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グラム・ファイブ・ノックアウト 5-1

 散乱した絵の具の中で、同級生は寝ていた。
 当然、僕の方なんて見向きもしない。
 もう一枚も絵を書き上げる気力なんてないという風に、静かな呼吸をしている。
 天窓から指す光が、一枚の絵を指し示している。
 僕は扉を閉めて、同級生を起こさないように静かに近づくと絵を見つめた。
 緑色のカーテンの中に、黒い字が浮かんでいる絵だった。
 シュールであり、ユーモアさえある。あったとしても、そのユーモアは黒く塗り潰された文字通りのブラックジョークであり、皮肉そのものにも見えた。
 右足で、青い絵の具を踏んでしまい、床に中身を出してしまう。床はありとあらゆる色がまじりあっているにも関わらず、決して黒くはなっていない。そのまま床がジャクソンポロックの絵画のようであった。
 同級生が僅かに顔を上げる。
「起こしに来たわけ。マジでビビったわ。」
「ビビる必要はありません。寝ていて結構です。」
「休みの日くらい早く起きてどっか行きたくなるんだよねぇ。マジな話すると、あんまりこういうとことか長くいたくないし。」
「でも、ここは貴方のアトリエでしょう。」
「ていうか、親父がくれたアトリエだけど。ただ広いだけでなんもねぇんだもん。絵と絵の具しかなくて、マジで退屈。」
「絵を描くのは嫌いなんですか。」
「嫌いじゃねぇって。」
「じゃあ、楽しいんでしょう。」
「指が汚れちゃうからさぁ、なんかきったねぇじゃん。そう思うっしょ。」
「思うっしょ、とは思わないっしょ、という感じっしょ。」
 学校が休みの日は、決まってその前日から同級生はこのアトリエに籠ってしまう。
 それ以外の道を歩く余裕すら見つかっていない。
 同級生は、血の繋がった両親に育てられてはいるけれど、すべては養子に持っていかれてしまった。
 その点を詳細に。
 元々、同級生の父親も母親も有名な画家で、同級生はそんな芸術一家の長男である。実際、同級生が住んでいる本邸に行ったことがあるけれど、そこには有名そうな絵画やら彫刻やらが所狭しとあった。
 転機は直ぐに来た。
 気が付く暇もなく、直ぐに同級生の椅子は奪われた。
 両親の師匠にあたる、とある日本画家が鬼籍に入ったのだ。
 その日本画家には息子がいた。
 当然のことながらどこかが引き取ることとなる。
 同級生の両親は、その身寄りのない師匠の息子を喜々として受け入れて、芸術に関する、知識や技術を詰め込み始めたそうだ。
 そこには師匠の息子であるという事実からなる、確固たる才能があって当然だろう、というものの見方があった。
 当然、同級生は見向きもされない。
 まだ、その引き取られた息子というのは藝術家として結果を出してはいないそうだ。
 でも。
 才能を受け継いだ可能性の高い子供と、自分たちの才能しか受け継いでいない子供では、そこに投資する額も気力も差があってしかるべきだった。
 最後に同級生に残ったのは、父親が気に入らなくなって捨てたアトリエ。
 母親が使い始めてから気に入らなくなり、捨てた絵の具。
 そして。
 欲しければ買い与えてやる、と言われて連絡すればただただ何の熱意もなく届き続けるカンバス。
 筆は。
 すべてだ。
 すべての筆は。
 同級生がこのアトリエに連れてこられて、両親が何の用事もなければわざわざ顔も出さないようになって、直ぐのことだ。
すべて折った。
 へし折った筆は、すべて執事が片づけてくれたそうだ。
 執事は、いつもこのアトリエに一人だけだ。
 しかも専属ではないから、何の知らせもなく勝手に代わるのだそうだ。
 前に僕が来た時には、絵の具を顔じゅうに塗られても平然とする執事がいた。同級生は両親の恨みつらみを喉が潰れるほど叫びながら、ただただその絵の具を手に乗せて、執事にぶつけていた。
 ずっと。
 というよりも永遠と。
 枯れるのではないか、と思えるほど。
 その時、同級生は泣いていた。
 今は、その執事は仕事の期間を終えているので、来る必要はないそうだが、たまに来ては同級生の前に立つそうだ。そして静かに笑って見せるそうだ。
 あの時のように塗らないのか、と。
 同級生は頭が上がらないのか、そういう時は簡単な絵を一枚書いて、その執事にプレゼントするという。
 そういう絵にも描けない関係性の中で、同級生は生きている。
 同級生はそのことを笑って話すことはない。でも、大抵のことは笑っているので、いつかは声を出して笑いながら絵を一枚書き上げるだろう
 僕は心の底から望んでいる。
「でさ、あれだろ、都市伝説とか調べてるって聞いたんだけど。あれ、マジなやつなの。」
「はい。」
「ていうか、グラウンドで死んでたやつも、都市伝説みたいな感じで噂になってんじゃん。ああいう感じのを集めてるわけ。」
「はい。」
「マジかよ。お前、超暇人じゃん。」
「暇ではありませんが、ここに来ています。」
「何しに来た訳、お前も絵とか描いてみちゃう。」
 同級生が鼻で笑う。
「貴方の絵を見に来ました。暇ではないですけど。」
「暇な時に来いよ、絵なんてそういうもんだって。」
「そういうものだとは思えません。」
「勝手にしろって。」
「勝手にしています。」
 同級生は指先で絵の具を弄りながらあくびをした。
「じゃあさぁ、こういう話知ってる。」
「絵描きを目指す、高校生の話ですか。」
「ちげぇよ。お前が聞きたい都市伝説の話だって。」
「あの援交をしていた女子生徒の転落事件。それについての都市伝説ですか。」
「その都市伝説じゃねぇって。」
「では、なんの都市伝説ですか。」
「その援交してた女子生徒が関係してた、また別の都市伝説だって。さては知らないだろ。お前そういうの意外と疎いもんな。しょうがねぇ。教えてやるって。」
「しょうがない。教えてもらいましょう。」
 同級生が固まった絵の具を指の先で丸めると、僕に向かって飛ばしてきた。

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