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37歳で「乳がんの可能性」と対峙する。


頭が真っ白になった。


2024年4月15日の結果表を送ります。
下記の項目について再検査・精密検査を指示されています。
①右乳腺の陰影(マンモグラフィ)
紹介状を同封いたしました。乳腺専門の医療機関を受診してください。

「えっ・・・?」


息子と遊んでご機嫌で帰ってきて
「あ、人間ドック結果来てるわ」くらいにしか
思ってないのに開けた瞬間、この紙だ。



「ママどうしたの~」



息子の声が聞こえても
うまく返事ができない。


「あ、え、ちょっと待って」


急いで中の詳細の紙を取り出す。


総合判定
乳房:D判定 マンモグラフィ異常、右乳腺腫瘤
       乳腺専門外来をおすすめします



まじか・・・・



息子の顔を見ながら
”「要精査」と言われたあなたへ”という
パンフレットを開く。


マンモグラフィ検診を受けて「要精査」の診断を受ける方の割合は
2015年の広島県の調査で受診者1,000人中72人、
乳がんと診断される人は3人あまりです。

「要精査」と言われたあなたへ
(ひろしまピンクリボンプロジェクト)


ほう、わたしは72人の中に入ったのか。
なぜか妙に冷静になった。

感情論が苦手なわたしにとっては
数字で見ることで
客観的な事実として受け入れられたようだ。




「乳がん」の可能性に向き合う


わたしは友だちに20代でがんを経験した子が
2人いる。


そして祖母が悪性リンパ腫で
63歳の若さで亡くなっている。


がんは、どこか身近なものだと思っていた。


でも、いざ自分が「乳がんかもしれません」という
場面に立ったら、
真っ先に「まだ死にたくない」と思った。


その次に「抗がん剤治療は受けたくない」
頭に浮かんだ。



綺麗で若々しくて笑顔が可愛かった祖母が
下を向きながら
「死んだ方がまし、こんなことして生きる方が地獄」
と言ったのは抗がん剤治療のときだった。


自分も、抗がん剤治療を始めたとしたら
子どもの前でまともにいられるだろうか?




・・・・とにかく、すぐ再検査行こう。

そう決めたら、楽になった。

そして、ネットでは一切調べないことを決めた。


自分から傷つきに行くな


以前のわたしは、
何か不安要素が起きると
ネットで情報を調べていろいろ考えていた。

ところが、何度となく
その行動を繰り返しているうち、
あることに気づいたのだ。


「調べた後の方が病んでる」


ネットは情報がありすぎる。

不安な状態で調べていくと
「不安になるような情報」を自分が
わざわざピックアップしやすい体感がある。


それを実感してからは
「どうしよう」というときは
まず誰か信頼できる人に相談する、という方法に切り替えた。


※これは仕事では使わない方法
 仕事ではすべて自分が請け負って
 調べてもわからなかったことを聞きに行くのが基本


今の自分を客観的に見ると
「乳がんの可能性に動揺して不安になっている」。


そんな自分がネットで調べ始めたら
不安要素を増やすだけだろう。


封筒に入っていたパンフレットを何度も読んで、
専門家の言葉だけを信じると心に誓った。


この体験を人生に活かす


この体験をしなかったら、
わたしはどうなっていたのだろうか?


そう考えると、
必ず意味があるように思えてくる。


「もうすぐ命が尽きるとしても」と考えるためだったのかもしれない。

「嫌だと思うこともやっている人生のままでいいのか?」
「子どもにいま怒るのは本当に必要か?」
「その仕事は幸せか?」
「あの人とこれからも付き合っていくのか?」


考えていくと
今回の「要精査」には感謝をすべきだと感じるようになった。


人生の意味を考えるために必要だったんだ。


5月8日、総合病院で再検査してきます。


また書くよ。
人生を輝かせるために。

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