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窪美澄『夜に星を放つ』(毎日読書メモ(452))

昨年夏に直木賞を受賞した窪美澄『夜に星を放つ』(文藝春秋)、受賞直後に単行本買ってあったのをずっと寝かせてしまってあったのを、ようやく読んだ。切ない、5つの短編は、それぞれに夜空に浮かぶ星や衛星を狂言回しとした物語。松倉香子さんの装丁、章扉の星座の絵が、ネタバレにまではならない物語の予感を与えてくれる。

「真夜中のアボカド」:コロナ下の閉塞感を縷々語る。コロナ禍になる前に双子の妹の弓ちゃんを亡くした綾、マッチングアプリで知り合って好きになった麻生さんが自分についていた嘘。弓ちゃんの彼氏だった村瀬君との月1回の食事。どこにも行けない感を、アボカドの発芽を見て乗り越えようとする、その姿に勇気づけられる。
「銀紙色のアンタレス」:夏休み、海辺のばあちゃんの家で過ごし、観光客のいない海でひたすら泳ぐ、高校生の真。たまたま出会った年上の女性への恋、自分を追いかけてきた幼馴染から寄せられる思慕。シンプルな片思いと、行間からあふれ出る夏の陽射しが、自分自身もいつか見た夏の光景を思い出させる。
「真珠星スピカ」:交通事故で亡くなった母さんが、いつの間にか自分の脇に立つようになった。転勤族の父と故郷の町に戻ってきたみちるは、ちょっとしたきっかけでいじめの標的となり、不登校→保健室登校になる。隣家に住んでいる担任教師の尚ちゃんの気遣いの鬱陶しさ、保健室の三輪先生との絡み。母の亡霊に見守られながら、少しずつ料理の腕を上げ、いじめの首謀者を母が撃退してくれる。しかしそれで母は消えてしまう。いじめが続いても、母さんがいてくれる方がよかった、と思う。失った人を思って泣くラストは、ちょっと「真夜中のアボカド」にも似ていた。
「湿りの海」:妻が浮気をして、娘と一緒に遠くに住む浮気相手の元に行ってしまった。残された僕は、隣の家に引っ越してきたシングルマザーとその娘とつかの間の交流を持つが、彼女たちも消えていってしまった。取り残された僕は、妻が残して行ったエティエンヌ・トルーベロの「湿りの海」という絵の中のぬかるみに、一人足を取られているのか。
「星のまにまに」:両親が離婚し、父とともに暮らしている小学4年生のそうは、父の後妻渚さんと赤ん坊のかいと共に暮らし、中学受験の塾に通う。実の母と会う回数は限られているが、自分から権利を主張することが出来ないでいる。渚さんが育児ノイローゼっぽくなり、想は同じマンションに住む佐喜子さんに救われ、佐喜子さんの部屋で、彼女が描く、彼女自身が体験した東京大空襲の地獄絵図を見る。

悪人がいない、という訳でもない。そこはかとない悪意が、誰かを苦しめている様子は息苦しかったりもする。不可抗力に苦しめられる主人公を慰める言葉を自分は持っているだろうか、と自問したりもする。苦しむ登場人物たちそれぞれが、自ら道を切り開いて、事態を打開して行かなくてはならないのだ、という結末はある意味残酷でもあり、でも一方、誰も、ひとりではないのだ、ということも語ってくれている。
立ち位置とか役割とかそういうものから離れ、星のようにそこにあることで、誰かを救ったり誰かを傷つけたりする。それが人間なのか、と、ため息をつきながら思う。

無邪気な人間賛歌ではなく、人は誰も、誰かの救いにもなれば誰かにとっての悪にもなりうる、ということを教えてくれる窪美澄の小説。わたし自身は、この本を読むことで小さな救いを貰えた、そんな気持ちでいる。

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