アメリカ生活最高だったけど日本に帰国した理由
前回の記事でアメリカ生活が最高だった理由を書きました。
3年住んだ結果アメリカに永住したいなーとも思ったんですが、去年の夏に日本へ帰国してきました。
今は普通の大学教員として研究者をやってるんですが、
今回は私が日本へ帰国した理由をまとめてみたいと思います。
やっぱり言語の壁
これに尽きます。
私3年間住んでたんですが、英語はそこそこ上手くなりました。
仕事でも普段のコミュニケーションでもあまり問題なくなりました。
それでも・・・!
やっぱり言葉の不自由さを感じてしまって苦しいなと思うことがあります。どういう場面で苦しさを感じたか、まとめてみます。
・仕事で出世ができなさそう
・ホームパーティーがキツイ
・まともに病院にいけない
・税金とか面倒くさい書類がわからない
出世できるかな
出世が全てではない。それはわかってます。
ただ大学の研究者っていう職業の性質として、常に上のポジションは狙っていかないとクビを切られてしまうんですよね。
基本、単年度か数年単位の契約なので職場はガンガン変えていきます。
簡単に出世コースを書いてみると
ポスドク(Post doc)
↓
助教(Assistant Professor)
↓
准教授(Associate Professor)
↓
教授(Professor)
この出世の流れは日本も変わりません。
助教以上になると独立ポジションになる。
そういう人たちは、外部から研究資金を獲ってこないといけないんですが、獲れないと大学からクビを切られるという厳しい世界。
私はとある大学の教授が運営している研究室でポスドクやってました。
そんななか思ったのは、助教以上に上がっていく人たちって、
とにかくコミュニケーション能力が高いということ。
上を目指す人はとにかくガンガンしゃべる。
インド人だったらインドなまりの英語でガンガンしゃべる。
自分をアピールできる能力が高いんだと思います。
大学では助教以上の教員になるには、上の人とのコネクションが大事だったりするので(もちろん業績も大事)、自分をアピールできる人が生き残れるんだと思います。
もちろん日本人でもそういうことができて、大学の教員クラスになってる人もたくさんいますが、私はその自信がなかった・・・。
つまりはパーソナリティの問題ですね。上の人とガンガン絡んでいけて良好な関係を築く能力に自信があるよ!って人はアメリカでも生き残れるんだと思います。
私が研究者としての人生の先のことをイメージしたときに、
将来アメリカで成功しているイメージがわかなかった・・・なんとなく。
だからと言って、日本で成功できるかどうかはわかりませんが!
でも帰国した最大の理由は、
同じく研究者である妻が日本でキャリアを積みたいって言ってたので、彼女の人生を優先したってことなんですが。
ホームパーティがきつい
アメリカだとやたらホームパーティがあるんですが、結構きつかった。
ホームパーティって食べ物を食べるのが目的じゃなくて、みんなでおしゃべりするのが目的ですよね。私は英語でそんなに長時間しゃべれないです。
あんまりしゃべらないでいると、
「体調悪いのか?」
って言われて心配されてしまう。
自分が情けなくなります。
だから何かしらしゃべるけど、頭をフル回転させないと英語で雑談ってできないので、言語が違うとキツいなーとおもってました。
パーソナリティの問題もありますけどね。
病院の予約がとれない
そもそも電話で意思疎通をするのがきついです。
まず自分がどういう症状かを伝えればスムーズに予約が取れます。
でも結構な確率でたらい回しにされます。
「その症状だったら〇〇にかけてね。」
と言われてその番号に電話をかけたら
「この番号じゃなくて違う番号にかけて」
と言われた番号が最初に私がかけた番号だったりする。
言語が違うと大変だなーと思います。
余談。
アメリカの病院は予約なしではいけないから、必ず電話で予約しないといけない。どこの病院も基本的には予約で埋まってます。
背中にヘルペスが出来たとき、病院に電話したら診察日は1週間後と言われた。ヘルペスって疱疹が出来てから2日以内に抗ウイルス剤を飲めば治るんだけど、時間が経つと薬が効かなくなる。
1週間後に医者に見せに行ったけど、
「今できることは何もないわよ」と言われた。
でしょうねー!ってなりました。
税金とか保険とかの書類作業がきつい
私はアメリカでは外国人になるので、税金関係の書類作業が面倒くさかった。でもたぶんこういう書類って見慣れます。私が苦手なだけだと思う。
こんな感じ。
後半に書いたのは、日本へ帰国する理由にはならないんですが(笑)
言語が違うと細かいところでストレス感じたりしますよね。
でも実際アメリカ生活は最高です。
私には永住する能力が足りなかっただけ。
まとめると
アメリカ生活最高だったのに、日本へ帰国した理由は
妻の将来のキャリアのことを考えたからでした。
最後までご覧いただきありがとございました。
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