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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#絶対隔離政策

光田健輔論(53) 「三園長証言」の考察(2)

国会図書館に所蔵されている国会議事録より,いわゆる「三園長証言」を見ることができる。 「…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(52) 「三園長証言」の考察(1)

私が「光田健輔論」を書く目的は、光田健輔の人物像を描くことでも、彼の業績や人物の評価でも…

藤田孝志
2か月前
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光田健輔論(51) 変革か呪縛か(6)

「癩予防法」改正(「らい予防法」成立)の背景に、栗生楽泉園での<一・一六事件>が与えた衝…

藤田孝志
3か月前
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光田健輔論(50) 変革か呪縛か(5)

「特別病室(重監房)事件」は、ハンセン病患者による犯罪への新たな対応が求められる契機とな…

藤田孝志
3か月前
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光田健輔論(48) 変革か呪縛か(3)

※ 私は通常「敬称」を付けて記述することを原則としているが、特別な場合を除き、以後は「敬…

藤田孝志
4か月前
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光田健輔論(47) 変革か呪縛か(2)

なぜ「第2世代」の犀川一夫氏らは光田健輔ら「第1世代」が推進した絶対隔離政策を批判するこ…

藤田孝志
4か月前
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光田健輔論(35) 善意と悪意(5)

『ハンセン病 絶対隔離政策と日本社会』(無らい県運動研究会)所収の徳田靖之「救らい思想と無らい県運動」を参考に、小川正子と『小島の春』が果たした役割をまとめてみたい。 <ハンセン病問題に学ぶ>ことは、過去のできごとを<歴史>として学ぶことではない。その<歴史>の中に潜んでいる、決して繰り返してはならない「原因(要因)」と「意図(思惑)」を学ぶのである。過ぎ去ったことと振り返ることなく見過ごせば、同じことが再現されていることは多い。 上記の一文の「註」として、徳田氏は次のよ

光田健輔論(31) 善意と悪意(1)

善意も悪意も「主観的な心情」である。いくら自分では「善意」での行為であっても、他者にとっ…

藤田孝志
7か月前

光田健輔論(30) 浄化と殲滅(11)

三上千代の足跡を辿って、あらためてハンセン病対策には多くのキリスト者が医師や看護婦、職員…

藤田孝志
7か月前
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光田健輔論(28) 浄化と殲滅(9)

前回に続けて、「本妙寺事件」に関連して「塩谷総一郎と光田健輔の関わり」について、熊本県ホ…

藤田孝志
8か月前

光田健輔論(24) 浄化と殲滅(5)

ハンセン病患者への絶対隔離政策は、「無らい県運動」と「十坪住宅運動」を両輪に全国各地に急…

藤田孝志
9か月前

光田健輔論(22) 浄化と殲滅(3)

『ハンセン病 絶対隔離政策と日本社会』の「まえがき」で、内田博文氏が「無らい県運動」の概…

藤田孝志
9か月前
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「重監房」に学ぶ(6) 暴力装置

光田健輔の著書『回春病室』に「ライ刑務所」と題した一文がある。光田の考えがよくわかるので…

藤田孝志
1年前
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「重監房」に学ぶ(5) 長島事件

「重監房」設置の直接の要因は「長島事件」(1936年8月)である。 1931(昭和6)年、従前の「浮浪癩者」を対象とした「法律第11号 癩予防ニ関スル件」を大幅に改定して、在宅を含むすべてのハンセン病患者を収容し隔離することを目的とした「癩予防法」が制定された。この法律が「無らい県運動」が全国規模で展開される契機となった。 この法律制定の背景を田中氏の上記著書より引用しておく。 田中氏はその悲惨な実態を長島愛生園の入所者が記したレポート(1932年ごろ)から抄出して(『