なら光合成するわ
こういう日に限って、傘は忘れるし、鞄から鍵を見つけられないし、掻き回した所為で、air podsが溢れ落ち、左右のイヤホンが散り散りになる。やっと取り出した鍵は、するりと鍵穴に刺さってくれない。もたついた分、雨に濡れる。イラつく。体中から滴る雨、玄関に水溜り。いつもより雑に扉を閉め、大きな音に自分で驚く。
どうしても飯を作る気分になれず、セブンで「ゴーヤチャンプルー」を買って帰った。ラップを剥がし、600Wで2分30秒、加熱する。
「仕事って、楽しいだけじゃダメなのかね」
レンジから取り出したプラスチックの容器は、熱で歪み、捻くれた顔で出てきた。「おれの方が捻くれたいよ」と、関係のないゴーヤチャンプルーに当たる。くたくたになった内容表示シールを、適当に読み「ゴーヤチャンプルー」と、ニヒルに呟く。「お前は、楽しい名前だな」チャンプルーの部分に、オレンジと黄色が混じった、陽気を感じる。羨ましい奴だ。華やかな名前とは正反対の苦味が、舌に残る。
都内某所、BAR併設のレンタルスペース。係員に誘導され、地下に潜る。参加者は23人。誰も面識が無い。奥の方に、1人だけ雰囲気の違う男がいる。椅子に腰掛け、数名に囲まれている。態度から見るに、偉い人かなんかだろう。聞くと何やら有名企業の、なんとかかんとか。僕は「ふーん」と言った。全員が揃った所で「SDG’s」の講習会が始まった。
席は、ランダムに配置され、円形の机を囲うように、4人ずつ座った。最初の1時間は、プロジェクターに放映された「SDG’sがなんたるか」を聞いた。僕は「SDG’s」の事を、よく分からないまま、横文字のかっこよさ1点に¥20000の受講料を払って参加した。やっぱり難しい。でも、地球にとって、大切な内容。今日を境に、まるで国際サミットでスピーチする環境活動家にでもなった気分だ。
5分の休憩を挟み、平和、平等、多様性の講義が行われた。講師から「レゴブロックで自由に、多様性を表現してください」と言われた。
「えっと、多様性、多様性」その場にいる全員が、黙ってレゴブロックに勤しむ。その光景に、大人を感じた。幼稚園でレゴを使ったレクなんてやろうもんなら、狂喜乱舞の一つや二つ、当たり前だと思ったので、静かな大人たちを見て「大人だなあ」と思った。
案に行き詰まり、隣の人の作品を、盗み見る。右隣は40代後半、行政書士の男。黒のジャケットを椅子に掛け、Yシャツを腕まくりし、レゴをしている。聞くと、社員を何十人と抱えている、立派な男らしい。自由な発想でレゴ作品を作る事、それを発表する事に、恥ずかし気がなく「子供たちのような自由な発想を、大人がやることは難しいな」と、自分の現状を正しく見ている様子。ただ、頭は固そうで、発想は経済新聞好きの、真面目なおじさんのようだ。
左隣は、王手化粧品会社の広報担当の女。30代前半。会社から参加命令を受け、参加したらしいが「参加している事は、自分の為にも会社の為にも、そして我が子の為にも、有意義な事である」と言わんばかりの自信を感じる。彼女には、信念と母親の立場がある。多分、プレゼンとかも上手いのだろう。自分の感性に疑いがない分、レゴを積み上げる手が止まらない。
正面は、有名大学2年の女の子。最近までインドネシアに留学をしており、自ら体験した生活から、国際問題に興味を持ったらしく、この講義に参加したらしい。彼女の未来には、沢山の選択肢がある。ただ、自分の感性への自信はまだなさそうで、作って発表する事に、表現がなんたるかを決めかねている。手、目線に恥ずかしさを感じる。
それらを見て、何も成し遂げていない、底辺工業高校卒、今は野良で鼻くそをホジくりながら、人の悪口を言って暮らす僕は思う。
「コイツらには負けなそうだな」と。
発表の時間が来た。まずは、各班で発表しあって、代表者を選び、全体の場で発表。この会場で、1番面白かった作品を決めるとの事。
彼らの作品は、やはり、ビジネスシーンでよくある、ごく普通の、一般庶民の発想で、当たり障りがなく、誰も傷付かず、マジョリティが故に、最低限の票が入るような、緩い作品だ。僕、内心、鼻で笑う。数個のレゴブロックを立てて、大きなリングを作り「これが手を取り合う人々です」らしい。逆にすごい。組み立てもしていない。それを、さも「僕は(私は)発想の人ではありませんので」という顔をして、発表したくてした訳ではなく、発表する講義なのであって、勇気ある発表をした自分に、意味があると、言いたげな表情。ピンとこない班のメンバーに、少しだけ、不服そうな顔をしている。「まあ、大丈夫、お前たちはそんなもんだ」と思いながらも、面と向かって、悪態を付ける勇気は持ち合わせておらず「おー」と、賛辞の拍手を送った。
さてさて、僕の番。僕は、いろんな色や形が、混じり合ったブロックで、6本指の「手」を作った。決まった色や肉体、素材じゃなく、混ざり合って一つの手になれたらという思いで、この作品を作った。名作が誕生した。興奮冷めやらぬ内に、鼻息荒く発表。僕は、この手の発表が得意だ。なぜなら、美術、音楽など、その手の成績が5だったからだ。
行政書士の男の「代表どうしますか?」に対して、「遠藤さん、どうぞ、どうぞ」と言われ、恥ずかしながらも「まあ、この班はおれだろうな」と、肩で風を切りながら、登壇。全体での発表。「おー」と、会場は盛り上がった。やはり、この手の発想が得意だ。みんなから「すごい」と言われた。
でも「すごい」と言われるだけだった。
最優秀作品は、あの、偉そうな人に決まった。彼は、風車や家など、数種類の建設物を作り「この街でみんな仲良く暮らす」という、しょうもない作品を発表した。それを、皆んな、疑いなく褒めている。
彼は、受賞コメントを求められ、まるで彼の演説みたいな事を初めた。「仕事をしていく上、生きて行く上で大切なのは、美しく、誇り高く、文句を言わず、他人を思う事。それが心であり、それこそが、正しい道を照らす」などと、御託を並べている。
会場中が、僕の作品の盛り上がりなど忘れ、僕はただの催し物と化した。
レンジで温める時間を間違えたのか、ゴーヤチャンプルーが、まだ硬い。「チッ」嫌いになりそうだ。もう一度、今度は1分30秒、温め直す。取り出した容器は、更に歪んだ。「いや、どう考えても、おれだったろ」また、ゴーヤチャンプルーに当たる。半分噛み、歯形のついたゴーヤが、コチラを睨みつけている。「結局、商業は数ですよ」と言ってきた。激烈に、気分が悪い。
何が、美しくだ。何が、誇り高くだ。何が、文句は言わずだ。それが心だ?それこそが、正しい道を照らすだ?結局、こういうクオーターバック的な優等生が、全部持っていくんですよ。美しさと民意を履き違えた、ビジネスに使いやすい奴らが、正しいと偉そうに言うんですよ。クソ。やっかみですよ、何か文句あんすか?
だって、文句は、普通に、言うだろ。
この場合、言わないほうが、キモいだろ。こう言う、自分が善人だと信じて疑わない奴に限って、ストレスの先に言う悪口で、自分は攻撃されない位置から、自分の正当性を守ために、枕言葉を付けて「別に、差別してるってわけじゃないんだけどさ」みたいな事を言うんだ。
僕は、違う。間違いなく、差別的人間だ。何せ、悪口が、最高に面白い。でもアイツらは、自分が差別的である事を認めるのが怖いんだ。最初に、認めるのが、怖いだけなんだ。どう嫌われて、どう思われるかに、ビビってるんだ。人は「差別」と聞くと、人種差別を連想するから、怖いんだ。何も、そんな大きな差別の話はしてない。0か100の話をしてんじゃない。で、時代が悪口や本音を受け入れた途端、手のひら返して、悪口を言い始め、なのに自分の悪口は「差別じゃない」と主張する。それなのに、何が風車を建てて「誇り高く、文句を言わず」だ。はっきり悪口言った方が、よっぽど健全だろ。悔しい。
分かってんのよ。黙らせるには、数字しかない事も、アイツらにこそ価値を求める人達がいる事も、褒められた発想が、芸術の域に達している訳じゃない事も、頭の硬い奴らを斜めから見る事で生まれたカウンター的発想でしかない事も。
惨めになり、ゴーヤを眺める。こんな人間が、ゴーヤを飲み込み、数時間かけて排泄し、下水に流すんだと思うと、農家や生産者に悪い気がして、食べるのをやめ、冷蔵庫にしまった。
「分かった、なら、光合成するわ」
今頃になり、怒りがピークに到達した。楽しんで作品や発想を生み出し、それで、金や権力を持っているアイツらより、偉くなれないというのなら、おれは、光合成する。ロクな物を生み出さないのに、偉そうにし、酸素を使うだけの奴らに勝つために、おれは、作品も発想も生み出し、更に酸素も生み出してやる。
だから、僕は緑色のパーカーを買った。
数日間、着続けたら、知り合いから「最近緑好きだね」と言われた。僕は、心の中で「光合成するからね」と返した。
そんなこと、言葉にしてしまえば、たちまち「変な人」に認定される。それは出来ない。嫌われたくない。それが分かっているから、別の面白い返答を言おうとするも、思いつかず「うん」とだけ、答えた。変な間での返事になり、変に思われてないか、心配になった。
この人の中の変な人になる勇気すらない自分。本当に光合成が出来たら、変な人じゃなく、本当に凄い人になれるのに、社会に受け入れられる為だけのビジネスマンの方がよっぽど変だと怒っていたはずなのに「うん」に逃げた自分。嫌気がさした。
走馬灯のように、渦巻く映像。挑戦、可能性、嘲笑される変わり者、逃げ出したけど生きている人、缶を拾い集めるホームレス、落ちてる小さい言葉、誰も見向きもしない事。自己表現。
その後も人知れず、頑張ってみたが、僕の体から、酸素は発生しなかった。出来ないことが、よくわかった。なら、できる事から、しよう。
僕に出来る事は、自分に酸素を発生させる才能が無い事を認め、今はアイツに勝てない弱さを認め、それでも納得いかない事への悪口を言い、それを表現し、こんな奴でも生きていると伝え、自分に正直に生きる事だ。
誰の肌が何色かなんて、どうでも良い。でも僕の肌が緑じゃない事だけは、憎い。
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