光田健輔論(24) 浄化と殲滅(5)
ハンセン病患者への絶対隔離政策は、「無らい県運動」と「十坪住宅運動」を両輪に全国各地に急速に拡大していた。それは国だけでなく地方自治体、警察、さらに日本MTLなどの民間団体の尽力が大きかった。その背景には、地域社会や住民に対して、一方でハンセン病への恐怖心を煽動しながら、他方で「救らい思想」を喧伝するという計略があった。
和泉真蔵氏は「絶対隔離政策」を「世界でも類例を見ない苛酷な」「絶対隔離絶滅政策」であると断じ、「この政策は、全ての患者を終生療養所に隔離して絶滅することで日本のハンセン病問題を最終的に解決しようとする政策である」と述べている。
「無らい県運動」の目的が「患者狩り」「強制収容」だけでなく、「患者が療養所の外では生きられない社会を創り出すこと」であったからこそ「絶対隔離政策」の一翼を担ったのである。
入園者からの聞き取りで語られる入所理由は、「家族に迷惑がかかる」「住む所がない」が最も多い。なぜ「園名」を使うのか。これも実名がわかって自分が療養所にいることが知られると「家族に迷惑がかかる」からである。入園者と親しくなっても本名や出身地を語ってくれる方は少なかった。
ハンセン病患者であることがわかると、職も家も捨てて他所に移らなければならない。その前にできるだけ隠して生きなければならない。「療養所の外では生きられない」状況があるのだ。世間の目が「監視の目」になっているのだ。
「救らい思想」による使命感からハンセン病医療に自ら従事した専門医の多くが、先駆者である光田健輔の専門知識と実践、何より政治家や官僚を後ろ盾にした巧妙な計略に積極的に加担していった。療養所に入ることが患者のために最善の道であると信じて無らい県運動を主導し、患者本人だけでなく家族をも説得し、強制収容と絶対隔離を推進した。彼らは自らの罪過に気づきもしない。なぜなら自らの言動は<善意>であるからだ。和泉氏は、それを「同情心と偏見差別は表裏一体の関係にある」と看破している。
部落史・ハンセン病問題・人権問題は終生のライフワークと思っています。埋没させてはいけない貴重な史資料を残すことは責務と思っています。そのために善意を活用させてもらい、公開していきたいと考えています。