emon

最愛の母への想いを綴ります

emon

最愛の母への想いを綴ります

最近の記事

お誕生日

今日は、お母さんのお誕生日。 69歳になるはずでした。 きっと今頃は天国で大好きなワインとお刺身かな? お母さん お誕生日おめでとう。

    • 一年が過ぎて

      お母さんの一周忌も無事に終えて、 改めてお母さんがいなくなって一年が経ったんだなぁ、と実感する日々。 今、わたしのお腹の中には赤ちゃんがいて、6月に出産予定。 4歳の息子もお兄ちゃんになります。 わたしが二児の母になるなんて。 楽しみと、不安の半分半分くらい。 お母さん、わたし、大丈夫かなぁ。やっていけるかなぁ。やっていくしかないんだけど。 お母さんに、聞いてほしいことがたくさんあるよ。

      • 喪中ハガキ

        お母さんの一周忌の日取りが決まったり わたしの名前で出す初めての喪中ハガキを作ったり 本当にお母さんはもういないんだ。 と、実感する日々。 ちょうど去年の今頃くらいから、お母さんの体調が良くないのかも、という不安が始まったんだった。まさかその次の年に喪中ハガキを作ることになるなんて。 つい先日、友人がSNSで「親が死ぬのってそんな重要なこと?私にとったら大した事じゃない」って書いてて思わず止まってしまった。 その人にしたら確かに大した事ではないのかもしれない。いつまでもお

        • 日々の、出来事やいろんな気持ち どうでもいいような内容だけど、聞いてほしいこと 悲しい時、嬉しい時、怒ってる時 少しだけ時間ができた時 わたしのたわいもない、なんて事のない話を いつもどんな時でも聞いてくれていたのは、お母さんでした。 間違っている時はハッキリと「それはおかしい」と指摘してくれる時もあったけど 絶対にわたしを否定するような発言はしなかった。 「そんな事で電話してこないで」って言われてもおかしくないような、本当に非生産的な内容でも聞いてくれた。受け入れてくれた。

          自分の誕生日

          先月、誕生日を迎えた。お母さんのいない、初めての誕生日。 お母さんはわたしが小さい頃から、毎年 誕生日にはわたしが生まれた日の話をしてくれていた。 明け方から陣痛が始まって、お兄ちゃんを上の階の人にお願いしてから、知り合いの方の車で病院まで送ってもらったの。11時41分頃にあなたが生まれたのよ。 毎年、毎年。わたしはこの話を聞くのが好きだった。大人になり離れて暮らしてからもメールでこの話を送ってくれた。 あなたが生まれてきてくれて本当に嬉しい。ありがとう。 誕生日は、わ

          自分の誕生日

          半年。

          もう半年が経ってしまった。お母さんが旅立ってから。 昨日の夜、内容はうろ覚えだけどお母さんが夢に出て来てくれた。 少し離れたところに、お母さんの後ろ姿を見つけて嬉しくて、追い付こうと急いでる夢だった。 あの後ろ姿は何度も何度も追いかけた記憶がある。駅などで待ち合わせて、遠くからやってくるあの姿を、大勢の人混みの中から見つけるのが得意だった。 お母さんと歩いて帰るのが大好きだった。お母さんの事を待つのも好きだった。あれを話そう、これを話そう、と考えるのが好きだった。行き

          夏といえば

          お母さんと毎年参加していたイベントがありました。今年はお母さんのいない初めての参加となりました。 楽しい思い出もできました。不安でいっぱいでしたが、行けて良かった。 でもやっぱり、寂しい。 いつもなら、あんなことがあったね、あの時どうだった、あーでもないこーでもない、たくさんのたわいもない話で盛り上がるのに。 どうしてお母さん、いないの? 居るべき場所に、居るべき人がなぜ? さみしい。寂しいよお母さん。 帰宅して、お母さんの遺影に「ただいま」と言った瞬間からぶわーーっと

          夏といえば

          小林麻央さん

          小林麻央さんの訃報に、 わたしはお母さんを想わずにはいられませんでした。 「まだ若いのに」「無念でしょう」 「かわいそうに」 そんな言葉ばかり耳にします。 わたしもお母さんを亡くした時に、 「かわいそうに」 と言われました。 わたし自身に対する言葉ならまだ我慢できます。確かにわたしは母を亡くして寂しくてかわいそうに見えるのだと思います。それはもうそのとおりでもあるので、そのまま受け止めます。 でも、お母さんに向けた言葉としては、すごくすごく嫌でした。 お母さんは、かわい

          小林麻央さん

          「お母さん、たまには夢に出てきてよ、会いたい」と言ってから寝たら本当に夢に出てきてくれた。でもリアルに亡骸が生き返るというか蘇る驚きの設定で思わず笑ってしまった。本当にお母さんはユーモア溢れる人だった。久しぶりに夢で会えて心から嬉しかった。ありがとうお母さん。

          「お母さん、たまには夢に出てきてよ、会いたい」と言ってから寝たら本当に夢に出てきてくれた。でもリアルに亡骸が生き返るというか蘇る驚きの設定で思わず笑ってしまった。本当にお母さんはユーモア溢れる人だった。久しぶりに夢で会えて心から嬉しかった。ありがとうお母さん。

          3ヶ月

          お母さんがこの世から旅立って3ヶ月が経ちました。 まだ、3ヶ月、という感じ。 1日、1日がとても長い。 カレーパーティを経て、お母さんが入院してからの事はまた後日に書こうと思います。なんだか、とてもまだ書く気にはなれなくて。 振り返るのがすごく辛い。 今年のゴールデンウィークは、兄家族と東北へ。 あれからお父さんとおじいちゃん、猫2匹で仲良く暮らしております。 お父さん。寂しくない?寂しくないはずないよね。 それに毎日家事しておじいちゃんのお世話もして、猫たちの面倒もみて

          お母さんが夢に出てきた。昨日久しぶりにたくさんお母さんの話を友人に聞いてもらったからかな。夢の中で久しぶりに怒られて喧嘩してバッと目が覚めた。色々改めないといけないなーと思えた。怒られても何でもいいからまた会いたい。もう二度と会えない事に全然まだ慣れない。

          お母さんが夢に出てきた。昨日久しぶりにたくさんお母さんの話を友人に聞いてもらったからかな。夢の中で久しぶりに怒られて喧嘩してバッと目が覚めた。色々改めないといけないなーと思えた。怒られても何でもいいからまた会いたい。もう二度と会えない事に全然まだ慣れない。

          カレーパーティ

          お昼頃の新幹線に乗ったような気がする。 いつも、東北に行く時はワクワクする気持ちでいっぱいだった。新幹線も好きだし、お弁当も美味しいし、着いたらみんなに会えるから。 でも今回は苦しかった。早く会いたいな。その思いしかなかった。 駅に着いたら、いつもならホームまでお母さんが迎えに来てくれていた。 ホームに居ない時は、改札口を出たところで待っていてくれた。お父さんが一緒の時もあった。 わたしを見つけると、嬉しそうな満面の笑みで手を振ってくれた。 お疲れさま、いつものお気に入りの

          カレーパーティ

          心は土砂降りの日々

          きっと検査結果はもっと早く出ていたんだ。 言えなかったんだ。 現に、お母さんは息子であるわたしの兄にもまだ話していなかった。 「きっとね、これ以上ひどくなる事はないよ。お医者さんにもね、よくこれまで痛みもなく過ごしてきましたねって言われたの」 お母さんは穏やかな口調で話してくれた。 本当にいつもどおりの、優しい声で。 それからのわたしは毎日がなんだか霧のかかったような、お天気でいったら曇り空が続いているような、本当に心苦しい日々だった。 わたしはお母さんの事が本当に本当

          心は土砂降りの日々

          病気がわかった日

          お母さんの体調が良くないのかも、と思い始めたのは、去年の11月のあたま頃。 お母さんはお父さんとおじいちゃんと遠方(東北)に住んでいたけれど(新幹線で片道2時間弱) 月に1〜2回はうちへ泊まりに来るほどパワフルで元気だった。 10月にはわたしの息子の保育園の運動会も見に来て応援してくれた。お弁当も作ってくれた。10月後半にも東京と横浜へ来ていた。 本当に元気そのものだった。 だから11月に「少し疲れがたまってるのかなぁ」とため息を吐くお母さんを見て、「もう66歳なんだから。無

          病気がわかった日

          月命日

          お母さんがいなくなってから、今日で2ヶ月。 すごく、長い2ヶ月だった。 まだ2ヶ月しか経ってないのか、という感じ。 月命日には、お母さんの大好きなお花と、お刺身を買う事に決めた。普段なら買わないものたち。 お母さん。喜んでいるかな。 外は桜が満開です。 お母さんのいない初めての春はとてもとても寂しいです。 でも桜はとても綺麗です。綺麗なものを見て、綺麗だと思う事ができて、嬉しいです。 この寂しさは、いつか薄れていくものなのかな。時間とともに、だんだんと慣れていくのかな。い

          はじめに

          2017年 2月7日 火曜日 最愛のお母さんが天国へ旅立ちました。 四十九日も無事に過ぎ、明日で2ヶ月が経ちます。 このノートは、わたしのお母さんへの想いをつらつらと綴るだけのものになると思います。 お母さんという人がこの世にいてくれたこと、わたしを産んで育ててくれたこと、 お母さんがどれだけ素晴らしい人だったかを、 わたしがお母さんの事を本当に心から愛しているということを どこかに遺しておきたいという気持ちだけです。

          はじめに