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ホームスクール 東北の旅・6 大平山元遺跡 三内丸山遺跡 つなぎ温泉 盛岡 平泉 鳴子温泉

今回の東北の旅で息子が行きたいと言った場所は、

山形で「のし梅」が食べたい
青森で三内丸山遺跡に行きたい
青森で浅虫温泉に入りたい

とのこと。

「のし梅」とはゼリーのような梅のオヤツで、山形県近郊の名物だそうだ。内田百閒「阿房列車」にて、百閒が山形の旅館で出されて食べたとか食べなかったとか。 実際食べてみると至極うまい。

浅虫温泉へは残念ながら行けなかった。旅程に余裕が無かったからだ。これだから余裕のない旅はいけない。私達のいつもの海外の旅の様な「1日1イベント」、例えば今日は郵便局で手紙を出したから今日の予定は終わり、明日は市場にマンゴーを買いに行くので明日の予定は終わり、というようなのんべんだらりとした旅程を、日本の旅でするには旅の期間が短すぎるのだ。すまぬ息子よ、浅虫温泉はまた今度。でも今日は三内丸山遺跡に行くぞ。

龍飛崎のキャンプ場をチェックアウト。青森市内へと向かう。

津軽半島を南下して道中、道の看板に、「世界文化遺産 大平山元遺跡」とあった。オオダイヤマモトイセキと読むそうだ。初耳だ。世界遺産というネームバリューには興味がないが、こんな所に遺跡が? 看板を辿ってみると、ポツンと小さな遺跡があった。なんと15000年前の日本最古の遺跡で、三内丸山遺跡より1万年近く古い遺跡だそうだ。凄いじゃないか! 

大平山元遺跡

遺跡の看板を読んでいると、解説員が寄ってきてこの遺跡の解説をしてくれるという。値段を確認せずに解説してもらったため、後で高額なガイド料を請求されるのではないかとヒヤヒヤしてしまった。ここは日本なので、そんな悪徳ガイドはそうはいないだろうに。もちろん無料だった。

その次に訪れた三内丸山遺跡も素晴らしい。

三内丸山遺跡

遺跡の庭に行ったらすぐに、息子が「もののけ姫のアシタカの村に似てるね」と呟いた。家に帰ってからもののけ姫を見てみると確かに似ている。息子は「タタラバは吉野ヶ里遺跡みたい」とも言ってた。ネットで調べれば真相はわかるだろうが、調べないで息子自身に考えさせることにしよう。

私は縄文時代が大好きだ。私も妻も、顔はどう見ても弥生人顔なのだが、生き様はあきらかに縄文人だ。農耕定住ではなくて狩猟採集。私も妻も母方が縄文人顔をしているので、私達夫婦は弥生人半分、縄文人半分と言ったところか。息子は目が二重で、どちらかといえば縄文人顔。

東北、とりわけ青森県を旅していてはっきりと思った。青森県人には縄文人の血が非常に濃く残っていると。目が二重でぱっちりで、非常に朗らかでのんびりしている。まるで沖縄県を旅しているような感覚だ。

アイヌ、蝦夷、琉球人、そして縄文人。私はこのテーマをもっと掘り下げて勉強したいと思っているが、私の身体の中に流れる縄文人の血がそうさせるのだろう。

三内丸山遺跡を見学後に、岩手県「つなぎ温泉」へ向かい宿泊。

盛岡市からすぐの場所にある御所湖に面した風光明媚な温泉街。泉質はツルツルで抜群。私の中で静岡県伊豆にある「観音温泉」が日本一好きな泉質なのだが、ここ「つなぎ温泉」と翌日の「東鳴子温泉」はそれに迫るほどの好みの泉質だった。化粧水の様にスベスベ。

翌日は宿を出て盛岡城に向かう。盛岡はつい数日前に「盛岡さんさ踊り」を見るために来たばかりだが、今日は昼間に探索する。「盛岡城跡公園」の石垣は非常に立派で、すぐ隣の「岩手銀行赤レンガ館」も明治大正期の風情がある。昼は盛岡名物「ジャージャー麺」を食べた。

岩手銀行赤レンガ館

私は東北6県の中で、「どの県が総合的に好きか?」と聞かれたら、岩手県と答えるだろう。山と海と歴史のバランスが好みだ。岩手県と宮城県は太平洋側だからか明るく豊かなイメージ通り、旅をしていて気持ちがいい。縄文人の血の色濃い青森県も好きなのだが、豊かな「津軽平野」とそれ以外の地域の差が激しい。やはり東北は平野・盆地と山間部では色が違うのだ。そして東北を廻ってから福島県に戻ってくると、とても都会の様に感じる。

昨年の旅では、茨木県「袋田の滝」→福島県「勿来の関」「いわき市」「アクアマリン福島」「あぶくま洞」「郡山市」「裏磐梯」「五色沼」「喜多方市」「飯盛山(白虎隊)」「会津若松城」「東山温泉」「塔のへつり」「白河城」「白河の関」→栃木県「宇都宮市」、と旅をした。福島県は、海の「浜通り」、都会の「中通り」、歴史の「会津」と、見どころが多い。

とりわけ会津は私の大好きな江戸時代の情緒を多分に感じられる。戊辰戦争では薩長より奥羽越列藩同盟を応援してた私。「勿来(なこそ)の関」の様なB級スポットを廻る旅は楽しい。今回は福島県にあまり寄らなかったので、福島県の旅の話はまた今度。

盛岡を出発して「南部鉄器」で有名な工場を訪れる。日本には岩手の南部鉄器や新潟県燕三条の金物など、素晴らしい鉄器産地がたくさんあるのに、割安な中国製を使う昨今の風潮は嘆かわしい。葛飾北斎や歌川広重の浮世絵版画のように、100年後に外国人から価値を認められるのだろう。

南部鉄器

次は平安時代の奥州藤原氏の拠点「平泉」に寄る。

「弁慶堂」や「中尊寺」を見学。弁慶堂で私が息子に「源義経はここから・・・」と義経伝説を語ろうとしたところ、傍を歩いていた別の親子も「義経はここから中国大陸まで逃げてチンギスハーンと名乗ったのだよ」と、同じ話をしていた。数日前まで泊まっていた青森県津軽半島の北端龍飛崎には、ここから義経が北海道に渡った伝説が残っている「義経寺」が現存している。山寺だったため、麓の看板しか見学しなかったのは惜しい事をした。

私は中尊寺が22年ぶり3回目。2回目と同様、金色堂は入場料が高いので外から眺めるだけ。

宮城県鳴子温泉の町並みを見学した後、お隣「東鳴子温泉」で宿をとった。


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