時~11時しか母子手帳の交付が受けられない。 先輩に書類やを書いたり話を聞いたりと時間も