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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#ハンセン病問題

光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、そ…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(32) 善意と悪意(2)

以前にも引用したが、邑久光明園名誉園長牧野正直氏は論文『ハンセン病の歴史に学ぶ』の最後に…

藤田孝志
4か月前
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光田健輔論(21) 浄化と殲滅(2)

ネット上に公開されている論文に、吉崎一氏『光田健輔のハンセン病政策の変容に関する考察-林…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(20) 浄化と殲滅(1)

かつて全国には大小のハンセン病患者が集団で生活していた場所(地区)が多く点在していた。そ…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(19) 建て前と本音(4)

前回まで近藤祐昭氏の論文『ハンセン病隔離政策は何だったのか』を検証してみた。それは牧野氏…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(16) 建て前と本音(1)

近藤祐昭氏の『ハンセン病隔離政策は何だったのか』と題した論文は、光田健輔を擁護する立場か…

藤田孝志
6か月前

光田健輔論(15) 権力と人権(8)

光田健輔のハンセン病対策は「ハンセン病患者の絶滅」である。 患者の「死」をもって「根絶」するためには患者に「子孫」をつくらせないこと、そのための「断種」である。「断種」するためには、すべての患者を「絶対隔離」する必要がある。「絶対隔離」し、そこで「断種」をおこない、隔離施設で終生を過ごさせ、死を待つ。患者がすべて死に絶えることで、日本のハンセン病は絶滅する。 その目的の実現において、療養所からの逃走と施設管理への反発が最大の問題であり、その対応として所内に「監禁所」と栗生楽泉

光田健輔論(14) 権力と人権(7)

長島愛生園に知人や友人の家族を案内して訪れたが、幼い子や引率した中学生を目を細めて眺める…

藤田孝志
6か月前
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光田健輔論(13) 権力と人権(6)

1916年5月11日、全生病院は、北海道庁および各府県に対して、市郡体位で「私宅療養癩患…

藤田孝志
7か月前
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光田健輔論(12) 権力と人権(5)

ある教頭に言われたことがある。彼はかつての同僚であったが、私が勤務する学校に教頭として転…

藤田孝志
7か月前

光田健輔論(3) 善意の思い込み

成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』に、次のような一文がある。 そのとおりである。ハンセ…

藤田孝志
8か月前
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光田健輔論(2) 正当化の欺瞞

敬愛する林力氏の『父からの手紙 再び「癩者」の息子として』の「はじめに」の最後は、次の言…

藤田孝志
8か月前

「重監房」に学ぶ(7) 長島事件その後

今まで長島愛生園で起こった「長島事件」(1936年)について断片的ではあるが、その経緯と…

藤田孝志
8か月前
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湯峰温泉とハンセン病

和歌山人権研究所に書籍を注文したところ,書籍とともに「和歌山の部落史編纂会だより(2号)」を送っていただいた。その中に,「近代の湯峰温泉とハンセン病」(矢野治世美)があった。昭和初期までのハンセン病患者の実態がわかるので,紹介しておきたい。 田辺市本宮町にある「湯峰温泉」は,小栗判官の伝承でも知られるように,古くから「癩」の治療に効果があるとされ,江戸時代には「非人湯」が設置されていた。 小栗判官の伝承 毒酒を飲まされて死んだ小栗判官が,病み崩れた癩の身となってこの世に戻さ