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初めての恋人との子を流産した話⑦

2021年 7月3日
 いつもの待ち合わせ場所。
 「結ごめんお待たせ、大丈夫?ちょっと先に薬局寄ってもいい?昨日飲みすぎて胃が痛くて」
 「…。」
 なにも言う気が起きなかった。なに、それ。最初の一言がそれ?飲みすぎてって何…。
 
 ゆっくり話が出来る場所に移る。そこで初めて私は口を開いた。明らかに何も話さない、様子のおかしい私に彼もやっと空気を察したようだった。冷静に、彼が悪いわけじゃないことなんて分かっているでしょう、冷静に。
 
「昨日、午前中仕事だったのは聞いてたし仕方ないけど、夜飲みに行ったの?」
―「行った、前々から約束してたから」
「私を優先しろなんて言えないけど、何があったか分かってるよね?心配で駆けつけるとか、それが出来なくても電話の一つくらいしようとも思わなかったの?あの数行のメッセージを送っただけで満足だったの?」
―「数行って、あれでもすごく考えて送ったんだけど…」
「会社の人から電話で言われた、相手の人はこんなときになにしてるの?って。普通、こういうことがあったら飲みに行くどころじゃないんじゃないの?待ち合わせで開口一番が“飲みすぎたから胃薬買ってきていい?”って、わざとやってるの?ふざけてるつもり?」
―「ごめん、でも、心配で駆けつけるとかそういう考え、なかった」
「それって、私のこと、たいして大事でもないからなんじゃない?“より一層大事にしなきゃと思った”、なんて考えて送ってくれたんだとしても、行動が到底そうは思えない。」
―「僕は察するのとか苦手だし、心配だったけど、でも」
「察するのが苦手なんて知ってるよ。元カノとそれが原因で別れたのだって聞いたし覚えてるよ、分かってるよ。だから今まで、今だって、察して欲しかったなんて一言も言ってない。心配じゃなかったの?私が落ち込んでるなんて少し考えればわかるじゃん、察するとかじゃなくて」
―「…。」
「いつも落ち込んだとき、頼ったら応えてくれた。電話したらすぐ夜来てくれて一緒にいてくれたことだってあった。だから、今回もきっと私が電話したら、すぐ来てくれたと思う」
 ―「行ったよ、もちろん、それは行ってた」
「今回、私から今日会おうって言わなかったらどうするつもりだったの?昨日、悲しすぎて涙も出なかった。必死に考えて、産むって決意して、その瞬間出血があって、もうだめだと思った。朝起きたら、今まであった気持ち悪さが全然なくて、終わったと思った。そういう感覚もぜんぶ、自分の体に起きてないからYくんは実感もなかったと思う。でも、わたしはずっと、命があるって実感してた。それが、死んだんだよ。落ち込まない訳がない。どうして一番傍に居て欲しい時、傍に居てくれなかったの?」
―「…。」
 
Yくんは、泣いていた。彼が泣いているのを見るのは、付き合う前の、「幸せにしたい」と言ってくれたあの日以来だった。
 
「察して欲しいとかじゃないの。心配じゃなかったのかが聞きたい。心配して行動に移せなかったなら、きっと、私のことは好きじゃないんだと思う。結婚するとか、私は覚悟決めてたつもりだった。でも、Yくんはきっとその程度だったんだね。大事にしなきゃと思ってくれたのは本当かもしれないけど、それって義務じゃないよ。」
 ―「わかんない。心配だったよ、もちろん。だけど、駆けつけるとか、電話するとか、そういう発想が全然なかったのは事実だよ。わかんない。僕は結のこと好きだよ、でも、行動できないってことが好きじゃないってことなら、好きなのかどうか、分かんなくなった…。」
 
好きかどうか分かんなくなった、か。
 冷静に、と思ったのに追い詰めるような言葉しか出てこなかった。私だって、幻滅しても彼のことは好きだ、今でも。夢見た将来に彼はいつだって隣にいる。だから好きだって自信を持って言って欲しかった。でも、私が追い詰めたんだ。好きかどうか分からないなんて、言わせたのは私だ。
 
「もうちょっと考えてほしい、好きじゃないなら付き合っている意味がないから。言葉でうまく説明できる自信がなかったから手紙書いてきた。私がこの数日、どういう気持ちだったか、どういう体調の変化があったとか、読んでみて。また一週間後連絡して。」
 昨日の夜したためておいた手紙を置いてその場を去った。自分の体にしか起きなかったことなんて、彼が知る由もない。男性のほうが子供を持つという実感を抱くのは遅いものだというが、それもそのはずだ。彼もきっと実感を抱く前だったから覚悟もなにも足りていなかったのだ。自分の気持ちの整理がつくまで、お互いに分かり合うには時間が必要だと思った。
 
 家に着き、泣き崩れた。もうだめかもしれない。愛想つかされたかもしれない。好きか分からない、って言われた。心配して、大丈夫だよっていって、変わらず愛情をくれるものだと思っていた。バカみたいだ。そんな私を母は心配していた。
「昨日夜飲みに行ってた、って。ゆるせない」と愚痴をこぼす。「男の人なんてそんなものだよ。お父さんだって、私が流産したとき心配のひとつもしてくれなかったよ。」と母。なんでそんな人と結婚したんだろう。お父さんのこともゆるせない気持ちが湧いた。
「でも私は、納得できない。」悲しみが怒りに変わっていた。
 
 それから一週間、嘘みたいに元気に働いて過ごした。もう吹っ切れた、というフリをした空元気だ。忙しくしていたほうが気も紛れるだろうと職場の人も空元気に付き合ってくれていた。
 
2021年 7月10日
 約束の一週間後。仕事終わり、彼から電話があった。
「もしもし」
―「あれから一週間、考えたんだけど」
「はい」
―「僕はやっぱり結のことが好きだよ。」
「それで?」
―「あのときはごめん、でも好きだから、別れるつもりもない」
「謝って欲しいわけじゃない、なんで好きって言えるの?あの時分かんなくなったって言ったのに、なんで?」
 ―「それは…」
「一週間も考えて、好きだから、なんだ」
 
欲しかった言葉も今じゃない。受け入れがたい悲しみは、すっかり怒りとして彼にぶつける以外の処理方法が分からなくなっていた。好きってなんだよ、そんな軽い言葉じゃもうなにも信じられなかった。
そのまま、水掛け論のような会話は喧嘩へと変わり、やがて
「もういい、別れよう。」
 
彼から切り出された。私ももう、どうでもよかった。
「わかりました。もう今後一切、わたしの人生に現れないでください。」
 
怒りに任せて、自暴自棄に放って私たちの一瞬の恋愛ごっこが終わった。本物の愛だとおもっていたそれはなんだったのだろうか。くだらない。
 
 受け入れがたい悲しみを怒りとして人にぶつけ、大丈夫なフリをして空元気をまとった代償は、遅延性の悲しみとしてやがてより大きくなって私に襲いかかった。
 

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