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人に何かを話すとき

人と話すにしろ、メッセージを送るにしろ、私は「伝える理由」があるときだけ伝えます。

発言、会話、表情、身振り手振り…等々。

伝えたいから伝える。そこにメッセージ性がある、理由があること。それが普通だと思っていました。

だから、かもしれません。

他人に言われたこと、送られてきたメッセージには何かしらの意図や意味があると考えてしまいます。



今日、少し分からなくなったことがあります。

ちょっとのことから始まった口論です。

元々、言い争いがすごく苦手なので、出来る限りそこを避けて通ってきています。

もちろん、"出来る限り"です。


私が欲しいと言って買ったものを、中々使わないことを指摘されました。

ほんと、どうでも良い些細なことです。笑

でも私はいつも通りに、言葉の裏を想像しました、無意識に。

それを早く使って欲しいからそう言ったのか、中々使わないことに不満を感じたのか…と。

実際、この直前まで別のことをやっていて、そこに手が回っていなかったです。

そう伝えると、それが言い訳のように捉えられたのか、いつももっともらしいことを言っているようにして論点がズレる、のようなことを言われました。


口論や言い争いになると、私は頭がパンクしたようになって思考が止まってしまいます。

その空間の空気感に耐えられなくなるし、上手い言葉が見つかっていないのに、次の言葉を求められてたり、または口が勝手に回ってしまいズレたことを言ってしまう、とか。

HSPということもあるので、このような状況になったら、まず1人になり自分を落ち着かせるべきだとは思っています。

振り返りつつ考えを整理する、言語化する、といったことをすべきですし、実行します。


ただ、こうなってしまうと"深く考える"というバロメーターが暴走し、まずこの場から立ち去ると相手にこう思われるんじゃないか、など考え込んでしまいます。



だから、そもそも言い争いにならないように過ごすのです。

ネガティブシンキングしちゃってますね、後ろ向きな考えが堂々巡りすることに後ろめたさも感じちゃうし。

こうしてまた、1人で涙を流してしまう。

元気がある自分が理想で、外の世界にいる自分はそれが当たり前、みたいにしているけれど、だからこそネガティブになったときの自分とのギャップに苦しむ。


最近は、気分が落ち込んだりしたときは、いっそとことん落ち込んでみる、をやってみているんです。

落ち込むことは悪いことだと、思ってしまっている自分がいるので。

だから、落ち込んだっていいんだよ、と自分に問いかけることで、許容するようにします。


今回は殴り書き&思ったことをほぼそのまま文字にしてみました。

たまに、こーゆーものがあっても良いよね。


明日は「HSEの景色」の新しい記事を書きたいなぁ。






アルバイトが出来なくなってしまったので、サポートしていただけたら本っっ当に嬉しいです!!!