見出し画像

【詩的生活宣言*2】文学は、読めない。

旧友との会合前、すでに彼は酔っていた。
酔った足取りで二階の中華料理屋の階段を登ると足を踏み外して転倒した。
1、2秒気を失っていると旧友が迎えてくれて、酔っていた彼はすぐさま盛り上がって旧制高校時代に友と歌った軍歌を歌いだした。
すると、「おい、よせよ」「なんだ、その歌は」と旧友たちに言われてしまう。
さらに続けると、
「戦争中って、……いつの戦争だ」
「おれたちの若いころに、戦争なんてなかったじゃないか」とも言うのだ。
混乱した彼は酔いが回って倒れた。
家で目を覚ました彼は、戦時中に疎開を体験したはずの妻にも尋ねた。
すると、妻も戦争なんか知らない。
彼は本屋に行って確かめようとするも、『野火』も『真空地帯』も『戦艦大和』もない。
そこで彼は思った。
戦争がなかったのに、なぜ今の日本の社会が出現しているのか。
歴史の本にも「大東亜戦争」はなかった。
彼は三つの仮説をたてた。
 ・みんなおれに隠しているのか?
 ・おれが狂ったのか?
 ・まだ酔って悪夢を見ているのか?
新聞社の友人にも聴いた。すると、こう言われた。
「大ナントカ戦争がなければならなかったのか」
「大戦争がなくてもこうなったのだからいいじゃないか」
彼は思い始めた。
どうでもいいか。おれさえ黙っていれば何も問題はない。
しかし、あの何万人、何十万人という死があったことをなかったことにはできない。
あの戦争には、「世界」と「人間」のもう一つの側面がある。
あの戦争がなかったら、この世界にはなにか、根本的に欠けているものがあるはずだ。
彼は日比谷の角でプラカードを掲げた。
 戦争はあった、
 多くの人々が死んだ、
 日本は敗けた、
やがて彼は日比谷の角の、あの狂人と呼ばれるようになる。
当然、警官と精神病院の医局員がやってきて、彼をたしなめる。
すると彼は言う。
「おまえ、憲兵だな!」
医局員の腕章の裏に憲兵の腕章があると叫ぶ。
医局員と警官は顔を見あわせて急に乱暴になった動作で護送車に彼をつれこんだ。
彼はわめきつづける。
「みんなきいてくれ! 戦争は本当にあったんだ。――思い出してくれ、きいてくれ!」
彼が連れ去られたあと、日比谷の角は何事もなかったかのようにのどかな春の午後にもどっていった。
小松左京「戦争はなかった」(「文藝」1968年8月)のあらすじ

夏の文学教室(2018.8.2近代文学館主催 よみうりホール)で高橋源一郎の講演を聴いたとき、彼は小松左京の「戦争はなかった」の話をしました。

『野火』などの戦争小説よりも、この「戦争はなかった」こそがいま読むべき作品であり、圧倒的にリアリティがあると。というのも、街で話を聞けば「え、日本ってアメリカと戦争したんですか?」というくらい「戦争」の記憶は、大袈裟ではなく、ほとんど継承されていません。

この小説が書かれた戦後20年ちょっとのときに、すでに到来の予感があったからこそ書かれたのかもしれませんが、それからさらに60年あまりを経たいまは、まさに「戦争はなかった」世界になっているとも言えるでしょう。

誰とも話が通じることがなく、「戦争はあった」ことにこだわって演説をしだせば、たちまち狂人扱いを受けてしまう。もちろん、学校の歴史の授業で「戦争」があったことを学びはしますが、それがいつのことで、なにがきっかけで、どんな戦争であったかなどを知っている人、いえ、覚えている人はほとんどいません。かく言う僕も昨年、半藤一利『昭和史』(平凡社 2009年6月)を読まなければ「戦争」のディティールについて知ることもなかったかもしれません。これは終戦の20数年後に書かれたSF小説ですが、たしかに今こそリアルにその世界観を味わうことのできる作品であると言えます。

ただ、これは別に「戦争」に限った話でもないのではないか。

ここに「文学」を入れても、「詩」を入れても、そんなに大差のない話なのではないか。
「文学はなかった」
「詩はなかった」
自虐的とも思われるかもしれませんが、渋谷の街を歩いている人たちの生活のなかに「文学(以下、詩も含むものとして)」が溢れているとはあまり思えません。

そしてこれは、「スポーツ」でも「ゲーム」でも「マンガ」でも同じです。
その人の生活のなかになければ、それはなかったも同然です。

インターネットは、僕たちをさまざまなモノや人をつなげたように思えます。しかし、言うまでもなくTwitterやInstagram、FacebookなどのSNSは同質のもの同士でつながろうとするツールです。一見多様なもの同士でつながっているように思えても、それは逆にタコツボ化していくように設計されています。すると、その人の外部の世界に広がっているものはだんだんと見えなくなり、ある意味なかったも同然の状態となっていく。

たとえば、Twitterでは、選挙があると政治に関心のあるアカウントをフォローしていると、タイムラインは、特定の政治家を支援するツイートでいっぱいになります。すると、世の中はその政治家を支持する人が多いのかなあと思っていると、いざ選挙が終わってみればそれは全くの少数派であったということは珍しくありません。外部の世界は、全く違った論理と世界観で動いているのです。

こうした世界のなかで、あらたな読者を獲得せんとして、「文学」のない世界に「文学」を発信するというのは、限りなく無謀な挑戦と言ってもいいかもしれません。それでも、なんとなく、どこにでも「文学」があるような、誰にでも「文学」が通じるような気がするのは、単に学校の授業で夏目漱石や芥川龍之介、中島敦や森鷗外、中原中也、三好達治といった一部の近代文学者の、一部の小説や詩や、古典、俳句、短歌を読まされた共通体験があり、みんなそれを理解し得たと信じていることに要因がありそうです。

何度も言いますが、「文学」は藝術です。藝術を「わかる」人は感覚で「わかる」のです。
もちろん、そこにいたるまでに果てしない個別の意味の理解と論理の積み重ねがあるものですが、その論理さえも、美しいと感じられるかどうかも最後は感覚です。

いかに国語の授業で「文学」が丁寧に扱われ、あたかも「読む」ことが可能であるかのように教え込まれようとも、それは美術の授業で扱われる絵画や彫刻と本質的には変わらないのです。
人は絵画を鑑賞するとき、たとえばそこに貴婦人が描かれている、リンゴが描かれているという、個別のモノはわかるかもしれませんが、最後に、その絵画自体を「わかる」かどうかはそれこそ視る者の感覚次第でしょう。

にもかかわらず、言語で高度に精密に作られたというだけで(もちろん「文学」が果たした「近代化」の功績に敬意を示した上で)、(学校の授業で教えられるという)特権的な位置に「文学」があるということが、何かその可能性を狭めているような気がしてならないのです。

ある意味、当然のことを言います。

「文学」は、「詩」は、一旦、一「藝術」に帰してやらねばならないのではないか。

単純に、「文学」や「詩」は「美」の世界に帰るべきです。

なぜ、「文学」を国語の授業で学ぶのでしょうか。
国語は、言語を学ぶ教科です。
しかし、「文学」の言葉は、「国語」の顔をした別の何かです。
それは確かに言語の多様さ、豊かさを学ぶことのできるものに違いありません。
しかし、「小説」や「詩」と「評論」を同列に学んでしまうことにもっと慎重になるべきです。
「意味」を伝達する日常言語と、それ自体が「価値」であるという藝術としての言語。
僕たちは、「文学」が藝術であることをもっと意識するべきです。
そして、その書き手も、そのことを自覚するべきです。

藝術の重要性は、ここで言うまでもなく、再認識されている際中です。
書店のビジネス書コーナーでも、ビジネスパーソンが学ぶべき藝術解説本が溢れています。
クリエイティビティは藝術の言語化しえない感覚に触れてこそ刺激されるものです。
終身雇用・年功序列を前提にした、従来の規格化された生徒や学生を育てる教育は、いま、テクノロジーの進歩とグローバル社会の進行によって転換点を迎えています。与えられたハコのなかで、周囲の空気を読み合いながら、命令を正確に再現する能力よりも、自身で問題設定をし、横断的な知識と発想とをもって解決策を考える柔軟な思考の方がこれからの時代には価値のあるものです。
単純に、インターネットがあることによって、すべての人がプレイヤーの時代で、人を魅了するセンス自体が価値でしょう。
そこに、藝術が与える感覚や認識の力は効果的なはずです。

横道にそれました。

実用性の問題ではありません。
問題は、
僕たちは、「文学」が読めるものだと思いすぎたことです。
みんなが読めるものだと思いすぎた。
しかし、「文学」は本質的に読めないのです。
しかし、読めないということを理解してこそ始まる想像(創造)性があります。
すぐ近くに、誰でもアクセスのしやすい「文学」という藝術があるのだという事実。
それは、書き手も、送り手も、読み手も、考えてみなければならないことなのではないでしょうか。

小松左京セレクション 1---日本 (河出文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4309411142/ref=cm_sw_r_cp_apa_62mRBbF3EQQDT

この記事が参加している募集

Web Magazine「鮎歌 Ayuka」は紙媒体でも制作する予定です。コストもかかりますので、ぜひご支援・ご協力くださると幸いです。ここでのご支援は全額制作費用にあてさせていただきます。