見出し画像

ホームスクール 近畿・四国・山陽山陰の旅・1

2020年のコロナ騒動以来、海外に行けなくなった私たちは、以前よりも多く日本国内を旅するようになりました。 その旅をいくつか紹介します。‎日本でもバックパッカースタイルの安宿・安飯・安移動の旅です。

今回は2022年、近畿・四国・山陽山陰の旅です。2回の旅を3話にまとめます。

三重県の津に数泊して、「伊勢神宮」と「鳥羽水族館」に行きました。

伊勢神宮 おかげ横丁

「おかげ横丁」で伊勢うどんと赤福を食べて、伊勢神宮へ。

伊勢神宮の後は鳥羽水族館。旅先では現地の水族館や動物園にはなるべく行くようにしています。息子はジュゴン・マナティ・ミズダコ・パラオオウムガイなどがここで見たかったそうです。水族館の後に「天の岩戸」に行きました。天の岩戸は全国各地にあるそうですね。

宿をチェックアウトして、「津観音」と「津城跡地」を見学。

ここは藤堂高虎という戦国大名の城跡なのですが、寂れてて少し悲しくなりました。高虎の人生は波乱万丈で、徳川家康臨終の際には外様で枕元に呼ばれた二人の内の一人(もう一人は天海僧正)で、高虎は津藩の名君であり、築城の名手で、歴史ドラマの主人公になってもいいほどの人物かと思うのですが、地元ではあまり愛されてはいないのでしょうか? 津藩は徳川恩顧なのに幕末の戊辰戦争の際に薩長側に寝返り、徳川が大いに嘆いたという話があるので、以来、地元の寵愛を失ったのかな、と勝手に想像したりしてます。

下の画像の石碑に彫られている高虎の言葉で、「寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。かように覚悟極まるゆえに物に動ずることなし。これ本意となすべし。」という言葉は名言だと思います。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの言葉、「あたかも最後の日の如く、今日一日を生きよ」に通じるものがあります。

津城跡地 藤堂高虎像

山梨県の甲府に行くと、どこに行っても「信玄、信玄」。武田信玄が愛されていたのが切実に伝わってきます。津城跡地もいつか再建されて「高虎、高虎」と言われる日がくるでしょう。

津城跡地から奈良方面に向います。まずは「長谷寺」。私が子供の頃に親に連れて行ってもらった旅行のほとんどは京都・奈良だったのですが、その時の記憶で一番思い出深かった寺です。

長谷寺

記憶に違わず、名刹ですね。人の好きずきですが「京都か奈良か?」と聞かれたら、私は迷わず奈良をお勧めします。商売ズレしてなくて、落ち着いているからです。

次は明日香村の「飛鳥寺」「入鹿の首塚」「石舞台古墳」。

飛鳥寺

飛鳥寺の仏像は、日本最古の仏像だそうです。曽我馬子とか厩戸皇子とか推古天皇とか、息子の日本史の勉強に役立ちますね。

私は32年ぶりです。当時は更に「橘寺」「持統天皇陵」「酒船石」「亀石」とか、小学生にしては渋い所ばかり父に連れられてました。今回の旅では割愛。

この後は息子が図鑑で見た「纏向遺跡」に行きたいというので行ったのですが、息子は期待値が高かったせいか「はぁ、へぇ、・・・」という感じだったそうです。邪馬台国があった場所の候補の1つだそうです。纏向遺跡の一部、「箸墓古墳」の方が有名ですね。

奈良市内に数泊して、奈良を観光します。「興福寺」「奈良公園」「東大寺」「二月堂」「正倉院」「元興寺」「ならまち」を散歩。

奈良公園

観光客がほとんどいなかったので、鹿煎餅を持った息子はお腹を空かせた鹿にすぐに囲まれていました。元興寺は妖怪の「ぐわごぜ」に縁のある寺で(ぐわんごうじ→ぐわごぜ、という由来だそうです)、息子は妖怪好きなので寺の入口まで行ってみました。

夜は車で「薬師寺」→「唐招提寺」→「平城京跡地」の周りをドライブ。もちろん私の歴史の解説付きで。唐招提寺といえば鑑真、8世紀に唐から船で日本へ渡航するも5度失敗、失明しながらも6度目に成功し、日本の仏教に多大な影響を与えた人物です。唐から招いたから唐招提寺。私と妻が20代の頃に、日本の神戸から中国の上海へ船で旅した時のフェリーの名前は「鑑真号」。歴史と旅は密接に繋がってきます。その時の旅は海路からそのまま陸路でマレーシアのクアラルンプールまで行きました。2ヶ月かかりましたが飛行機を使わない旅というのは味わい深いものです。

奈良の次は、初めて「伏見稲荷神社」に行ってみました。

伏見稲荷神社

コロナ後の外国人観光客が戻る前が空いているかと思ったので。ガラガラでした。

この後は滋賀県の「琵琶湖」「近江八幡」「安土城跡」「安土城天守 信長の館」を見てまわります。

神奈川県からここに来るまで、都市部を走ってる時は車窓からの景色がつまらないので、「へうげもの」という戦国時代の茶人・古田織部が主人公のアニメを車内で見ていました。これは安土桃山時代を文化人の視点から見た、へうげ(ひょうきん)なアニメで、歴史物として最高にお勧めです。話の前半には信長が安土城を築城し、天守閣を黄金に染める話があるのですが、正にこれを再現したのが「信長の館」です。ここには信長が家康の接待を明智光秀に任せ、信長を激怒させたという晩餐(アニメでは織部が家康を激怒させる)まで再現されています。この一件で光秀は本能寺を起こしたとも言われる晩餐です。

この後は愛知県の三河で宿泊。関東から関西へ旅する時の要衝地ですね。三河はよく泊まります。翌日は「岡崎城」「八丁味噌蔵」「蒲郡水族館」を見学。岡崎城は家康の生誕地。八丁味噌は工場見学できます。

八丁味噌蔵

息子は岡崎城も味噌蔵も好きで、これで3回目の来訪でした。蒲郡水族館は派手さはないですが、いい水族館です。タカアシガニを触れます。

次回は、山陽・四国編です。