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今必要な言葉は、どこに。


まただ。

怒り、やるせなさ、もやもや、どうにも消化できないこの気持ちにとらわれて、何にも手につかない。

表面的には平等を求めながら、みんな自分のことしか考えてないよ。
どうして、お互いさま、協力してやろうよ、と思えないのかな。
(そんな私も、公平に、客観的に見れているのだろうか、と自問する。)

……………
集団をまとめるのって、難しい、とあらためて思う。
落ち着け、感情的になるな、こんなことで私は負けないしめげない、と言い聞かせながらも、お腹の中はふつふつと煮えたぎっておさまらない。


大丈夫。
きっと表面的には穏やかに、にこやかに、対応してみせるから。
(なんて思うこと自体が、意地になっている…。)


今日もいい気分でnoteを書こうと思っていたのに、そんな感情で支配されて、自分の楽しみを奪ってしまうのが、悔しい。


リセット!!


と声に出して、気持ちを切り替えられたらいいのに。
なかなか、そうはいかないものね。





去年、図書館で借りてきてすごくよかった「エッセイストのように生きる」。
そう、松浦弥太郎さんの本。

ここでも何度かそれについて書いて、いつかお守りのような存在として買おうと思っていたもの、ようやく4月になって我が手元に。
そして、それといっしょに見つけた「大切に抱きしめたい お守りのことば」も、買ってみた。


言葉というのは、人を喜ばせたり、人を笑顔にするために使うものだと、心のどこかに刻まれて僕は成長しました。
言葉とは何か。そう聞かれたら、言葉はお守りと答えます。
そしてもっと言うなら、言葉は魔法です。(本文より)
ていねいな生き方を重ねてきた著者が贈る、155の言葉。

「大切に抱きしめたいお守りのことば」説明より



…その「お守りのことば」、ぺらぺらとめくって読んでみたものの、最近の私にはどうにもすんなり受け入れられなかった。

いや違うんです、もちろん松浦さんの言葉はどれもそのとおりで、そうなんです、でも、心に余裕のないときって、そんな次々と綴られたていねいな言葉たちを素直に受け入れられない自分もいて、わかってるよ、わかってるけど…とひねくれたように拗ねたようになってしまうのです。(心の中の必死の弁解。)


なので、これは今読むべきじゃない、いつかまたそのうち、とそっと本棚にしまう。


こんなときこそ、わかりやすく諭されるより、小説やエッセイや、それこそnoteの皆さんのつづった言葉に救われることの方が多かったりするから。



さあ、読もう、寝よう。
読んで、寝て、リセットしよう。

今の私に必要な言葉を求めて、さぁ明日もがんばろう。



いつも、本当にありがとうございます。






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