心は土砂降りの日々

きっと検査結果はもっと早く出ていたんだ。
言えなかったんだ。
現に、お母さんは息子であるわたしの兄にもまだ話していなかった。

「きっとね、これ以上ひどくなる事はないよ。お医者さんにもね、よくこれまで痛みもなく過ごしてきましたねって言われたの」

お母さんは穏やかな口調で話してくれた。
本当にいつもどおりの、優しい声で。

それからのわたしは毎日がなんだか霧のかかったような、お天気でいったら曇り空が続いているような、本当に心苦しい日々だった。
わたしはお母さんの事が本当に本当に大好きで大切で、かけがえのない存在だった。
お母さんにしか話せない事がたくさんあった。
いつでもどんな話でも真剣に聞いてくれて、受け入れて認めてくれていた。
もちろん喧嘩もたくさんしたけれど、本当にわたしが唯一心を許せる同性の人。
助けて!と言わなくてもすぐに手を差し出してくれる。飛んできてくれる。

わたしの事を、いつでも大きな広い愛で包んでくれていた人。

結婚して子供が産まれて、お母さんと離れて暮らす事になったけど、毎日のように電話やLINEをして、でも決して依存するような関係性ではなかった。お互いの近況報告をして、愚痴って笑ってスッキリして、本当に支えられていた。心の拠り所だったんだ。
次はいつお母さんに会えるかな、と楽しみで仕方なかった。月に一度は東北から来てくれていたけど、ご飯(料理は世界一上手)を作ってもらうのも何よりもの楽しみで。

だから、ああこれからは、そんな簡単に来られなくなるんだ。
遊びに行ったりできないんだ。
お母さん、癌なんだ、

もう心の中が本当に土砂降り状態だった。
仕事して息子を保育園にお迎えに行って、帰宅して夕飯を作っている時に一番涙がこぼれた。
泣きながら夕飯を作って食べていた。
息子が寝た後も毎晩1人で泣いた。お母さんがまだ死ぬ、と決まったわけじゃないのに。
「癌 転移 手術できない」で検索かけてたくさん調べたりした。
わたしには何ができるのか全くわからなかった。何をしたらいいのかもわからなかった。

お母さんは病気の事を、他言しないでほしいとお願いしてきた。心配をかけたくないのだという。現時点では家族と、お母さんの妹であるわたしの叔母しか知らない状況。わたしも誰にも話す気にもなれなくて、でも本当は誰かに聞いてもらいたくて、慰めたり励ましたりしてもらいたい気持ちもあった。旦那とはあまり話せなかった。旦那も言葉に詰まってる様子が見て取れたし、12月で繁忙期ということもあり、忙しいのにあまり心配かけるのも嫌だった。

本当はこんな時なら、お母さんに相談するのに。

後日、兄嫁から「お母さんの事聞きました」と連絡がきた。「大丈夫?あなたの事が心配です」と言ってくれた。優しいお義姉さんの言葉に涙が出た。そして初めて不安な想いを聞いてもらえた。すごくホッとした。お兄ちゃん、本当にいい人と結婚してくれたわ、感謝だわ。

そして癌の告知から数日後、
お母さん・わたし・兄・兄嫁とのLINEグループに、「今週土曜日我が家でカレーパーティーをしませんか?」とのお誘いが来た。お母さんから。
12月の10日の土曜日。
兄家族は東北に住んでいるのでしょっちゅう子供を連れて遊びに行ったりしていたので、行きます!とふたつ返事。
わたしは仕事は休みだけど、繁忙期という事もあって新幹線で行くとなるとなかなかハードだな、土曜日行って日曜日に帰宅して…うーん。と少し考え込んでしまった。
でもお母さんは、きっともしかしたらこうやって家族揃って集まれるのは、今しかないのかもしれない
と思って誘ってくれたんだと思った。もう家事もほとんどお父さんがしてると言っていた。起き上がるのもしんどいみたいだ、と聞いていた。先月まであんなに元気だったのに。

「わたしと息子も行く!旦那は仕事だから、2人で行くよ!」と返事をした。

あの時、本当に行って良かったと心から思う。家族揃って笑って過ごす事が出来た。それが最後になってしまったけど。でも本当に行って良かった。一生忘れられない。

#お母さん #家族 #癌 #病気 #12月

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