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フライング相槌

「ーーーーー」
「はい」
「ーーーーー」
「はいはい」
「ーーーー
「はいはい」
「ーー
「はい」

「はい、ああ、はい。わかりました」

会社や駅など、他の人の会話が聞こえる環境にいると、話し手が区切りのよいところまで話し終える数文字前にかぶせて相槌を打つ人を結構見かける。

その場面に遭遇すると、なんだか急かされているような気分になってしまう。
別に、わたしが話しているわけでもないのに。

かぶせて相槌を打っている人の表情が怒っていそうだとか、声色がぶっきらぼうだとか、そういう感じがなくても、その「急かされている感じ」「早く伝えなきゃという申し訳ないような気持ち」はわたしの中に生まれる。

せっかくなので何故かと考えてみたら、呼吸を想像しているんじゃないかなという結論に至った。
わたしたちは声を発すると同時に息も吐き出している。
でもその声でことばを発し切る前に相槌によって遮られると、吐き切らなかった息が少しずつ溜まっていって、なのに次のことばを言うために自然に吸ってしまうから苦しくなってしまう。

吐き切らないと、きちんと吸えない。
それを想像して、どんどん呼吸が浅くなっていくような感覚を思い出し、なにか追われているような急かされているような気分につながるのではないか、とぼんやり思った。

前々から感じてはいたのだが、いま、自分なりの結論が出て妙にスッキリしている。

ちなみに、相槌が「うん」だと、語尾にかぶせて言われてもあまり急かされている感じがしない。

これも理由を考えてみたのだけれども、「うん」は実際には口を開かずに言うことが多いので、声の大きさも「はい」より小さくなるからかな、と思う。
口が開かないことによって相槌の声の大きさが小さくなれば、当然話し手に聞こえるボリュームも下がる。
すると、相手の声によって自分のことばが遮られている感覚は薄くなる気がする(もちろん、あまりにも連続して高速で「うんうんうん」などと言われたら話は別)。


ちなみに今日、自分の職場の代表にわたしが電話を取り次ぐ場面があって、わたしが「どこのだれ様からお電話ですが、おつなぎしてよろしいですか」と話し切ってから「いいですよ。ありがとう」と反応していただいたので、とても話しやすかった。
そういえば前職の代表と話すときも、「早く話さなきゃ」と焦ったことはなかった気がする。
立場が上になれば忙しいだろうに、すごいなあ。
あるいは、それができるから上に立てるのか。

「はいはい」のフライング相槌に出くわすと、話し手が話しやすい相槌を打つって大事だよな、とその度に自分はどうかとハッとする。
自分にとって大事な人たちを急かさないように、気をつけていたい。

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