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<おとなの読書感想文>桜の園

朝間混雑の電車内。
バッグや肩が人に当たるのに気をつけながら、わたしは文庫本のページをめくるのに必死でした。
この、決して長くはないお話に、なぜ手こずっているのか。
それは読んでいる環境のせいだけではないようです。

「桜の園・三人姉妹」(チェーホフ 神西清 訳 新潮社、1967年)

先ほどからわたしの指は、本文と冒頭の人物紹介を何往復もしています。
そういえば、ずっと昔に背伸びして「罪と罰」を読んだ時もそうでした。
ただでさえ外国の方のお名前を覚えるのは大変だというのに、ある登場人物の紹介を確認すれば、

・ラネーフスカヤ(リュボーフィ・アンドレーヴナ)[愛称リューバ] 女地主

なぜそうなるのか。

もうひとつの収録作品「三人姉妹」の主人公たちに至っては、
・オーリガ(愛称オーリャ)
・マーシャ(正式にはマリーヤ)
・イリーナ(俗にはアリーナ)

せめて作中の呼称を本名かあだ名かには統一してほしい(俗にはってなんなんだ)。
例)・山田健太郎[愛称 ケンちゃん]
くらいにならないものだろうか。

フィールスって誰だっけ、あーそうだよ老僕だよ、この人さっきから何度も出て来てるのに!というひとりツッコミを、エンドレスに繰り返しています。だから進まないのです。

ちなみにこの本はお芝居の台本を想定して描かれているから、読みながら自ずと舞台を想像しています。
過去の栄光の名残をとどめた華やかな衣装、調度品。
落ちぶれて綻びかけた屋敷に、美しい桜の園。

しかし何気なく書かれた不可解な文言によって、わたしの脳内劇場は一時中断します。

”ドゥニャーシャは、コーヒー沸かしをもってすでに戻ってきており、コーヒーを煮ている。”

コーヒーって、煮るんだ。。。

ふと目をあげればそこは広大なロシアの大地ではなく、隣の人の咳にも敏感になるきゅうきゅうの通勤電車。
いかんいかん。またどうでも良いところにひっかかって現実に戻ってしまった。

本を開くと、今見えている世界とはまったく異なる世界に飛び込むことができます。
時代も地域も性別もそのほかの様々な属性を飛び越えて、人生のおかしみや悲しみを共有できるのです。
離れているように見えて、人物たちの心の振れ方は今を生きるわたしたちと同じかもしれない。こうした発見は嬉しいものです。
新学期に教室の扉を開くときのように、これからも本との出会いをワクワクした気持ちで迎えたいと思います。

“(ポケットから氷砂糖の小箱を取り出し、しゃぶる)”

氷砂糖、しゃぶるんだ。。。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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