見出し画像

グラム・ファイブ・ノックアウト 4-1

 殺人鬼の兄を持つ、弟としての人生を歩かせてしまったことは、確かに申し訳ないと思ってる。
 それは本当なんだ。
 何度も言ったことだけれどね。
 でも、その弟の兄として、責任を感じて生きているのが本当なんだ。悲しいけれど、始まってしまったことをなかったことにするのは難しい。それよりもその事実と共存していくという考え方が最も正しいし、そのために自分自身の脳を動かすべきだと思う。
 弟が少しでも幸せに生きていくための方策を考えるのが、兄としての務めなんだと思ってる。
 弟の良いところなんて言い出したらきりがないよ。幾つも誰かに向かって話したし、そのたびに、何度も聞いてるんだけどって、顔をされたよ。
 昔だけど、兄として、弟を導こうとした時期があったんだよね。
やっぱり年上だしさ。そのために兄として生まれたとか思っていたんだ。だから、よくあることかもしれないけれど、スポーツを教えたことがあったよ。
 地域に野球のチームがあってね、そこで、セカンドをやっていたから弟も誘ったんだ。最初は凄く嫌がっていたんだけれど、参加することになった。
 弟は確か最初はライトだった気がしたけど、運動神経が良くてショートを守ることになったんだ。兄がセカンドで弟がショートっていうと、内野を兄弟で守っていることにもなるから、それが励みでさ。
 前に、丁度セカンドベースの上を転がすような打球が来て、お互いが取りに行ったもんだから、思いっきり頭をぶつけてね。
 他のチームのメンバーに助け起こされた時に、兄貴が突っ込んできたんですと言ってね。
 ちょっとくらい、こっちを立ててくれてもいいんだけれど、ああいう自分のやりたかったことを無理やり止められるようなことがあるとかなり、怒るタイプだったからさ。その時は直ぐにこっちが折れたんだ。
 兄としてっていうか、チームメイトとしてね。
 でも、そういう野球のようなチームスポーツの中で、自分の持ち場を守るような責任感を持てる弟だとは思っていなかったから少し驚きでね。どっちかというと、自由にやることで自分の才能を開花させるタイプだと思っていたんだ。自由気ままに生きて、努力とか一生懸命とかそういうものから無縁の人生を歩む感じがしていたからさ。
 だから。
 だから、ね。
 ちょっと嬉しかったんだ。
 弟がこんなに自分から前に向かっていく人間だったなんて思いもよらなかったから。
 それから弟の行動力が好きになってねぇ。
 むしろ、弟のそういう所を見て自分はどうなんだろう、とか考えるようになったよ。
 あぁ、他にもこんなことがあったよ。
 ブラウン管のテレビって分かるかな。テレビの後ろがめちゃくちゃ盛り上がっていて、箱型みたいなやつだよ。なんというか、あれじゃあどの部屋のどこに置いたとしてもかなり邪魔だし、その分、画質が良いかというとそうではないし。
 あれ自体に価値を持ってたのは、どう考えても薄型テレビが家庭に入り込んでくる前だったと思うね。
 それで、そのブラウン管のテレビと弟なんだけれど。
ある日のことさ、何気なく朝起きて部屋の中を歩いていると。
 ないんだよ。
 見つからないんだ。
 当然、なくなっているのはブラウン管のテレビ。
 そりゃ探したさ、どこに行ってしまったんだろうって。
見つからないのは、どこかに移動したか盗まれたか、それとも。
 誰かが解体してたか。
 で。
 気が付くとだ。
 庭で弟がテレビを解体してたのさ。庭にある一番大きくて尖った石にブラウン管のテレビの画面を思いっきり投げ込んでいる所だった。
 口には出かかったよ、さすがにね、何してるんだ、とか。でも、それを忘れさせるくらいの音が一気に鳴り響いたもんだから、動くこともできなかった。庭に散乱するブラウン管のテレビの破片はやたらに綺麗でね、僕はそれを眺めていたよ。
 悪くないなぁ、とか思ってた。
 写真でも撮ったら結構いい感じだったんじゃないかと、そう思うよ。
 弟に話を聞くと、どこかで電化製品を大きなプレス機で壊すのを見たみたいなんだ。
 それがなんというか、弟の好みにかなり合致したそうでね。どうしてもテレビを壊してみたくなったんだということが分かった。
ただ、それで終わりなら良かったのさ。
 実際、そのプレス機というので、色々なものが壊されていくところを弟は見ていたものだから、このブラウン管のテレビが、ゴミクズに代わる一瞬の出来事では、その欲を解消することはかなわなかったんだ。
 もっと早く家の中を見て回るべきだったよ。
 もう、窓ガラスやら、食器やら、本棚やら、花瓶やらが壊されていてね。
後片付けが大変であることと、この弟が悪気なくやったことと、少なくとも学校は遅刻になってしまうこと、というこの三つが一瞬で分かってね。
 もう、怒る気も失せたさ。
 兄貴もやればいいのに、だってさ。
 楽しそうにしてたし、軽く注意してそれで終わらせたよ。
 近所の人に、何かが壊れるような音がしたけどどうしたのって、聞かれたけど。
 何を思ったのか弟は。
 兄貴が、兄貴がって、言うのさ。
 まるで僕が何かしたみたいな感じで伝わってしまったものだから、回覧板を持ってきて家の中まで上がった人は、弟に暴力でもふるっているんじゃないかって、勘違いしたようでね。
 この誤解を解くのが大変で大変で。参ったよ。
 兄として、こんなにも手間のかかる弟を持ってしまったことを後悔しながら、その行動力と破壊衝動には感服していたよ。少なくとも。同じ年齢くらいの時、弟みたいな行動は絶対していなかったと思うからね。
 そんな弟だったけど生意気な口調で、うちの兄貴が、なんて言って、結構自慢話とかはしてくれていたみたいで、それは恥ずかしかったけど嬉しかったな。
 あぁ、この話は前もしたね。
 ごめんごめん。
 でも、そういう弟の存在が兄としての自覚を芽生えさせたんだと思う。
 兄として弟を不運な目から助け出したかったけれど、それができなかったのは、言わずもがなだし。
 その上で、弟との思い出は今でも鮮明だよ。
 野球とか久しぶりにやりたくなるよ。
 まぁ、軽いノックくらいをやって、軽く汗を流したら簡単にまた昔みたいに戻れるような気がするんだよね。いや、それは間違いか。そんな簡単でもない関係性の中で、兄と弟というのは熟成しきってしまったんだし。
 みんな、孤立してしまったから。
 それが寂しいのかな。
 あぁ。
 どこかでいいから、うちの兄貴が、とかそんな簡単な言葉を聞きたいよ。
弟が誰かに向かって兄貴って言葉を使っている状況に出会ってみたいな。
また呼んでくれることがあったらいつだって飛んでいくし、そのたびに、ブラウン管のテレビくらいなら何台だって壊してくれて構わないよ。
 兄として見えている世界を弟も同じように見ていてくれたら嬉しいな。
 今は、そう簡単に兄と名乗ることもできないけれど、そのために費やしてきた時間は絶対に無駄にはならないって分かっているし。
 人が時間を裏切ることはあっても、時間が人を裏切ることはあり得ないよ。過ぎ去ったものを良くも悪くもなかったことにできる人と違って、時間はすべてを忘れない。
 だったら、一人の兄として時間の可能性に賭けることにするよ。
 時間の残酷さの中で、人がそれでもたくましく生きていけるということを信じるために、今は、人よりも時間の大切さをかみしめながら生きていくことにするよ。
 兄として、弟を守る。
 弟がたとえ、兄という存在に何も抱いていなくとも、それでも構わないよ。
 弟が大好きなんだ。
 本当は、守ってあげたいよ。
 それは、本当さ。
 でも、それはもう簡単にはいかなくなってしまったし、それを上手く行かせようとする世間では最早ないからね。
 それに、兄弟の関係にとっても答えは出ていることだから、何かを追加するようなこともできないし、これで終わりなのかもしれないと感じることは多いよ。
 どうにかしてあげたいけれど、どうにもできないことが明確に理解できてしまうのさ。
 あのわんぱくで、なんでもやろうとしてた弟のことをもっと近くで見守ってやりたいけれど、それもできなくなってしまった。もっと近くで、自分の言葉をかけるのも一つの方法なのかもしれない。それが弟のことを思う兄のできる行動として正解なのかもしれない。考えを巡らしているだけで何の行動もしていないことは、間違いのないほど明白なんだから、このままでいいなんて誰も思っていない。
 それこそ。
 弟だって思っていない。
 でも、弟は最早そう思うことだってしない。
 そう感じたくたって心が、そう感じるべきではないって制御しているんだろう。
 きっと、そうさ。
 そうに違いない。
 不幸から眼を伏せることが、自分を守ることで、それらしい幸福に触れ続ける術の一つなんだと思いたいんだ。
それがきっかけで、きっと本当に全てなのさ。
 本当に悔しいさ。
 こんな思いを味あわせるために、人生の選択を繰り返してきたわけじゃないんだよ。でも、まるでそのしわ寄せは、完全に弟に降りかかってしまっていて、それが全部裏目に出てしまっている。
 分かってる。
 分かってるんだ。
 我儘だったんだ。結局、自分のしたことは我儘で自分のことしか考えていなかった。それがどれくらいの影響を及ぼすのかなんて、百も承知だったくせに、それが実際に起こると、その起こった出来事の一割さえ責任を取ることもできない
 こんなのは、想像していたことじゃなかった。
 もっと、弟のことを思うべきだった。
 でも、それでも、そこまで歪んだ思いを抱えていても、やっぱり弟のことは一番だって、本気で言葉にできてしまうんだ。それは、ずるいのかもしれないけれど、これは本当の気持ちなんだ。
 弟のことを愛してる。
 こうやって想いを口に出すことも、卑怯だって言われてしまうのかな。

前のエピソードへ

https://note.com/erifar/n/n2fa1950eacaf

次のエピソードへ

https://note.com/erifar/n/nefe85249c1c4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?