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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#ハンセン病問題

光田健輔論(60) 「三園長証言」の考察(9)

徳永進は「隔離の中の医療」(『ハンセン病』所収)と題した小文で、光田健輔について次のよう…

藤田孝志
9日前
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光田健輔論(59) 「三園長証言」の考察(8)

林芳信は、大正3(1914)年5月、全生病院医員となる。同年2月、光田健輔は全生病院長に…

藤田孝志
11日前

ハンセン病と明治の文芸(2) 福沢諭吉

成田稔『日本の癩対策から何を学ぶか』に、福沢諭吉のハンセン病観の変遷が取り上げられていて…

藤田孝志
3週間前
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ハンセン病と明治の文芸(1) 幸田露伴と尾崎紅葉

ハンセン病を「題材」とせずとも、「ネタ」「挿話」としている小説や批評は少なくない。そのほ…

藤田孝志
4週間前
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光田健輔論(54) 「三園長証言」の考察(3)

なぜ光田はすべての患者を「強制収容」することに固執したのだろうか。「予防」に関して「家族…

藤田孝志
1か月前
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光田健輔論(42) 不治か完治か(2)

私の疑問もまた、なぜ世界の潮流に反して日本独自の「絶対隔離政策」に固執したのかであり、そ…

藤田孝志
5か月前
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光田健輔論(32) 善意と悪意(2)

以前にも引用したが、邑久光明園名誉園長牧野正直氏は論文『ハンセン病の歴史に学ぶ』の最後に重要な提言を述べている。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/hansen/79/1/79_1_25/_pdf 同様のことを、荒井英子氏も『ハンセン病とキリスト教』の中で「…時代的正当性を擁護する発言が聞かれるが、それは歴史の一面しか捉えていない」と批判している。 しかし、ハンセン病国家賠償請求訴訟の勝訴判決、ハンセン病問題検証会議の最終報告から

光田健輔論(21) 浄化と殲滅(2)

ネット上に公開されている論文に、吉崎一氏『光田健輔のハンセン病政策の変容に関する考察-林…

藤田孝志
9か月前

光田健輔論(20) 浄化と殲滅(1)

かつて全国には大小のハンセン病患者が集団で生活していた場所(地区)が多く点在していた。そ…

藤田孝志
9か月前
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光田健輔論(19) 建て前と本音(4)

前回まで近藤祐昭氏の論文『ハンセン病隔離政策は何だったのか』を検証してみた。それは牧野氏…

藤田孝志
10か月前

光田健輔論(16) 建て前と本音(1)

近藤祐昭氏の『ハンセン病隔離政策は何だったのか』と題した論文は、光田健輔を擁護する立場か…

藤田孝志
10か月前

光田健輔論(15) 権力と人権(8)

光田健輔のハンセン病対策は「ハンセン病患者の絶滅」である。 患者の「死」をもって「根絶」…

藤田孝志
10か月前
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光田健輔論(14) 権力と人権(7)

長島愛生園に知人や友人の家族を案内して訪れたが、幼い子や引率した中学生を目を細めて眺める…

藤田孝志
10か月前
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光田健輔論(13) 権力と人権(6)

1916年5月11日、全生病院は、北海道庁および各府県に対して、市郡体位で「私宅療養癩患者調」の実施、さらに翌12日には「特種部落調附癩村調」の実施を依頼している。この調査に関しては、藤野豊氏が詳細な分析と考察をしている。私も藤野氏の論考をもとに、私見を述べている。 ここでは、藤野氏の『ハンセン病と戦後民主主義』ならびに関連論文を参考に、光田健輔の考えと動きについて検証してみたい。つまり、自らの主張である<絶対隔離>の必要性と正当性を裏付けるための調査であると同時に、その調