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[第二話]ミャンマーの貧しい産業と豊富な資源。突然のクーデターに直面した瞬間。それでも僕らは生きていく《えむさんのリアルなミャンマー話》

[第一話]はこちら

この話は2021年にミャンマーで起こったクーデターを描くストーリー。第一話に続き私がミャンマーに来てからのこと、ミャンマーとはどんな国なのか。

ミャンマーに入り二年ほどはベテランの日本人の仕事を手伝いました。当時まだ私は30代半ば前でものすごくアクティブ。自分の会社があるにも関わらず、その時間を削ってでもミャンマーに没頭したのです。

とにかくミャンマーを体で感じ、可能性を形にするためにベテラン日本人社長の元、社長代行として現地の仕事を手伝ことから始めミャンマーを学ぼうと毎日のすべての時間を使い、全身でミャンマーの体験をしました。

当時はミャンマーが「最後のフロンティア」と呼ばれ日本からの注目がかなり高まっている時期でもありました。

写真はヤンゴン上空から私が撮影したものですが、まだまだ畑や緑が多く、至る所で枯れ草を燃やしている煙が上がったりしているのが見え、これだけ見ても日本とは全く違う景色のミャンマー。

(ヤンゴン上空から)

ミャンマーは資源の宝庫、宝石の採掘も

ミャンマーと言えば知る人ぞ知る、宝石が出る国で有名です。特にルビーは有名で、ルビーの輝きで値段が変わるのですが、輝きを出すために多くは加熱処理をすることになります。しかしミャンマーのルビーは加熱しなくても綺麗に輝くということで有名。稀少な非加熱ルビーが採れるのです。

(ミャンマールビー)

そして、さらにミャンマーの鉱物でジェイド(翡翠)が有名です。中国からはジェイドの買い付けや商売で沢山の売人がミャンマー中部の第二の都市マンダレーに集まってきています。日本ではあまり翡翠は人気が高くないですが... 中国人は大のヒスイ好きなのです。

とにかく資源が豊富なミャンマー。ミャンマーの天然ガスは輸出高がNo1の資源。経済構造は資源に大きく頼っていました。

(翡翠が入った石を展示している)

知り合いのミャンマー人はその採掘や宝石の鑑定などに携わっており、彼と一緒に宝石の市場を見て回ったり、ミャンマーの宝石についても学びました。
そのミャンマー人は現在も採掘をしていますが、宝石ではなく、金の採掘をしています。

金もでるし石油もでます。日本の二倍近くの国土を有するミャンマー。最後のフロンティアと呼ばれる由縁もわかる気がします。

(宝石が集まる第二の都市マンダレーの夕焼け)


人材の宝庫ミャンマー

地下資源が豊富なミャンマーはもう一つ恵まれたものがあります。それは人材。若い世代の人口比率が高く、国の総人口も5000万人を超えていました。

しかし多くの若者は国内の産業が未熟なために農業の手伝いや工場勤務。仕事に付くことが出来ず無職で家の手伝いをしていると言う若者も数多くいるのです。

2020年の国勢調査では5440万人ほどとされていますが、山奥の村や、国境地帯のはずれに住む人達すべてが調査されているかは不明なのでさらに多くの人がミャンマーに住んでいるといわれています。しかも日本と違ってまだ人口は増え続けているのです。

「まさに人材の宝庫」

(村の子供たちの姿)

町を歩けば妊婦さんをよく見かけます。また日本ではあまり見かけなくなった外で子供たちがあそんでいる姿がそこらじゅうにあります。

細い舗装されていない土の道で泥だらけになりながらたくさんの本当に小さい子供たちがあそんでいる姿。

「まるで昭和な雰囲気だなぁ」

(村の学校の小学生達)

日本人からすると微笑ましくも見えるその庶民の生活ですが、その裏には貧しさと戦う庶民達が沢山いると言う現状を知らなければなりません。

街並みの違いだけではなく人々の暮らしの風景も日本とは全く違うのです。


ミャンマーの若者の労働力

この多くのミャンマーの若者達は豊富な労働力として、世界各国に注目されています。もちろん日本もその一つです。

多くの若者はタイに働きに出ました。正規でビザをとり働きにいくものもいる中、ビザ無しでミャンマーから国境を越えタイに働きにいく若者も数多くいました。

ミャンマーで例えばレストランのウェイターとして働いても月に一万円行けばいい方。タイに行けば月三万円は稼げる。日本人からしたら信じられないような安い給料で多くのミャンマーの若者たちは働いていたのです。

(縫製工場ではたらく若者達)


2011年のミャンマーの民主化

私がミャンマーで一番考えさせられたのがこの貧困と低賃金労働でした。長く続いた軍政により、諸外国による経済制裁も長期化しました。それによりミャンマーはアジア最貧国に転落しました。

軍政による経済政策は鎖国状態で海外から閉ざされたまま、ミャンマーの国民を苦しめました。

そんな中2011年、軍政から軍事政権でありながら民主主義に移行しミャンマーの国は世界に向けて大きく開けたのです。この民主化に大きく貢献したのが皆さんもご存知のアウンサンスーチーさんです。

私がミャンマー入りしたのはこの民主化後、一番国が盛り上がって入るときでした。外国からの投資が一気に増え、ミャンマーの資源、人材そして市場を求め殺到したのです。

国は大きく前進し始めました

そんな中、私はミャンマー入りし、この国の貧しい人々のために何ができるのかを考え、人材の仕事を学び始めたのでした。


[第三話]ミャンマーの若者たちは一斉に日本を目指した。に続きます。


今日も読んでいただきありがとうございました。
東南アジアより、えむさんでした。
また明日お会いしましょう: ) 

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