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#お金について考える
宗教の道に入ったら、お金の心配はなくなる、はず?
おとといのnoteで、お布施のソモソモ論を書きました。
お布施は、
「生活のために働くことをしない宗教者から、生きる指針についての法話をしてもらい、そのありがたさに応じて喜捨されるもの」
つまり山へ籠もって修行をする暇のない一般市民にとっては、お金を手放すことが修行なんだ、と。
利他の精神があれば、お金がなくても困らない?仏教思想にねざした経営論では、こんなふうにいわれます。
誰かの役に立
お布施は、「高いなぁ!」と思いながら手放しても意味がない❗
師走の土曜日の真っ昼間。
友人から届いたLINEです。
これをもとに、さっそくショート動画を発信しました😅
お布施は義務ではなく、在家の一般市民が修行をするチャンス昭和の高度経済成長の頃。
人々は企業の一存で遠くの街へ引っ越したり、実家を遠く離れ都市部に居を構えたりするようになりました。
そんななか、「お金を払えば院号など、立派な戒名をつける」というお寺が続出。
ココがまさに、いまの寺離
カルトや路上生活という特殊社会の幸福度
やっほ〜。今日は、カルトや路上生活といった独特のコミュニティに所属した人たちが、なぜなかなか抜け出せないのかの蓮沼にハマってみよう。
いまの日本では、自分のお金を増やすこと、減らさないことに価値が置かれているよね。
それでいて、都市部のメンタルクリニックはどこも満杯で予約が1ヵ月待ち。幸福度が高いとは、とてもいえない。
民生委員として高齢者宅を訪問をしていると、機関銃のように小一時間もお話しく