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【板谷波山展】泉屋博古館東京(六本木)「生誕150年記念 板谷波山の陶芸」巡回スタート!


弟子を取らず唯一無二の作家 (人間国宝辞退) 、 陶芸家としては日本最初期のアーティスト。 明治から昭和にかけて活躍した陶芸家 板谷波山

今年は板谷波山生誕150周年ということで全国各地で展覧会が開催されている。 11/3から 泉屋博古館東京せんおくはくこかん(六本木)で巡回展 がスタート

泉屋博古館せんおくはくこかんは美術館

(名前だけのイメージで考古学の博物館的?と想像してました)




■今年は板谷波山 生誕150周年記念 

2022年・2023年板谷波山展 一覧
グレーは開催済
作品をまとまって見られる貴重な機会 
お見逃しなく!


■開催概要


生誕150年記念 板谷波山の陶芸
泉屋博古館東京 
2022年11月3日 (木) ~12月18日 (日)

公式HP     


会場
公式Twitterよりこちら

泉屋博古館とは
住友家が蒐集した美術品の保管/調査研究/展示公開を主な目的として設立された美術館

昭和35年に住友家より中国古代の青銅器の寄贈を受けて以降、順次収蔵品を拡大し、昭和56年より京都にて広く一般に美術品の公開を開始し、平成14年には東京に分館(現 泉屋博古館東京)を開設
さらに平成22年に内閣府より公益法人の認定を受け、
「公益財団法人泉屋博古館」として、多彩な美術館活動を推進

公式HPより
泉屋博古館東京
名前のイメージから閑静な場所と思いきや「六本木 」!
そして2022年3月にリニューアルされたばかりの建物
素敵な外観
※ライトアップされている時間帯
閉館は18時なので、
寒い時期はライティングが長めに楽しめそう


HARIO CAFE
泉屋博古館東京店

営業時間11:00 〜 18:00
カフェ併設




続いて、
波山の創り出す作品は和洋を超越した唯一無二の世界
どうしようもなく惹かれるその魅力を紹介します

以下、今回の展覧会で出品されない作品も含まれております。参考情報として紹介させていただきます

詳細は展覧会HPでご確認下さい     出品目録   こちら


◼️板谷波山を知るポイント


板谷波山 
1872-1963 ( 明治5-昭和38)

容姿が既に時代を超越

・自然の優しい美しさを表現
・東洋と西洋の融合
・今見ても新しい 時代を超越した感性
・唯一無二の個性
・制作に対する姿勢は超絶ストイック
・優しく品のある色
・美意識の高さ




◼️優しく品のある作風

   葆光彩磁花卉文花瓶 昭和3年(1928)頃 
出光美術館の展覧会ポスターより
ポスターの文字の色と作品の色のリンク

※今回展示はありません(参考)





◼️優しいミルキー色の世界

とにもかくにも魅力は作品の色
淡くて優しくて品があって癒し
乳白色、なんとも言えない「ミルキー感

特に、多用されている淡いピンク水色
波山の作品と言えば「あの淡い色」とイメージが湧く


【板谷波山の陶器】マットな質感と淡い色の世界

重要文化財 葆光彩磁珍果文花瓶(大正6年・1917)
明治時代以降近代に製作された重要文化財で
陶芸作品としての指定は二品のみ
貴重なそのうちの一つがこちら





◼️陶芸家 板谷波山の魅力

【1】唯一無二の陶器

東洋の古典的な陶磁器に西洋のアール・ヌーヴォー様式を融合した新たなる陶芸の世界を開拓

波山を代表するのは
「葆光彩磁」のマットな質感
繊細にして優雅
静ひつにして高貴
現代人のセンスで見ても新しい
性別・年齢を超越したような感性
晩年の作品でも若々しい生命力

葆光彩磁和合文様花瓶  1910年代後半 MOA美術館蔵
青海波の文様に「比翼の鳥」「連理の竹」「合歓の蓮」を描き、
窓と窓の間に「比翼」「連理」「合歓」の文字を入れている
半透明の光沢をおさえた釉が文様を柔らかく透けて見せる

※参考 今回の展覧会で展示なし




【2】出光佐三は波山作品の大コレクター

出光興産創業者 出光佐三
(佐三とはあの「海賊と呼ばれた男」)
大正13年佐三は学生時代の先輩の家を訪ねる。
たまたまその家にあった波山の作品を見て佐三はいたく感銘を受けた。
これをきっかけに後に先輩の紹介で交流が始まり、
“作家と顧客”の関係を越えた友人になった
数々の波山作品を収集(出光美術館では270件以上所蔵)
そういった経緯で 出光コレクションの中でも波山は特に重要な作家となっている



【3】ストイック①気に入らない作品は容赦なく割る

天目茶碗銘 命乞い  出光美術館
波山は意にそぐわない出来栄えの作品は容赦なく割って破棄
出光佐三が半ば強奪してなんとか救出したこの作品
その名も「命乞い」 納得
この作品がこの世に無かったかもしれないなんて…
間近で見たけれど、綺麗さでため息しか出なかった

※参考 今回の展覧会で展示なし



【4】ストイック②生活が苦しくても妥協しない

陶片 板谷波山記念館蔵
かけらからでも美しさが垣間見られる
波山は東京高等工業学校 (現、 東京工業大学) 窯業科嘱託の
高い俸給を捨て、陶芸家の道を選んだ
生活は苦しく、初の窯入れにも燃やす薪が足りなくなり、
家屋の木材までも使用した。60歳頃まではほとんど借金生活
自ら「板屋破産」と称していた。
それでも納得の行かない作品はすべて割った
「上絵でキズを隠して売れば」と言う妻を買い物に行かせ、
その間に割ってしまった
苦しい生活のエピソードはこちら



【5】ストイック③作品は1年間にわずか20点

葆光彩磁葵模様鉢 大正前期 個人蔵  
代名詞の「葆光彩磁(ほこうさいじ)」は、
器を成形して意匠を彫刻し、多様な顔料で彩色して
素焼きする仕上げに不透明な
「葆光釉(ゆう)」をかけて焼くと、
釉薬に含まれた細かな結晶が光を反射し、
器の表面にベールをかけたような淡い輝きを生む。
華麗な意匠を支えるデッサン力、
釉薬の効果を計算した彫り方など、
波山の技術と感性でこそ可能なわざ

約60年に渡る作陶人生において
1年間に20点ほどしか作品を世に出さず

彼が元気で長生き(91歳)だったからこそ、
たくさんの作品を見ることができる奇跡




【6】アーティストとしての陶芸家

人間国宝辞退 弟子は取らず唯一無二の存在

人間国宝辞退・弟子をとらず
88 歳のとき 
重要無形文化財保持者 (人間国宝) の推挙を辞退
理由「人間国宝は技術の伝承が目的」だと、独自のアーティストを自認している波山は伝承を望まず最後まで弟子も取らず

日本最初期 陶芸家アーティスト
「アーティストとして」の陶芸家としては
日本最初期の存在

御前制作の経験・皇室に納品
皇后陛下に招かれ、御前制作した
作品は皇室にも納められるなど、当時の日本を代表する陶芸家として活躍

文化勲章受章 
昭和28年に、陶芸家として初めて文化勲章を受章



《彩磁菊花図額皿》1911(明治44)年 
しもだて美術館蔵


彩磁金魚文花瓶 1911(明治44)年頃
こんなにモダンなデザイン
それでいて上品さもある奇跡のバランス
この浴衣柄あったらとても可愛い



彩磁蕗葉文大花瓶 1911年(明治44)頃
波山作品で最も大作として知られる
高さ77・5㎝ 青々としてみずみずしいフキの葉は、
楽譜の音符のように上下して配置されている


《葆光彩磁牡丹文様花瓶》1922年 
東京国立近代美術館蔵


《彩磁沢瀉花瓶》1901年頃 東京藝術大学蔵
※参考 今回の展覧会で展示なし


葆光彩磁紫陽花文花瓶 
開運何でも鑑定団の2018年の年間高額一位となった作品

※参考 今回の展覧会で展示なし






【7】チャーミングな人柄


茶目っ気たっぷりで冗談が好き
草花や動物が好きでいつも犬や猫を飼っていた

四つ葉のクローバーの有りかを覚えておき、
女性が訪ねてくると偶然のようにクローバーを差し出した

五男一女の子供にみんな花の名前をつけた



柿香合
チャーミングな波山がチャーミングな作品を!
こういった可愛いと感じる作品がたくさんある

※参考 今回の展覧会で展示なし



作品を慈しんでいる様が神々しい




【8】ギフトの達人

作品の優しさに背景あり】
苦しい時代を支えてくれた郷里(下館)の人への思い
弱い立場にいる人たちを励まし続ける姿勢
分け隔てない人々への優しさと温かさ 

「鳩杖 (はとづえ)」 
握りに鳩の飾りのある老人用の杖      
 左は鳩杖を受け取った方の集合写真      
波山は 61歳から19 年間にわたり故郷下館に暮らす
80歳以上の高齢者全員、約260人に
握りに鳩の飾りのある老人用の杖「鳩杖 (はとづえ)」を贈った
波山は早くに両親と死別しその両親への思いから、
長上に対する敬愛と感謝の念を込めて製作
※このエピソード詳細はこちら
観音聖像
波山が日中戦争や太平洋戦争の戦没者の遺族に贈った観音像
波山は読経をしたうえで1体1体に祈りをささげて仕上げた
また波山自身で遺族を探しすべての人に届けようと
名簿を作り286体を贈った
像を納めた箱には、 波山が作ったものだと証明する朱印と署名があり、
戦争で大黒柱を失った遺族がお金に困った場合には、
できるだけ高い価格で売却して
生活費にあてられるようにと価値を保証
蓋には故人の名前が記され,
波山 は遺族一人ひとりに慰めの言葉をかけて手渡した




孫への贈り物

【上】孫に贈った手描きカルタ
使用済ハガキが使われている 中には「ヤスモノカイノゼニウシナイ」笑

【下左】孫に贈った手書き絵本

【下右】孫の啓造(菊男の長男)にあてたハガキ
「ジイチヤンノオウチニ ニホンイヌガキマシタ
アイヌイヌデ ナハポチトイヒマス
アタタカナヒニ ミニオイデ」
アタタカナヒニミニオイデ   ←   このフレーズのホッコリ感

可愛すぎて悶絶である じいちゃーーん!!

こちらから画像お借りしました


成功しても資産は残さず奨学金設立
公益財団法人波山先生記念会は
波山が出資し貧しくて進学できない子どもたちの育成などを目的として
、昭和38年(1963)10月10日に発足
病床で財団病設立の知らせを聞いた波山は、
その直後安心したようにこの世を去った。
この資金を基に、昭和40年(1965)から毎年、
大学へ進学する学生数名に奨学金を支給しその総数は146名


波山の陶芸家以外の側面を知り、
人への愛情深い生き方にひじょうに感銘を受けた
こういった精神性だからこその 美しい世界なのだと納得  

 



【9】最後の作品 変わらぬ愛らしさ瑞々しさ

椿文茶碗 1963年(昭和38)
波山91歳生涯最後の作 
ほんのりとした愛らしい茶碗に、 
これから咲こうとする小さな蕾も加えられ、
最晩年まで瑞々(みずみず)しい感性を決して失うことがなかった

※参考 今回の展覧会で展示なし




◼️最後に


あらためて明治初期生まれという驚き】
和洋折衷の最高峰、再現が難しい技術、唯一無二の個性
この優しい美しい世界観を明治初期生まれの男性が作り出している驚き

どちらかというと現代の感覚のような気もする
のに現代にもいない
後にも先にもこの世界観はいない

ぜひぜひ本物の美しさを体感していただきたいです

おわり


今回の展覧会


参考)過去の展覧会


※2018年の高額一位は、なんと波山だった


共通点を感じる版画家吉田博とともに紹介した記事)


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