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らいぶらり。 ぶらりぶらり、興味をつなげる。

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  • つらつらつづり

    ひたすらに、つらつらと。 練りすぎないで、今思ったことを書いてみよう ひたすらに、つらつらと。

  • 声の記し

    ひょっとしたら文字よりも気軽に? 声の日記を残そう。

最近の記事

「向いてない」を認めても、暗くはならない。

最近、自分の性質をひとつ認めることができた。 それは、おそらく自分は毎日決まった時間に8時間程度働くことに向いていないということ。 単に朝がだるいとか眠いとかだけでなく、他の方が一定数以上いる空間に一定時間身を置くと、どうしても緊張してしまう。 大きな音や声が続いたりすると特に緊張は高まる。 自分の性質を認めるだけでは緊張はおさまらないけれど、向いてない割には一応毎日行ってるね、と思えるようになると少し楽なのかもしれない。 「向いていない」って、否定することばがついてい

    • 作戦会議のカレー屋さん

      家の近所に、インド・ネパール料理屋さんがある。 最初は看板に書かれていた「チーズナン」に惹かれて何の気なしに入ったのだが、今ではすっかり店主の虜だ。 (もちろん、チーズナンもカレーもおいしい) 店主の接客が丁寧でかつほどよく、思わず長居したくなる心地よさ。 食事をしながら、わたしはここで様々なことについて「作戦会議」をしている。 ・新しく買う掃除機はどれがよいか ・次の旅先はどこにするか ・まとめ買いするお茶の銘柄をどうするか(冒険してみる?それともいつもの?) ・友達への

      • 伝えようとする 受けとろうとする

        祖父は耳の聞こえがよくない。 わたしが幼い頃からそうなってしまっていて、確か突発性難聴の治療が遅れたことが原因だったと思う。 そして、徐々に悪くなっていったらしい。 補聴器をつけてはいるが、すごくクリアに聞こえるわけではなく、人の声ではなく物音を拾ってしまってむしろ疲れるときもあるそうだ。 祖父は、耳の調子が悪くなっていくにつれて、社交の場に出ることが少なくなっていった。 ざわざわした音を補聴器が全て拾ってしまうのと、わからないのにうんうんと頷くことがしんどくなってしまっ

        • 声の記し_2024.02.07

          ・雪が降った。雪が降ると静かだなと感じる。 ・節分の恵方巻き ・祖父母の家に行く。

        「向いてない」を認めても、暗くはならない。

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        • つらつらつづり
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        • 声の記し
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        記事

          声の記し_2024.01.16

          ・今年の目標:「平ら」 ・最近の反省:メールを送る前の確認にゆるみ? ・ことばに気をつけていたい

          声の記し_2024.01.16

          声の記し_2024.01.16

          声の記し_2024.01.05

          ・年が明けてもう5日です ・年末年始の過ごし方 ・みんなで食べるって思い出になる ・また1年が始まる

          声の記し_2024.01.05

          声の記し_2024.01.05

          大〆の笑顔

          久しぶりでも先月ぶりでも、2~4人くらいで飲むのが好きだ。 これくらいの人数だと、一人ひとりの話をじっくり聞けるし、自分も聞いてほしいことをしっかり話せるからちょうどよい。 静かなところで「さあ、今日は聞くぞ話すぞ」という姿勢でじっくり飲むのはもちろん好き。 でも、活気のある場所もよい。 少しばかり声を張って注文を伝えながら、お酒や料理が来る間に話を始めて、それがまた思いのほかすぐに盛り上がったり引き込まれたりすることがあって楽しい。 それから、各々の食いしん坊アンテナ

          声の記し_2023.12.30

          ・仕事納めた ・晴れが嬉しい ・年賀状書くのが好き

          声の記し_2023.12.30

          声の記し_2023.12.30

          クリスマスの懐かしさへの入口

          ヤマザキのクリスマスケーキのCMを見ると、 小さい頃のクリスマスを思い出す。 実際にわたしが食べたのは、父が職場の近くで買ってきたケーキや、家で母と一緒に作ったケーキだった。なので残念ながら今までヤマザキのクリスマスケーキは食べたことがない。 けれども、暖かそうな部屋とか、子どもたちが目を輝かせている様子とか、赤と緑の配色とか、クリスマスツリーのきらきらなどCMの中のいろいろなものが印象に残る。 中でも特にクリスマスの懐かしい思い出を呼び起こすのは、CMで使われている曲

          クリスマスの懐かしさへの入口

          “わたしから”会いにゆこう

          先月のある日、有給休暇を取って、二人に会ってきた。 すごくよい一日になった。 ビールを飲みながら草むしりをするママ ひとりは、5〜6年前に働いていた職場でほぼ毎日お昼ご飯を食べに行っていたお店のママ。当時は朝晩はあまりご飯を食べる余裕がなくて、特に職場の先輩が異動になってからは、ほぼほぼこのお店のお昼で栄養を摂取していたと言ってもいいくらいお世話になった。 ママはよく話す。お客さんとコミュニケーションを取るのが好きなんだと思う。 静かにご飯を食べたい人もいるから店の主は

          “わたしから”会いにゆこう

          フライング相槌

          「ーーーーー」 「はい」 「ーーーーー」 「はいはい」 「ーーーー 「はいはい」 「ーー 「はい」 「 「はい、ああ、はい。わかりました」 会社や駅など、他の人の会話が聞こえる環境にいると、話し手が区切りのよいところまで話し終える数文字前にかぶせて相槌を打つ人を結構見かける。 その場面に遭遇すると、なんだか急かされているような気分になってしまう。 別に、わたしが話しているわけでもないのに。 かぶせて相槌を打っている人の表情が怒っていそうだとか、声色がぶっきらぼうだとか、

          フライング相槌

          ふたつの再会

          立て続けに嬉しいできごとがあった。 ひとつは、高校時代の恩師とのX上での再会。 そしてもうひとつは、10年前に解散したグループの作詞家との再会。 高校時代の恩師 十数年前、高校2年生から3年生のときに特にお世話になった先生がいた。 わたしが通った高校には、3年生で卒業論文を書く制度があった。 提出しないと卒業できないという、なかなか重要な位置付けだった。 論文なんて書いたことなかったわたしは、どんな題材で書くか散々迷ったのだけれど、 興味を持ち始めた源氏物語の六条御息所

          ふたつの再会

          なにか学ばなきゃ症候群?

          ここ数日間、「せっかく時間あるし、なにか始めたほうがいいのかなぁ」という思いが頭をよぎっていた。 いや、いやいやいや。いやいや。 あなた、少なくとも1ヶ月は休むと決めたうえでの2023年6月でしょうよ。 「やりたい」ならともかく、「やらなきゃ」でやっても、全然心身は休まらんでしょうよ。 もちろん学ぶことは素晴らしいし、年齢を重ねても「あれやりたい!これ気になる!」は活力があって素敵なこと。 やりたいわけじゃないけど「やらなきゃ」って場面も、多々ある。仕事とか家庭とかね

          なにか学ばなきゃ症候群?

          整えながら次へゆく

          2年と1か月勤めた東品川の会社を退職した。 最終出社日は、残念ながら雨模様だった。 最後の半日はなんだか不思議な感覚だった。 いつものようにノートパソコンを開いて、少しメンバーと打合せ兼引き継ぎなどをして、代表がお昼ご飯に連れて行ってくれて、そこで他愛ない話をして、最後にGoogle meetでみんなに挨拶をして(挨拶系は今でも緊張して少し飛んでしまった)、会社のドアを閉じてきた。 前職は市民相手だったわたしにとって、BtoBは初めての経験だったし、扱っている内容の知識や

          整えながら次へゆく

          6年間の部活の濃さ

          久しぶりに、笑ってコラえて!の吹奏楽の旅を見た。仕事の関係でここ最近は放映時間に家にいられなかったのだけれど、祝日の11月23日に放映されていたから食い入るように見てしまった。 だいぶ時間が経っているけれど、どうしても胸に響くものやこみ上げるものがあって、今更ながら書いてみる。 わたしは中高6年間吹奏楽部で、中学ではクラリネット、高校では主にアルトサックスを吹いていた。正直、特別強豪校だったわけではないけれど、基本的に毎日部活はあったし、長期休暇も部活はあった。 中高6年間

          6年間の部活の濃さ

          雨でも一歩を続ければ

          雨の降る日はどうにも気が重くて、でもそんな時も出社しなければならないこともある。というか、リモートワークがだいぶ普及してきたが、平日だったらまだけっこうな人がそうだと思う。 駅までの道は、晴れの日に歩くよりも長く感じる。傘をさしていても濡れる。そもそも玄関から出ることすら億劫に感じることも少なくない。 けれど、行く。文字通り生活の糧のために行く。 重い気分と荷物を抱えながら、濡れた落ち葉を踏んでしまいながら、一歩一歩進む。 そうすると、いつもより長かったとしても、いずれ

          雨でも一歩を続ければ